かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

うるさいヒトは様々あれど、かくもうるさいヒトはめずらし。

2006-03-16 20:37:59 | Weblog
 今日は大雨。ざばざば降って思い切り濡れました。終わり。
 ・・・と、昨日はうっかり天気の話ばかりに終始してしまいました。その気になって書けば1行ですむのですけどね。実は昨日は移動中のネタを書こうと思っていたのに、ついつい井戸端話に終始してしまいました。
 さて、そのネタ、というのも実はもちろんたいした話ではないのですが(笑)、すぐ近くに座っていたはた迷惑な乗客のことです。何が迷惑かというと、とにかくうるさいのです。私はあまり子供や赤ん坊が泣く声とか女性の方々が話に夢中になっておられるのとか、形態音楽ツールのシャカシャカ音とかはそれほど気になりません。比較的騒音には寛大なほうだと自分では思っているのですが、この乗り合わせた乗客だけは難渋しました。まず定番の携帯電話。車内で着信音を盛大に鳴らし、出たと思ったら今度は大きなお声でおしゃべりです。とまあこれくらいなら今日びあちこちで見られる日常光景に過ぎません(というのも難儀な話ですが)。ところがこの乗客、その行動一つ一つがやたらと大げさで、うるさいのです。新聞を開けば、ばりばり耳元でもみつぶすかのごとき音を立てるし、何が気に入らないのか、しきりに舌打ちやため息をついて、それもそっとやればいいのにこれ見よがしに大きな声でつくのです。挙句に寝たと思ったら盛大ないびき。私も結構いろいろな乗りものに乗っていろんな同乗者と出会いましたけど、これほど人の神経を逆なでする人にはちょっとお目にかかったことがありませんでした。普通ならとっとと席を移っていたのですが、残念ながらほぼ満席で移動することもならず、我慢するよりありませんでした。ところがこの人、割と愛嬌もあって、さる親切を受けた相手に律儀に礼を言っておりましたし、携帯電話でも、「今車内だから話ができない」と一応は相手をたしなめているのです。思うにこの人、まず間違いなく根は素直ないい人なのでしょう。でも、日常生活で静かにする必要がないような、あるいは大声出していないとまともに話もできないような環境に慣れ親しんででもいるのでしょう。たとえば周りに人がいない山の中に住んでいるとか、あるいは逆にガンガンうるさい工事現場みたいなところで働いているとか。そういうわけで、私もほんの少し気持ちをやわらげることができました。こういう人に「静かに」と言ったところで多分素直に謝ってはくれるでしょうけど、静かにはならないでしょう。日常そんなことに気を使っているわけではないのでしょうから。付け焼刃でできるものではないと思いますし。それに、しばらくするといびきも収まって、静かになりました。これで一安心、と思っていたら、何となく息をしていないように感じます。最近はやりの、無呼吸症候群というやつでしょうか? いびきをかく人はなりやすいと聞いたことがあります。ちょっとはらはらしてましたら、無事息を吹き返したように、また呼吸音が聞こえてきました。うーん、うるさくても静かでも人の気を乱す珍しいヒトでした。

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暑さ寒さも彼岸まで・・・本当にそうだといいんですが。

2006-03-15 21:40:01 | Weblog
 どうも頻繁に「昨日とはうって変わって・・・」と書いている気がする今日この頃ですが、やっぱりこれだけめまぐるしいと書かずにはいられませんね。そう。「昨日とはうって変わって」なんとも春めいた快晴の一日。冷んやりしていたのは朝だけのことで、もう見る間に暖かさがましてました。今日は所要で公的交通機関を用いて少々遠出する予定だったのですが、朝出かける間際、「コートを着ていくかどうか」悩んでいたのが馬鹿馬鹿しいほどでした(本当に持っていかなくてよかった(ホッ)。でも、もし一日この朝の冷たさのままなら出先で風邪を引いてしまいそうでしたし、暖かくなればまさに邪魔物以外の何物でもないしで、結局窓の外の空をにらみ、気象庁ホームページの天気予報を見て、更に卦を立てて結局コートは置いていくことにしたのです。さすがに朝は少し凍えましたけど、それ以外はほぼ一日快適に過ごせました。でも、出かけて驚いたのは真冬並のコートやマフラーをしている人が意外に多かったこと。確かに朝は快適だったでしょうけど、あれでは昼間はおろか、夕方でも暑かったことでしょう。それとも、私は寒い山の中で仕事するあまり、他の人よりも寒さには慣れていたりするのでしょうか? 確かに昔冬コミで一般待機列に並んだときも、周り中で寒い寒い言ってる中でのほほんとさして寒さも覚えずじっと吹きさらしの駐車場で座っていたこともありましたけど。

 それはともかく、こうも天気がむちゃくちゃですと、気象庁には一言恨み言のひとつも言いたくなってきます。もちろん天気は気象庁がコントロールしているわけではないので、そんなこと言うのは全くのお門違いもいいところなのですが、それを承知していたとしても、このところの天気の変動は激しすぎます。降ったり晴れたりもそうですし(なんと明日からはもう雨なんだとか)、寒い暖かいもまさにジェットコースター並。人間はまだかろうじて空調やら衣類やらで何とかその変動の影響をマシにできますけど、植物や動物にとってはたまったものではないでしょう。できれば早く安定した春になってほしいものです。・・・って、まさか一年こんな調子じゃないでしょうね? 夏コミで寒さに凍えるような体験はできれば勘弁願いたいものです。

