アメリカのグレンデール市などで起こっていることをご存じでしょうか?
http://www.asahi.com/articles/ASG2V4QB5G2VUHBI012.html
この記事は朝日新聞で取り上げられた記事ですが、このようなことが起こっています。ちなみに個人的には、この記事も少し偏向している部分があるのではと思ったりしますが。。。
記事中に“ 米国人の白人男性は「これは日本対韓国の像ではなく、戦時中に辱めを受けた全女性の像だ。今日の日本がひどい国だという意味ではない」と述べ、 ”という部分がありますが、よくよく考えれば、この発言自体がおかしいと感じます。全女性であるならば、特定の国に特徴的なデザインを採用することはないでしょう。しかも、同様の像が韓国にある日本大使館前にもたしか設置されていたはずで、そうなるとそのデザインは特定の思想のもとにあるといえるでしょう。
記事についてはここまでにします。
ともかくこの件から見えてくるのは、移民がはらむ課題や多文化共生の難しさの面だと思います。
グレンデール市の状況で考えることは、住民の中には日系の人たちもいるということです。
この状況をかなり単純化すると、グレンデール市住民には“ 日系 ”、“ 韓国系 ”、“ それら以外の文化を背景とした人たち ”がいるわけです。そうとらえると、今回のことであれば日系のコミュニティの人たちを尊重することも大切と思いますがどうでしょう。多様な背景を持つ人たちを尊重しているとは思えません。
先に挙げた新聞記事では、そのような像の設置に対して抵抗感を持つ人たちのことがほとんど書かれていおらず、そういう部分にも偏りを感じるのです。
また、そのような人ばかりではないと思いますが、同じコミュニティを背景とする移民の人たちの数がある程度の勢力を持つ規模になったとき、そのコミュニティの価値観を押し出すことになりがちなのでしょう。
グレンデールでの像設置の件は、像に対して持っている韓国系の方々の価値観が、その他のアメリカ人の人たちにとって直接的に関係することでないから起こった事案だと思います。そのような状況の中で、数を背景に自分たちの思想を広めていくことで多数派を形成していく、だからこそ先に挙げた言葉が出てきたりするのだと思います。もしこれが韓国系アメリカ人以外の人たちにとって脅威となる価値観であれば、相当な摩擦が起こっていたのではないでしょうか。
重ねて書きますが、ここでグレンデール市でのことについて是非をいうつもりはありません。
また、私は移民について懐疑的に考えてはいても否定するわけではありませんし、多文化共生についても大切なことだと思います。
ですが、このような事案から垣間見えてくる移民や多文化共生のむずかしさについて、目をそらしたり無関心であったり、理想の部分だけをとらえるだけではいけないと思います。まして、むずかしさを隠しながら政策として選択することは、将来世代に対する冒涜かもしれないと思います。
http://www.asahi.com/articles/ASG2V4QB5G2VUHBI012.html
この記事は朝日新聞で取り上げられた記事ですが、このようなことが起こっています。ちなみに個人的には、この記事も少し偏向している部分があるのではと思ったりしますが。。。
記事中に“ 米国人の白人男性は「これは日本対韓国の像ではなく、戦時中に辱めを受けた全女性の像だ。今日の日本がひどい国だという意味ではない」と述べ、 ”という部分がありますが、よくよく考えれば、この発言自体がおかしいと感じます。全女性であるならば、特定の国に特徴的なデザインを採用することはないでしょう。しかも、同様の像が韓国にある日本大使館前にもたしか設置されていたはずで、そうなるとそのデザインは特定の思想のもとにあるといえるでしょう。
記事についてはここまでにします。
ともかくこの件から見えてくるのは、移民がはらむ課題や多文化共生の難しさの面だと思います。
グレンデール市の状況で考えることは、住民の中には日系の人たちもいるということです。
この状況をかなり単純化すると、グレンデール市住民には“ 日系 ”、“ 韓国系 ”、“ それら以外の文化を背景とした人たち ”がいるわけです。そうとらえると、今回のことであれば日系のコミュニティの人たちを尊重することも大切と思いますがどうでしょう。多様な背景を持つ人たちを尊重しているとは思えません。
先に挙げた新聞記事では、そのような像の設置に対して抵抗感を持つ人たちのことがほとんど書かれていおらず、そういう部分にも偏りを感じるのです。
また、そのような人ばかりではないと思いますが、同じコミュニティを背景とする移民の人たちの数がある程度の勢力を持つ規模になったとき、そのコミュニティの価値観を押し出すことになりがちなのでしょう。
グレンデールでの像設置の件は、像に対して持っている韓国系の方々の価値観が、その他のアメリカ人の人たちにとって直接的に関係することでないから起こった事案だと思います。そのような状況の中で、数を背景に自分たちの思想を広めていくことで多数派を形成していく、だからこそ先に挙げた言葉が出てきたりするのだと思います。もしこれが韓国系アメリカ人以外の人たちにとって脅威となる価値観であれば、相当な摩擦が起こっていたのではないでしょうか。
重ねて書きますが、ここでグレンデール市でのことについて是非をいうつもりはありません。
また、私は移民について懐疑的に考えてはいても否定するわけではありませんし、多文化共生についても大切なことだと思います。
ですが、このような事案から垣間見えてくる移民や多文化共生のむずかしさについて、目をそらしたり無関心であったり、理想の部分だけをとらえるだけではいけないと思います。まして、むずかしさを隠しながら政策として選択することは、将来世代に対する冒涜かもしれないと思います。