鈴鹿市では検討委員会の答申を受け、市内公立中学校での給食提供の方針を考えると言っています。このことは一概に否定するものではないと思います。しかし、これからの経済社会情勢を考えると、これまで以上に熟考すべき点だと思います。
たしかに給食の提供については、仕事を持つ保護者にとって負担が減るなど、一定の利点になる部分もあると思います。また、給食で一日の食をつなぐ、それが重要な栄養になっている子どもたちにとっても、重要なものだともいえます。考え方によっては、地産地消の流れにもうまくあうかもしれません。
しかし、中学校への給食導入に係るコストを考えるとき、果たして現在の鈴鹿市がとっていく政策としてどうなのかは、慎重に、多面的に議論されるべきと思います。
例えば、学校関係のある方との話では、現在の中学校には配膳のための設備もなく、また食事時間との兼ね合いから、果たしてうまくいくのだろうかという声を聞きました。給食を提供するには、校舎内で階上にそれを運ぶということもありますし、やはり、食中毒などを防止するためにも考えるべきことが多々あるでしょう。
また用地を取得し、施設を建設するコストが十億単位で必要になるのであれば、先に書いた校舎内での運搬用設備の整備も含め、果たして給食という選択が、後々、財政的な負担にならないかとも考えられます。そのコストは現在の子どもたちにも関わることですから、より慎重になるべきと思います。
弁当を作ることは、たしかに負担となる人もいるでしょうが、親の作ってくれた弁当を食べたいと思う子どもたちがいるとすれば、その子どもたちの思いはどこに行くのでしょうか?前日の夕食の残りが弁当に入っていてはいけないのでしょうか。親が弁当を作ることを通じても、地産地消はできるのではないかとも思います。
また例えば、今あるランチサービスをより多様にするような考え方で、それぞれの中学校区にある飲食店に、一定の資格を付与する形で弁当の提供ができるようになるということはどうでしょうか。これであれば、建設コストが抑制できると同時に、地域経済活性化のひとつにもなりえるのではないでしょうか。
私が中学生なら、ときどきおかずを選べるというのは、複数の業者が関係していれば、1日限定数が決まっていても和、洋、中と選ぶことができれば、ひとつの楽しみにもなると思います。数のことについても、関わる業者数が多くなればカバーできるのではないでしょうか。
栄養についてがというのであれば、毎日のメニューに栄養素をそれぞれ書き入れて行うこともできるのではないでしょうか。基本的な情報と食材を提示することで、それぞれの業者で栄養面も含めたメニュー作りはできるのではないでしょうか。
もう少し考えを広げると、このような形で子どもたちの舌になじんだ味は、鈴鹿の味として、ちょうど津の給食から津餃子という流れができたように、子どもたちが大人になったときに、地域の味、鈴鹿独自のグルメを生み出す可能性を秘めているのではないでしょうか。
一方で、このような取り組みをした場合、親が働いていて弁当を作ることができない家庭や、親の収入が少ない場合はどうするのか、親が子育てを放棄している家庭はどうするのかということなどが出てくると思いますが、子どもにとって必要な支援を充実させることには異論はなく、できることを外部化するのであれば、応分の負担はあってしかるべきことと思います。
ともかく‘給食’という言葉にこだわらずに、中学校での食を考えてるべきと思います。
たしかに給食の提供については、仕事を持つ保護者にとって負担が減るなど、一定の利点になる部分もあると思います。また、給食で一日の食をつなぐ、それが重要な栄養になっている子どもたちにとっても、重要なものだともいえます。考え方によっては、地産地消の流れにもうまくあうかもしれません。
しかし、中学校への給食導入に係るコストを考えるとき、果たして現在の鈴鹿市がとっていく政策としてどうなのかは、慎重に、多面的に議論されるべきと思います。
例えば、学校関係のある方との話では、現在の中学校には配膳のための設備もなく、また食事時間との兼ね合いから、果たしてうまくいくのだろうかという声を聞きました。給食を提供するには、校舎内で階上にそれを運ぶということもありますし、やはり、食中毒などを防止するためにも考えるべきことが多々あるでしょう。
また用地を取得し、施設を建設するコストが十億単位で必要になるのであれば、先に書いた校舎内での運搬用設備の整備も含め、果たして給食という選択が、後々、財政的な負担にならないかとも考えられます。そのコストは現在の子どもたちにも関わることですから、より慎重になるべきと思います。
弁当を作ることは、たしかに負担となる人もいるでしょうが、親の作ってくれた弁当を食べたいと思う子どもたちがいるとすれば、その子どもたちの思いはどこに行くのでしょうか?前日の夕食の残りが弁当に入っていてはいけないのでしょうか。親が弁当を作ることを通じても、地産地消はできるのではないかとも思います。
また例えば、今あるランチサービスをより多様にするような考え方で、それぞれの中学校区にある飲食店に、一定の資格を付与する形で弁当の提供ができるようになるということはどうでしょうか。これであれば、建設コストが抑制できると同時に、地域経済活性化のひとつにもなりえるのではないでしょうか。
私が中学生なら、ときどきおかずを選べるというのは、複数の業者が関係していれば、1日限定数が決まっていても和、洋、中と選ぶことができれば、ひとつの楽しみにもなると思います。数のことについても、関わる業者数が多くなればカバーできるのではないでしょうか。
栄養についてがというのであれば、毎日のメニューに栄養素をそれぞれ書き入れて行うこともできるのではないでしょうか。基本的な情報と食材を提示することで、それぞれの業者で栄養面も含めたメニュー作りはできるのではないでしょうか。
もう少し考えを広げると、このような形で子どもたちの舌になじんだ味は、鈴鹿の味として、ちょうど津の給食から津餃子という流れができたように、子どもたちが大人になったときに、地域の味、鈴鹿独自のグルメを生み出す可能性を秘めているのではないでしょうか。
一方で、このような取り組みをした場合、親が働いていて弁当を作ることができない家庭や、親の収入が少ない場合はどうするのか、親が子育てを放棄している家庭はどうするのかということなどが出てくると思いますが、子どもにとって必要な支援を充実させることには異論はなく、できることを外部化するのであれば、応分の負担はあってしかるべきことと思います。
ともかく‘給食’という言葉にこだわらずに、中学校での食を考えてるべきと思います。