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春の雪は相当キケンです。

2006-03-14 22:56:30 | Weblog
 昨日寒かったと思っていたら、まだまだ甘かったですね。今日、目が醒めてみると窓の外は真っ白! 向かいの建物がかすむほどに降りしきる牡丹雪に、アスファルトがかろうじてグレーに見えるのがかえって空恐ろしい。いやはや、3月半ばになってかくも見事な雪景色を拝めようとは思いもしませんでした。これで今日は休みでぼうっと暖かく暖房を入れた部屋で舞飛ぶ雪を眺めていられたのならさぞかし気分もよかったのですが、あいにくと仕事の日であるからには、時間になれば防寒装備に身を固め、無理矢理でも出撃せずにはおれません。でも、足下は危ういわ、バイザーはたちまち付着する雪に覆われて視界が奪われるわ、走り始めて15分ほどは、もう何度もあきらめて引き返そう、と半ば本気で思いました。幸か不幸か、そのころから雪がやみ、進むほどに道路も危なくなくなって、無事職場までたどり着きました。でも、もう少し北の方では線路のポイントに雪が挟まって作動しなくなり、電車を運休に追い込んだりしてますから、それからすればまだましだったのかも知れません。それにしても、我が職場は田舎でも相当山の中に位置するところなのに、曲がりなりにも人口10万を数える地方都市の一角である我が住処の方が雪に難渋したというのが、なんとも馬鹿馬鹿しいというか、不思議というか。本当に、昨今の天気は怪しい限りです。

 そのせいかどうか判りませんが、このところ妙に目が冴えて眠ることができません。睡眠時間は普段の半分以下じゃないでしょうか? 春眠暁を覚えず、というのが道理というモノだと思うのですが、妙に気が騒いで寝付きが悪いですし、起きるのも早くなっています。それでいて昼間眠いというでもなし、今までも異様に早起きしたりすることはままありましたが、そのときは午後3時過ぎから4時頃にかけて、眠くて眠くて仕事しながらくずおれそうになることもしばしばありました。でも最近のはそれすらないので、正直薄気味悪く感じております。確かに今はやりたいことややらなくてはいけないことが重畳たる山脈をなしていくら時間があっても足りない状況なので、そういう点ではありがたい状況なのですが、そのうち身体が、たまった負債に耐えきれなくなって倒産するような羽目になるのではないか、という気がしてならないのです。いっそアレルギー鼻炎の奴とか、酔い止め薬とか眠くなる薬でも飲んで無理矢理眠ってみようかと思わないでもないのですが、自覚症状が無い段階で薬に頼るというのもどうも気が引けて、まだ実行しないでいます。このまま短時間睡眠が日常になればいいんですけどね。

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自分の書いたモノもできればちゃんと「紙」の上で読みたい。

2006-03-13 22:50:57 | Weblog
 今日は見事に寒が戻りましたね。朝はまだそれほど寒いとは感じませんでしたが、昼間にどっと雪が舞ったのには驚かされました。帰りも結構寒かったですし、明日は予報では最低気温マイナス4度だというのもさもありなん、というような感じです。水道水も心なしか冷たさを増しています。でも、明日を越えるとぐっと気温が上がってくる気配。ようやく春本番、ということなのでしょう。そろそろサボテンの植え替えも手はずを整えておかないとなりません。

 この間から、自分が過去に書いた小説を改めて印刷し、製本しています。在庫のある分はいいのですが、すでに売り切れて手元に本が残っていないモノが結構あるんです。なにか、売り切れたというとずいぶん出たように聞こえますけど、一回に20~30冊程度しか作りませんので、何回かコミケなどで並べているとすぐにはけてしまうのです。それはそれで喜ばしいことなのですが、自分の書いたモノを読むのが好きな私としては、ちょっと困りものなのです。もちろん手元にはちゃんとデジタルデータが揃っていますから、その気になれば読み返すくらい楽なモノです。ついでに見落としていた誤植をなおしたりして、それはそれで重宝します。でも、読むためにいちいちPCのスイッチを入れ、更にソフトを立ち上げて、それを液晶画面で見る、というのは、どうもしっくりきません。やっぱり本は「本」の形になっていないと駄目なような気がするのです。本ならすぐに本棚から取り出して開くだけで読めますし、大体どの当たりに何を書いているか、自分の本なら直感的に把握できますから、しおりなど入れなくても困りません。出張などで持っていくにしても軽いモノですし、比較的細かい字でも、読みづらいと言うことはありません。もちろんこの感覚は、私自身がデジタルよりもアナログの方がいいふるいタイプの人間だからなのでしょうけど、この手軽さ気楽さは、デジタルデバイスではまだまだ実現できていないように思えるのです。少なくとも液晶画面を見ながら、マウスやペンでクリックしてページめくりする、というのでは、紙に印刷した本に敵う日は来ないと思えます。ならどうなれば紙媒体の本が不要になる日が来るかと言いますと、私が思うに、きっと頭の中に直接文字が浮かぶよう神経系とデジタル回線が接続されるような時代になれば、紙がいらなくなるのではないでしょうか。私はたまに文字だけが流れる夢を見るのですが、きっとあんな感じで頭の中に直接文字が流れ込んでくれば、紙はもう無くてもいいように思うのです。一体どれくらい先の話か見当もつきませんけど、そんな装置ができたら是非付けてみたいモノです。
 
