日本の国はここがおかしい

将来の希望を失いつつある日本。国民が安心して生活できる国になるにはどうすればいいか

立憲政治を破壊する元凶、憲法9条という遵守不可能な条文(再掲)

2021-08-31 09:43:17 | 安全保障
日本国憲法の誕生以来、憲法9条の解釈は変更されつづけ、今回遂に限界に達し、憲法自体の存在意義が失われようとしている。

何故こんなことになったのか、その理由は実に簡単で実現不可能な項目を憲法に盛り込んだからである。

元々アメリカが憲法原案を作成した当時、最大の狙いは日本を再びアメリカの脅威になるような戦争のできる国にしないことであった。

作成当時の憲法9条は文字通り全ての軍事力を放棄し全ての自衛権を否定するものとして作られた。日本はア
メリカの占領下にあるのだから、日本を守るのはアメリカであり、日本に個別的自衛権を行使する軍事力は必要なかった。

この認識は日本側も同様で憲法発布前の1946年6月8日の衆議院委員会で当時の吉田首相は「戦争放棄に関する本案の規定は、直接には自衛権を否定はしておりませぬが、第9条第2項において一切の軍備と国の交戦権を認めない結果、自衛権の発動としての戦争も、また交戦権も放棄したのであります。」と説明している。

憲法解釈が変わったのは朝鮮戦争の勃発からである。米国の占領統治下で、朝鮮戦争に参戦する米軍の後方基地と日本が位置づけられ、アメリカの政策で再軍備を強いられ、1950年8月10日、日本は警察予備隊を設置し再軍備に踏み切る。

しかし、この当時はまだ憲法の文言を無視できず、あくまでも軍隊ではなく警察の一部であると強調している。

1951年9月に日本は独立するが、日本の防衛は日米安全保障条約の下にアメリカに依存することになった。
保安庁新設に伴い、1951年11月に政府は、「憲法第9条第2項は,侵略の目的たると自衛の目的たるとを問わず「戦力」の保持を禁止している」としたうえで、「戦力」とは「近代戦争遂行に役立つ程度の装備、編成を具えるものをいう」ので、「近代戦争を有効に遂行し得る程度のものでない」保安隊は戦力ではないという統一見解を発表している。

既に兵員12万人に達していたが、戦力ではないという詭弁を貫いたのである。

1954年7月に自衛隊が発足したが、その規模と質は既に、戦力ではない、という詭弁を許さない水準に達していた。

この年に成立した鳩山内閣は、憲法9条の見解を以下のように改め、自衛隊は憲法に違反しない、つまり合憲だという統一見解を発表した。
1.自衛権は、国が独立国である以上、その国が 当然に保有する権利である。憲法はこれを 否定していない。したがって、現行憲法の 下で、わが国が、自衛権を持っていることは、 極めて明白である。
2.憲法は、戦争を放棄したが、自衛のための抗争は放棄していない

この時点で初めて憲法は個別的自衛権を容認していると、憲法解釈が変更されたのである。

このように、主にアメリカの都合による要請に応じる形で憲法解釈が変更され本来の文言とかけ離れたものとなっていったが、それ自体は日本の国益にも合致していた。

安倍内閣当時の集団的自衛権を容認する安保法案に対する強硬姿勢の裏には、本人の安保法案への執着もある、日本を対中国戦略の一環として利用したいアメリカの意向が大きく働いていることは間違いない。

しかし、一方でアメリカの軍事力への依存がないとすれば、国が自衛のための軍隊を持つのは当然のことである。

本来はアメリカからの独立の時に憲法改正し自前の軍事力を保持できるように憲法改正を実施すべきであった。

それができなかったがために、日本を取り巻く環境変化の中で冷戦時代以上に日本独自の軍備の必要性が増す状況下の中で、憲法解釈がますます憲法条文を無視したものとなり、政府の独走を抑える憲法本来の役割が失われてきた。

日本に敵意を持ち、日本を滅ぼす軍事力を保有する中国とそれに追随する韓国が隣国として存在する現状を冷静に考慮すれば、日本が自前の行使できる軍事力を必要とするのは必然であり、そのためには安保法制のような制限された軍事力ではなく、憲法を改正し攻撃能力を有する軍事力を保有することが必要である。

現在の自衛隊の戦力はアメリカ軍の存在を前提としたものであり、アメリカ軍の協力が無ければ中国軍は勿論北朝鮮軍にも対処できない。

自前の軍事衛星、自前の攻撃・防衛ミサイル、アメリカからの部品供給がストップしても利用できる航空機や艦船を保有しない限り、日本は何時までたってもアメリカに隷従せざるをえず、真の独立国にはなれない。
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