鈴鹿市議会議員 中西だいすけの活動日誌

鈴鹿市議会議員として年齢も含め5期目のベテランになりました。日々の活動や感じたこと、議会での動きなどをつづります。

中学への給食

2010年07月20日 17時30分06秒 | Weblog
鈴鹿市では検討委員会の答申を受け、市内公立中学校での給食提供の方針を考えると言っています。このことは一概に否定するものではないと思います。しかし、これからの経済社会情勢を考えると、これまで以上に熟考すべき点だと思います。

たしかに給食の提供については、仕事を持つ保護者にとって負担が減るなど、一定の利点になる部分もあると思います。また、給食で一日の食をつなぐ、それが重要な栄養になっている子どもたちにとっても、重要なものだともいえます。考え方によっては、地産地消の流れにもうまくあうかもしれません。
しかし、中学校への給食導入に係るコストを考えるとき、果たして現在の鈴鹿市がとっていく政策としてどうなのかは、慎重に、多面的に議論されるべきと思います。

例えば、学校関係のある方との話では、現在の中学校には配膳のための設備もなく、また食事時間との兼ね合いから、果たしてうまくいくのだろうかという声を聞きました。給食を提供するには、校舎内で階上にそれを運ぶということもありますし、やはり、食中毒などを防止するためにも考えるべきことが多々あるでしょう。

また用地を取得し、施設を建設するコストが十億単位で必要になるのであれば、先に書いた校舎内での運搬用設備の整備も含め、果たして給食という選択が、後々、財政的な負担にならないかとも考えられます。そのコストは現在の子どもたちにも関わることですから、より慎重になるべきと思います。

弁当を作ることは、たしかに負担となる人もいるでしょうが、親の作ってくれた弁当を食べたいと思う子どもたちがいるとすれば、その子どもたちの思いはどこに行くのでしょうか?前日の夕食の残りが弁当に入っていてはいけないのでしょうか。親が弁当を作ることを通じても、地産地消はできるのではないかとも思います。

また例えば、今あるランチサービスをより多様にするような考え方で、それぞれの中学校区にある飲食店に、一定の資格を付与する形で弁当の提供ができるようになるということはどうでしょうか。これであれば、建設コストが抑制できると同時に、地域経済活性化のひとつにもなりえるのではないでしょうか。

私が中学生なら、ときどきおかずを選べるというのは、複数の業者が関係していれば、1日限定数が決まっていても和、洋、中と選ぶことができれば、ひとつの楽しみにもなると思います。数のことについても、関わる業者数が多くなればカバーできるのではないでしょうか。

栄養についてがというのであれば、毎日のメニューに栄養素をそれぞれ書き入れて行うこともできるのではないでしょうか。基本的な情報と食材を提示することで、それぞれの業者で栄養面も含めたメニュー作りはできるのではないでしょうか。

もう少し考えを広げると、このような形で子どもたちの舌になじんだ味は、鈴鹿の味として、ちょうど津の給食から津餃子という流れができたように、子どもたちが大人になったときに、地域の味、鈴鹿独自のグルメを生み出す可能性を秘めているのではないでしょうか。

一方で、このような取り組みをした場合、親が働いていて弁当を作ることができない家庭や、親の収入が少ない場合はどうするのか、親が子育てを放棄している家庭はどうするのかということなどが出てくると思いますが、子どもにとって必要な支援を充実させることには異論はなく、できることを外部化するのであれば、応分の負担はあってしかるべきことと思います。

ともかく‘給食’という言葉にこだわらずに、中学校での食を考えてるべきと思います。
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ねじれ

2010年07月20日 10時33分00秒 | Weblog
衆議院と参議院の、いわゆるねじれ状態と言われてる状況について、政権運営という視点で見れば、いろいろと問題があるのかもしれないけれど、国会が本当に国民のために審議をすることができるかというところから考えると、もしかすると今は国民にはいい意味で政党や国会を考える時期なのかもしれないと思います。

今求められているのは政局の争いではなくて、閉塞感につつまれているこの日本社会を、どうやって現状をすこしでもよい方向に動かし、未来に向けて展望が持てるようにすることではないでしょうか。
この課題は特定政党、政権与党だけではなく、すべての政党、国会議員が直面しているものであるはずで、どのような立場であれ、解決に取り組まれるべきと思います。

つまり、本当に国民の立場から国会での議論が行われるのか、政党戦略にこだわる議決になってしまうことはないのか、政局を過剰に意識した議員活動になることはないのか、特定政党ということではなく、すべての政党がチェックされるべきと思います。

その観点から今の‘ねじれ’の状況は、国民・市民の目線からすると、日本の政治の転換点として決して悪いものではなく、もしかすると好機かもしれないとさえ思います。

またこの機会に、国会議員の系列と言う形で、地方議員を国政選挙のシステムに組み込むのではなく、すべての政党が、国政と地方を切り離して考えるとき、本当の意味で地方分権、地域主権の世の中になるのではと思います。
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