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この忙しいときに・・・スパムメールの邪魔だて。

2006-03-12 20:49:07 | Weblog
 先週から大事なメールを待つ毎日を送っておりますが、こういうとき本当に腹立たしいのがスパムメールです。こうしている間にもメール新着を告げる合図がデスクトップの隅に瞬くのですが、期待してメーラーをダブルクリックしても、目にはいるのは下らないスパムがほとんどです。こちらは、いつ来るか、もう来るか、今来るか、と気もそぞろになって待っているのに来るモノ来るモノ話にならないモノばかりですから、本当にはらわたが煮えかえるのを覚えます。大体、あんなモノに引っかかる人が世の中にいるのでしょうか? 女性の名前で会ってくれればお金を渡す、などというようなムシのいい話といかにも怪しげなリンク先。どいつもこいつも、どう考えてみても箸にもかからぬ与太話にしか見えない内容なのですが、これほど出回っているからには、何百人あるいは何千人に一人くらいは引っかかる人がいるのかも知れないし、一人引っかけたら相当大きな収益が見込めるのでしょう。こう回線をたぐり寄せて相手を引きずり出してやりたいと思ったりしますけど、スタンドに目覚めでもしてない限り現実にできるわけでもなし、結局いらいらと根気よく削除するより対応がとれないのです。
 そもそも儲からなくなればこの種のモノは激減するはずで、そのためには引っかかる人間の数が損益分岐点を下回るレベルまで減ればいいはずです。こんな与太話に引っかかる人間がもうけを出せるほどに多いのかと思うとかえって気が滅入りますけど、一応基礎データを調べてみましたら、やっぱりちゃんと計算している例があるんですね。スパムメールの損益分岐点。それによると、10万通に1件引っかかれば、採算がとれるんだそうです。10万分の1なんて、日常生活ではイコールゼロ、といえるようなレベルですし、日本国民全体なら顧客対象者は全国で千人ちょっとという数でしかありません。それでも現実には十分儲けが出る数字というのですから驚きです。ひょっとして、ヤミ金融に引っかかる多重債務者の方みたいに、同じ人が何度も同じような手口に引っかかっているんでしょうか? 正直言って謎ですが、結局のところ、こういう幼稚な手口に引っかかるような人を根本的に無くす様にする対策を早急に講じるべきではないかと思います。

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禁止禁止で事態を食い止められた例は、歴史的に無いと思うのですが。

2006-03-11 23:03:00 | Weblog
 今日は暖かい日差しに誘われて、というより、のばしのばしにしていた散髪に参りました。私の髪はそれはもう完璧な天然パーマで、それも揃った波打ちぶりならともかく、根性同様あちこち好き勝手に曲がりくねるという扱いに困る髪の毛です。それでも短い間はそれなりに収まるのですが、散髪後一月を超えますともう全くの鳥の巣に変化し、いくら櫛でなでつけても言うことを聞かない状態になります。そこでこれまでは見苦しくなるたびに散髪屋に出かけていたのですが、例えば逆の発想で思い切ってもう少しのばしてみたら、髪の重みで少しは落ち着くのではないか、と思い立ち、前回、確か正月前後だったと思うのですが、そこから今の今まではさみを入れずにいたのでした。
結局そのもくろみはもろくも崩れ、単に見苦しい時間がこれまでよりも延びただけで終わりました。ああ、もう一つ、伸びた髪が耳や目にかかり、非常に鬱陶しさを覚える様にもなっておりました。やはり身だしなみを手抜きしては駄目なようです。

 WINNYのウイルスによる情報漏洩問題は、愛媛県警で公用はもちろん私用についても全職員使用禁止、という事態にまで至りました。昨年の12月27日の日記(http://blog.goo.ne.jp/tbinterface.php/53c29231703912e78d43727ece1c6d17/21)で書いた思いつきが、そのまんま現実になるとは、さすがに驚かされました。自宅のPCで使っていないかも、上司が出向いてチェックする、という徹底した対策が講じられるそうで、とりあえずは愛媛県警についてはそれなりに抑止効果があるのかも知れません。でも、チェック体制といったところで24時間署員の生活をリアルタイムに監視できるわけではありませんし、署員が新しいPCを購入してそれでまたWINNYを始めたりなんていうところまで、チェックしきれるのかどうか、疑問も多いように感じます。
 大体、こういう問題は罰則を厳しくして頻繁にチェックしたところで防ぎきれるものではないことは、警察幹部なら日頃の活動で骨身に染みて理解していると思われるのですが、その点についての不安は無いのでしょうか? 網の目をどれだけ細かくしてもその網目を抜ける者はいます。使用禁止は禁止としてやりたければやればいいと思うのですが、天網恢々疎にして漏らさず、という理想を実現するための方策も同時に進める必要があるでしょう。この問題では映画や音楽、ゲームなどの著作物に対し対価を払おうとせずに無料で手に入れようとする行為が問題視されている様ですけど、例えば、行政などでも色んな「箱モノ」を作ってその中身や運営経費などはいっこうに考えないように、日本人は基本的にハードウェアには価値を認めても、ソフトウェアの価値は軽く見てしまうクセを持っていると私は思います。ここを根本的に改善しないと駄目でしょうし、また、本来お金がいるモノを「タダ」で手に入れるというのは、人として卑しい行為で恥ずかしいことなのだ、と徹底して教えないと駄目でしょう。本来ファイル交換などというのはアングラな世界であるはずで、そういう卑しく恥ずかしく後ろめたい世界だからこそ「普通」の人が寄りつかず、ディープな玄人の世界となりうるのでしょう。そんな世界に出入りする玄人なら、そこで生じることは何事も自己責任、身の安全を図るために可能な限り情報を集めてそれを生かす、というようなことは最低限常識として備えているはずなのに、そこへ後ろめたさなどハナから感じないまま素人が大量参入してきたことが、今の混乱の根底にあるんじゃないのか、と私などは思います。ネットは今、恐ろしい勢いで高速化して大容量のデータを扱えるインフラになってきてますけど、そのケーブルに走る情報は、あらかたスパムメールと交換される著作憲法違反データじゃないのでしょうか。この点に関しては、「簡単で誰でもできる」と誤った幻想で素人を惑わし、コンピューターを売りさばいたメーカーとか、ネットに関する危険性をはじめとする情報を伝える努力を怠ったまま、インターネットに引き込んだ関連会社、この事態を予測できず、法的な整備など対策が周回遅れになっている行政府の責任も相当重いのではないかと思います。さて、この先どんな混乱が待っているのでしょうね。

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官の世界にも個人の責任を問うシステムがいるんじゃないでしょうか?

2006-03-10 23:29:50 | Weblog
 今日は暖かい雨降り。降るか降らぬか定かでないこぬか雨は、傘を差すのももどかしく、とはいえささずに歩くとしばらくすれば濡れそぼつという、どっちつかずな風情ではあります。明日の朝は霧になるかも知れませんね。これで一息に春になるかと思っていたら、来週早々はきつい寒の戻りがあるみたいです。週間予報での14日(火)の最低気温がマイナス5℃。週間予報など早々当てになるものでもありませんけど、マイナス5℃なんて、真冬でもそう見なかった冷え込みです。果たしてホントにどんなことになるのやら。そろそろ片づけようと思っていたタイヤチェーンを、改めて携帯しないといけないかも知れません。

 電気用品安全法と言うのがあって、この4月から「PSEマーク」が付いていない家電製品(259品目)は売ってはいけない、という問題がある、というのを知ったのは、ついこの間でした。何でも、このマークが付いていない電気製品は、中古売買もならず、リサイクルショップなどの業者さんにパニックを呼んでいるんだとか。ネットオークションなどでも、売買ならこの法律に引っかかるそうで、中古家電などそう購入する機会もない私にとっても、場合によってはそれなりに無視できない影響があるかも知れません。
 でも法律そのものも問題多いみたいなのですが、それよりもこの法律を世間に周知徹底すべき経済産業省が、故意なのか偶然なのかその義務を怠り、つい最近までろくろく宣伝してなかったということだそうです。法律は2000年度に成立し、現在は調整期間である5年間の禁止猶予の期間だったそうですが、経済産業省がリサイクル業者を相手に宣伝を始めたのが今年の2月になってから。法律の施行そのものを知らなかった業者が多数いたとあっては、たった2ヶ月で廃業? なんて突きつけられたらパニックになっても不思議じゃないと思います。もし最初の時点でちゃんとしっかり宣伝に努めていれば、今頃こんな問題は起きなかったと思うのですが、経済産業省はこの混乱の責任をどうとるつもりでいるのでしょうね。珍しいことに官僚トップである次官が対応の遅れを認めるという自分達の不手際を告白するようなコメントを発している以上、相応の対応をとらざるを得ないと思うのですが、それにしてもわずか1ヶ月前の年度末になってばたばたと何ができるのやら、担当部署は昼夜別なく休日返上で対応に追われているんじゃないかと思われます。こんなことになるのなら、最初から堂々と広く告知して、世間の反対に正論を持って説得に当たるべきでしたでしょうし、対応の遅れに気づいた時点でいくらでも挽回はできたと思うのですが、よけいな労力のかかることには手を出したくない、と事態を先送りしてしまう官僚の悪い癖が出てしまったのかも知れません。個人に責任を問わないのが官僚のやり方ですけど、こうなると最初に怠慢してしまった担当者やそのときの上司の責任はやはり問わねばならないのではないかと思います。事件当時にはなんの関係もないのに、発覚時にポストに就いていたばかりに組織を代表して貧乏くじを引かされてしまうというのは、やっぱり見ていて腑に落ちないのです。


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スギ花粉舞わない北海道で、快速気動車が完成だそうです。

2006-03-09 21:51:46 | Weblog
 キッセイ薬品工業という会社が、全国42カ所で観測されるスギ花粉の飛散状況を見せてくれるサイトを公開しています(http://www2.kissei.co.jp/kafun/sugi.htm)。観測を担当しているのは各地の医大や気象協会で、我が住まい近辺では同じ市内で車で10分もかからない県立医大に観測地があるので、私が吸っているのとほとんど同じ空気で調査されているという比較的恵まれた状況にあります。難点はデータ更新が遅く、たとえば今日の時点で3月6日のデータまでしか公開されておりません。ただ昨年の同時期のデータも同じグラフ上に描かれており、比較することができますし、隣の和歌山県や四国や九州など、うちよりも季節が進んでいると目される地域の状況も見ることができますので、ある程度予測したりすることもできます。北海道は観測地点がありませんけど、東北のデータを見ていますと花粉量の桁が明らかにこちらとは1,2桁少ない事に気づきます。きっと北海道にはスギ花粉症など存在しないのでしょう。寒いのはあまり得意ではありませんが、花粉症に悩まなくてもいい、というだけで、あちらに引っ越したくなります。ともあれ、この時期には絶対目を離せないサイトですね。
 
 その北海道のJRが、気動車の車体を8度傾け、カーブを高速で走りぬけることができるシステムを世界で始めて開発した、というニュースが出ていました。車体を傾けてカーブする技術はもうあったんじゃないだろうか? 確か振り子式とかいうやつが、と思いつつ読み直してみましたら、「気動車」というのに改めて目が留まりました。なるほど、「電車」ではなかったのですね。電車と気動車でどれくらい技術的な難度が変わるのか存じませんが、2003年から初めて2億円かけて開発、といいますから、それなりに困難な点もあったのでしょう。これで時速140キロでカーブを曲がれると記事にありますけど、できればそのカーブを通常どれくらいのスピードで走っているのかも書いてほしかった。なんとなく凄そうなのですけど、その凄さが伝わりきらないんじゃないでしょうか?
 ともかく、それでこの新システムを導入すると、現在3時間かかる札幌函館間を最大で15分位短縮できるそうです。うーん、15分。無理してがんばって15分縮めてもらうことの意味がどれほどあるのか、今ひとつ理解に苦しむ微妙な時間に感じます。速さを追い求めるあまり余裕をなくして前代未聞の大事故を見せ付けられてしまった関西の人間としては、失礼かもしれませんけど、北海道のような広いところでそんなに急ぐ必要がどれほどあるのか、と思わずにはいられません。それよりも、一般乗客にはどうでもよいことですけど加速に必要な燃料代とかのコスト削減のほうが、JRとしては重要なんじゃないかと思ったりいたします。
 まあ私は多分この先相当の期間は北海道に行くこともないでしょうし、ましてや札幌函館間の鉄路を利用することもないでしょう。そういう意味では本当に大きなお世話でしかないわけですが、速く走ることができるようになったからといってむやみやたらと速さを追求するのだけは自重してほしいです。

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最近は、将棋盤って見なくなってしまいました。

2006-03-08 22:20:58 | Weblog
 少しだけど目がかゆい。少しだけどくしゃみが出る。どうやら花粉症めいた症状が当たり前になりつつある昨日今日なのですが、それでも例年の症状を考えればごく軽い状態でしかありません。ついに花粉の最盛期突入ですけど、このままいくのか、あるいはいつも通りひどくなっていくのか、期待と不安が渦巻きます。

 最近の将棋ソフトはすさまじく強いみたいですね。アマの全国大会でベスト16まで勝ち上ったり、連盟がプロの公開での対局を禁止したり、私が初めてさわった頃とは全く持って比べものになりません。それでもまだ人間のほうに分があると見えて、アマトップであるアマ竜王の人が、公開で最強将棋ソフトに勝ちを収めました。制作者によると、盤面全体を見る大局観の違いを見せつけられた、ということですけど、プロにも勝つことがあるアマ強豪と堂々の勝負ができるのですから、本当に今のソフトはたいしたものです。
 私は子供の頃に将棋を覚え、今も新聞のプロ棋戦の記事を見たり、週一掲載の問題に挑戦してみたり、たまには人と指すこともあるごく普通の将棋好きですが、NECのPC9801が世に生まれて、その上で動く「森田将棋」を初めてさわったときには、結構はまりこんだものでした。当時でもそう負けることはありませんでしたけど、人相手と違っていつでも電源を入れるだけで黙って対局してくれましたから、相手がいないときなど実に重宝したものです。今でもこのソフトはゲーム機や携帯電話でできるそうですが、あのころよりは思考ルーチンも当然磨きがかかっているのでしょうから、やればきっとかなわないのでしょうね。
 もちろんアマベスト16なんて言うソフトには手もなくひねられるでしょうから論外として、適度にこちらのレベルにあわせて、気分次第で4/6から6/4位で勝ち負けを分けてくれるくらいに強さをかえられるソフトがあれば、またやってみたい気がいたします。私には文字通り目の回る動きをするゲームより、じっくりぱちりぱちりと地味にやる方が向いているようです。

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メール一つに時間かけ過ぎかも?

2006-03-07 21:57:51 | Weblog
 ようやく一周年、といった途端に一回休みしてしまいました。昨日は夏コミの件でメールを作って各位に配信していたのですが、思いの外その作業に手間取りまして、日記更新するのをつい忘れてしまったという次第。忙しくなると一点集中して他がおろそかになるという、悪い癖が出てしまいました。でも、一言いいわけを許してもらえるなら、私にとって人に送る文章というのは非常に気を遣う、体力と気力を要する一仕事なのです。その文章の調子が居丈高になっていたり卑下しすぎていたり得意げに浮かれていたり落ち込んで沈んでいたりなどしないように、もちろん事務的に素っ気ないようなことにもならないように、ようするに詰まるところ読む人に不快感を与えないように書くのは、本当に神経がすり減ります。その上もっとも大事なことには、限られた字数で過不足なく情報を盛り込まねばならないこと。何か見落としはないか、こちらの思いこみで意味が伝わらない内容になってないか。冗長になっていないか、あるいははしょりすぎていないか。あれこれ注意を払って何度も書き直し、ようやくメール一つ出す、というのが、私のメールに関する日常です。
でもそれだけ手間を費やしていても、その効果は本人にはすぐには知れないわけで、しかも見落としや思わぬ落とし穴が後で発覚したりして、おちこむこともしばしばです。
 所詮完璧を期するのは不可能なのですから、我ながら気を使いすぎるのも考え物だ、と思わないでもないのです。でも、メールにせよ掲示板への書き込みにせよ、相手はこちらの綴った文字の連なりしか見えないわけで、その文字の連なりですべてが判断されると思うと、やはり気にならないとすましていることもできません。その点、この日記のようにさほど気にすることなく書いていられる文章は本当に気が楽です。あと、好き勝手書いていられる小説とか。これまで麗夢の同人小説だけでもおそらく100万字以上文字の連なりを綴り続け、およそ小説については一定レベルの水準にまでようやく手が届いたかな? と最近はうぬぼれている次第ですが、未だにメールを自然体で書く境地にはほど遠いです。孔子は「己に欲するところに従えどものりを超えず」となるのに70年かかったようですが、私もメールの作法が自然に身に付くようになるまでには、それくらいは優にかかってしまうに違いない、と思わないではいられません。
 そうなるまでに、もっと人とのコミュニケーションを円滑にするツールがコンピューターで実現できるようになっているかもしれません。そうなればもうテキストで悩まなくてもすみそうですが、小説書きの楽しみも大きく変質するかもしれないと思うと、来るべき未来は少々複雑です。

 
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リサイクル社会を目指すのは、なんのためなのか。

2006-03-05 20:58:56 | Weblog
 今日は3月5日。普通はなんてことはないただの一日なのですが、昨年から少しだけ特別な日になりました。というのも、このブログを開設したのが平成17年3月5日、ちょうど1年前の今日だったのです。そろそろそんな時分だな、とは思っておりましたが、今朝改めて確認して、今日がその日だと知ったのでした。この一年の投稿総数は356。9日間だけ書き込みできない日がありましたが、それ以外は毎日せっせと打ち込み続けてきたことになります。まあ我ながらよくやったものです。いずれそのうち止めるときも来るのでしょうけど、今はそんな日が想像つかないほど、ブログが生活の一部になっています。相変わらず観る人のことを考えずに好き勝手書き散らしておりますが、当分の間は星の数ほどあるブログの中のささやかな一小惑星くらいの様子で、ネットの片隅に漂い続けていることでしょう。

 週明けに容器包装リサイクル法の改正案が国会に提出され、成立するのはほぼ確実なんだそうです。循環型社会を実現するための一助になる法律で、来年春には施行され、各自治体において、ゴミの分別の徹底が求められることになるのだとか。自治体によって随分分別の仕方は違うようで、私のところでは、ガラスビンと缶は月2回、ペットボトルはふたとラベルを除去して、月1回出してます。もちろん中は水洗いして乾燥させたものを出すよう求められております。それ以外の容器やトレイなどのプラスチックや発泡スチロールは、今のところ生活ゴミ一般として、生ゴミや紙くずなどと一緒に出しております。しかし、隣接する自治体では、更に細かくプラスチック系は分別しないといけないらしいですし、どこだったか忘れましたけど、家庭ゴミを確か8種類くらいに分類してきっちり分けるよう求めている自治体もあるやに伺ったことがあります。それからすれば、随分我が町は「ゆるい」制度になっているようです。それでも分別が100%徹底されるのは夢物語のようなのですが、更に細かく分けるよう指導しているところなどは、一体どうなっているんでしょう? 現実には分別ゴミに混入していては困る余分な異物を取り除いたりするのには人手に頼らざるを得ず、余分なコストがかかっていて、結局分別徹底すればするほど収集コストが高騰し、千葉や神戸、福岡のように、政令指定都市と呼ばれる大都市においても、うちのような田舎町同様プラスチックゴミの分別をしていない都市があるんだそうです。結局何をするにもコストがかかり、それを誰がどうやって負担するのか、という話になってしまうのかと思うのですが、経団連が言うように「消費者の何げないごみ出しのルール違反が、リサイクルコストを増やす。消費者の分別徹底がなければリサイクル社会は築けない」というのも、消費者に責任転嫁しているようで今ひとつ頷くにはためらわれる話です。環境保護のため分別に協力して欲しい、人のモラルとして分別に協力すべきだ、という話ならわかりやすいのですが、リサイクルコストを減らすために消費者はルールを守れ、という言い方は、消費者がゴミの分別のために費やす労働や時間というコストを無視した、企業・お役所の勝手な論理にしか聞こえないのです。なぜ我々消費者が、頼みもしないのに押しつけてくるプラスチックの処理のために時間や労力を裂かねばならないのか、一度でもちゃんとした説明を企業やお役所はしてきたのでしょうか。
 私自身は、ゴミを排出する消費者一人一人のモラルが大事なのは言うまでもないことのはずだと思いますし、それくらいのことすら守ることのできない人達を困りものだとも思います。でも、どんな問題でもそうですが、「おまえらルール守れよ!」と言うだけではなんの解決にもなりません。時間はかかるでしょうし方法一つとってもそう一筋縄ではいかないと思いますけど、短絡的にコストをどうこう言う以前に、「ゴミの分別くらい市民として当たり前のことだ」と大多数の人が考えるような社会を作る方法を考えないといけないのではないでしょうか。循環型社会というのは、人類の永続的な繁栄を維持するために必要とされる社会なのでしょう。それならばそれこそ100年くらいかけてでもそういう成熟した理性的モラルを社会全体に醸成する方法をこそ、この容器包装リサイクル法を巡る議論で話し合って欲しいと私などは思います。それこそが政治というものではないかと、素人ながらに考える次第です。

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ビタミンCやEにも正しい摂り方があるようです。

2006-03-04 22:27:52 | Weblog
 昨日とはうってかわって暖かな一日。少し空気がまだ冷ややかにも感じましたが、一時間ばかり散歩するにはかえってよかったように思いました。明日は更に気温が上がって、日向では動くと暑い位になるかもしれません。全く、このところの気候はふれが大きくて極端です。
 
 さて、体の悪くなる原因が酸化ストレスで、それを改善するのが抗酸化作用のあるもの、とりわけビタミンCやEは体の中で抗酸化作用を担う重要物質で、昔から健康イメージがあったためか、サプリメントとして摂ることも珍しくありません。特にCの方は水溶性で摂りすぎてもおしっこで出て行くばかりでさしたる問題もない、というように、私なども思いこんでおりました。
 ところが、最近その当たりの話も怪しさが漂ってきたようです。アメリカの研究で、酸化ストレスが高じて不健康状態になっている場合はともかく、酸化ストレスの低い、健康状態でこれら抗酸化ビタミンを過剰摂取すると、かえって体内の酸化ストレスが高まり、心血管に悪影響を及ぼす可能性がある、という話が出て参りました。確かに酸化ストレスを改善する、という話はこれまでも出てましたけど、健康状態ではどうなるのか、という話は今まで聞いたことがありませんでした。特にCの方は上にも書いたような事情がありましたので、疑うことすらなかったのですが、なるほど、反応性のある物質である以上、摂取しても全くなんの影響もない、というのはあまりに無邪気すぎる思いこみでした。
 研究は豚を対象に行ったとのことです。この実験の前に、高血圧状態の豚や高コレステロール血液状態の豚で抗酸化ビタミン投与実験をして、有効に酸化ストレスを下げ、血流を正常化したという結果を出しており、なら健康な豚ならどうなるか、を観てみたと言うことです。このときのビタミン投与量は、一日にビタミンEが体重1キロ当たり100単位、ビタミンCは一頭当たり1000mgで、通常のえさと一緒に摂取させたと言いますから、摂り方も量も我々人間がサプリメントやビタミン剤を飲むのとほぼ同じ状況です。それを毎日3ヶ月続けたところ、ビタミンを摂った方の豚で、血流量が減少したり、心臓の冠動脈の柔軟性が明らかに損なわれていたとのことでした。
 実は試験管でやる実験で、酸化活性の低い状態で抗酸化ビタミンを反応させると、かえって酸化促進作用を示すという結果も過去出ていたそうで、それが生き物の体の中でもあり得ることが、この研究で明らかになったと言うことになります。
 まあ豚と人間では違うのは確かですし、人間でも同じように過剰摂取の害が生じるかどうかはまだ検証が必要でしょう。でも、ビタミン剤に限らず、サプリメントの類をむやみに摂取するのはやはり考え物なのかもしれません。少し前にベータカロチン単体ではかえってよくないと言う結果や、最近でははやりのイソフラボンが摂りすぎはよくない、ということで、一日当たりの摂取上限について話が出てました。抗酸化サプリメントが健康増進には必ずしも役に立っていない、という研究報告も出ていまし、この種の話は、宣伝はとりあえず無視して、情報を集め本当に確実になったものを正しい方法で摂るように努力するくらい用心した方がいいのでしょう。少なくとも最近体の調子がいい、というようなときには、惰性で摂らずに控えるようにしたほうが、結局は健康を維持できる結果につながりそうな気が致します。

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観る前にまずは読んでみました。「ナルニア国物語」

2006-03-03 22:01:16 | Weblog
 昨日もう寒さは戻っても大したことないでしょう、なんてことを書いていましたら、あっさり今日前言撤回しなくちゃならなくなりました。なんなんでしょう、これまたえらく急に冷え込んできて。おまけに夕方には雪まで降って来るではありませんか。まさかお雛祭りに吹雪の中を疾走する羽目になるとは思いませんでした。ようやくうちに帰り着いたところで、そろそろ片づける準備も考えないと、と思っていたストーブに早速火を入れ、何とか人心地ついております。全く、今年の天気は油断も隙もありませんね。

 明日から春の新公開映画が一斉にかかりますが、中でも目玉はやはり「ナルニア国物語」でしょうか? 新聞広告でも一番大きな面積とってますし、公開する映画館の数も明らかにダントツに多いです。前評判はえてして話半分くらいにみておいた方がいいとも思うのですが、これだけ扱いが大きいと、自ずと期待もふくらもうというものです。
 というわけで、映画を観る前にまた原作を読んでみることにしました。それなりに古い童話なのですが、どういうわけか私は幼少のみぎり、この話を読んだことがなかったので、まさに初めてこのC.S.ルイスの作品をひもといたわけです。ライバルとでも言うべきトールキンの「指輪物語」はるけきいにしへに読んでいたのに、今となっては当時何故この話を読まなかったのか、誠に不思議で、実にもったいないと思いました。きっとその時分に読んでいれば、はるかにどっぷりとはまりこんだに違いないと思うからです。さすがに今読むと、全体に話があっさりしていて、前評判を意識していると少し拍子抜けを覚えます。それにラストの大逆転なんて、これまたあっぱれなご都合主義に、思わず苦笑いしてしまいました。でも、当時ならまさにはらはらどきどきもので、この展開に手に汗握ってページをくったに違いないのです。
 と、ここまでどうも否定的な書き方をしてしまいましたが、実はつまらないわけではありません。そこには今でも、次のページを繰らずにはいられない「力」があふれていることに気づきます。それは起伏に富んだストーリー展開なのかもしれませんし、表情豊かなキャラクター達のせいかもしれません。あるいは、何かほっと一息つかせる慈しみの気を覚えさせる、どんな場面でも一定の暖かみとやさしさを保ち続ける作者の語り口にあるのかもしれません。一口に言ってしまうと「魅力」ということになるのでしょうが、なかなかに味わい深い、不思議な気持ちにさせられます。
 さて、映画の方ははたしてどうでしょうか。どうもCMが派手な戦闘シーンの迫力を喧伝するのにいそしみ過ぎているようなキライがあるのですが、原作に蕩々と流れる「愛」を、映画がしっかり写し取っていればいいんですけどね。

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日本の高校生は本当に勉強離れで漫画や携帯が友なのか?

2006-03-02 22:11:21 | Weblog
 ようやく雨も上がって一転春らしい陽気となりました。もう少し暖かになれば、本当にバイクにとっては一番望ましい気候になります。まだ寒さもちょっとばかりは戻ってくるでしょうが、一月前のとてつもなく痛い寒気はもうやってはこないでしょうし、本当に冬を越したのだな、と実感させられる今日この頃です。

 さて、今朝の新聞に今時の高校生の意識を調査した結果の記事が出てました。日米中韓、という何でこの4つの国だけなの? とその調査対象からして少し首をかしげたくなるような記事でしたが、中身は日本の高校生達の、その他3カ国に比べて目立つ勉強への無関心や、携帯、漫画などへの強い関心を憂える内容でした。まあゆとり教育などというバカな実験で子供達を翻弄して恥じない我が国のことですから、こういう憂えがでるのも不思議ではない、といったんは思ったのですが、どうもよく読んでみると中身がヘンです。例えば、どんなタイプの生徒になりたいかという設問で、米中韓が「勉強がよくできる生徒」を67.4%~83.3%と非常に高率でトップに上げているのに対し、日本は「クラスのみんなに好かれる生徒」が48.8%でトップだった、と書いてあります。あれ? じゃあ日本の高校生は、「勉強がよくできる」というのをどれくらいなりたいと思っているんでしょう? その数字がないと判断のしようがないではないですか。これは何かおかしいと思った私は、早速調査した財団法人「日本青少年研究所」のホームページから、調査結果のデータを落として見てみました。PDFで28ページもある大部のデータなので全部はまだ見てないのですけど、件の設問の答えが見つかったので見てみますと、日本で「勉強がよくできる生徒」を選んだ割合は、40.5%ありました。確かに低いとはいえますが、大げさに騒ぎ立てるほどとは私には思えませんでした。そして、記事でわざわざ日本人トップと喧伝した「クラスのみんなに好かれる生徒」の他国の割合は? 中国66.2% 韓国41.4%。中国など日本よりも多いですし、韓国だって遜色ある数字ではありません。アメリカだけ21.6%と随分少ないのが目立ちますが、日本の結果を取り立ててかき立てるほどのことはない結果です。第一複数回答可ですから、何も一番多かったから、といって、よほど大きな差がないと特異性を唱えるのは難しい気がします。
 更に新聞を見てみますと、日本が高かった項目として、「漫画やドラマなどの大衆文化」62.1%、「携帯電話や携帯メール」50.3%と記事にあって、タイトルにもご丁寧に太明朝で「関心は漫画に携帯電話」と書いてくれています。ではデータはどうかと申しますと、実はこの設問は「非常に関心がある」から「関心がない」まで4段階の中から選ぶというアンケートでした。そして、確かに記事の数字は「非常に関心がある」という数字には違いないのですが、その次の「まあ関心がある」まで加えますと、大衆文化では日本92.8%に対して韓国は88%とこれもあまり大きな差はない。携帯電話も日本85%韓国78.6%。確かに日本は高めですが、タイトルに使うほど差があるとは思えません。それと記事には出ていない「ゲーム」への関心ですと、日本45.5%韓国60.5%と逆転しています。日本は漫画好きだが韓国はゲーム好き。でもその差はごくわずか、というのが正しい報道の書き方ではないかと私は思いました。更に更に、この設問には実は19も項目があって、新聞が記事にしているのはその中のごく一部も一部に過ぎないのです。これはまさに、自分達の主張がまずあって、それにあいそうなデータだけピックアップしてことさらに強調してみせる、マスコミや官僚に通弊のご都合主義的データ読みとりですね。確かにほかのデータを見ていますと新聞の言いたいことを表すような数字も出て参りますけど、各国の国情や国民性も違うでしょうし、このように単純には判断できない数字もあります。考えてみれば人間がそんなに単純な訳がなく、ステレオタイプに色分けしたがるマスコミの単細胞につきあいたくない方は、是非実際の数字に当たって見られることをおすすめします。

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池波正太郎はラノベ作家に上げられるか否か(笑)。

2006-03-01 21:11:18 | Weblog
 二日続いて雨です。一頃から比べれば随分暖かくなって、いっそ濡れるのも気持ちよいくらいですが、夜の雨だけは季節を問わず頂けません。何せまるで前が見えませんから。ただでさえライトが暗くて見づらいのに、ヘルメットのバイザーに付着した水玉に対向車のライトでもうつろうものなら完全に目隠しされたも同然。後続がどうあれとにかく減速して対向車をやり過ごすしかありません。危ないとは思うのですが、自ら見落とした自転車や歩行者に突っ込む位ならよほどましというものです。昨日など、通り道でお通夜があったらしく、喪服を着た人が何人も歩いておりました。固まって歩いてくれている分にはとりあえず気づくことができるのですが、その集団から離れて一人ひょこひょこ歩いているおじいさんが全く目に入らず、左脇30センチ位を通過した瞬間にやっと気づいて心臓が跳ね上がりました。全く、こんな経験は2度としたくないものです。どうか歩行者の方は、雨の夜にバイクが前から走ってきたら、自分のことはまず見えていないと思っていただきたいです。

 さて、今まであまり読まなかったジャンルの本を、この間から読んでいたりします。池波正太郎の「剣客商売」です。私はテレビの時代劇は子供の頃から好きで、ひと頃は毎日のように時代劇ばかり見て過ごしておりましたが、なぜか江戸を舞台にした時代小説は読みませんでした。戦国時代物は好きですし、明治以後の歴史をあつかったものも、主に戦争を中心に楽しんだものですが、その間がぽっかりと抜けているのです。そのわけは、なんだったか忘れましたけど、柴田錬三郎のやつとか幾度か見かけたことがあるのですが、それらがあまり面白いと感じなかったからです。テレビではあれほど派手なチャンバラシーンの躍動感(特に萬屋錦之介豪快な殺陣は大好きでした)がそれら小説の紙面からはほとんど感じられず、拍子抜けというか、つまらない、と思っていたのです。それが何故今頃になって、というわけですが、ふらり立ち寄った古書店で、たまたま「マリみて」の主役の一人島津由乃嬢の愛読書が池波正太郎の「剣客商売」だったのを思い出し、どんなものか一つ読んでみようか、と気まぐれを起こしたのでした。
 結果は、それなりに楽しく読めました。剣を交えるときの緊迫感もなかなかのものですし、文章全体に、次を促すような独特のリズムがあって、飽きがきません。飄々と人生を謳歌する秋山小兵衛翁とストイックな求道者である息子の大治郎、ツンデレ属性の走りじゃないかと思わせる女武芸者佐々木三冬など、それぞれのキャラもはっきりしているのも読みやすくていいと思います。2回読み返しましたけど、ちょっと小暇をもてあました時には格好の本だと思いました・・・って、これってほとんどライトノベルののりではないですか。「マリみて」はじめ、今やライトノベルは書店の一角を埋め尽くすほどの勢いで増殖していますけど、思えばこの手の大衆小説というのは、大体ライトノベルと軌を一にするところが多いのかもしれません。粗製濫造のせいかあんまり読み応えのある本がなくて、当たりを引くのに苦労する、という点もほぼ同じ(笑)。ライトノベルの線引きをどこに持ってくるか、少し友人と話をしたこともあるのですが、今だったら、私は池波正太郎もラノベ作家の一人にあげてしまうかもしれません。なんにせよ、どうやら未開拓の鉱脈を発見したみたいで、しばらくは楽しんでいられそうです。

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