経済学の教科書には、人手不足になれば、労働市場の価格メカニズムにしたがって、賃金に上昇傾向が生まれると、きまって記されている。しかし、日本の現実は、教科書の指摘とはおよそほど遠い。深刻な人手不足なのに、いつまでも賃金が上がらないことが問題視されている。
しかし、日本の現状を鑑みれば賃金が上がらないのはむしろ当然と言える。
経済学では価格が需要と供給で決定されるとされているが、この前提には価格が自由に変更でき、価格が上昇すれば需要が減り供給が増え、価格が低下すれば需要が増加し供給が減少する、というように価格、需要、供給が自由に変動することを暗黙の了解としている。
しかし、現実の日本経済では労働者の絶対数は不足しているが賃金が上がったからといって労働力が増やせる状況にはない。一方日本企業の商品やサービスは付加価値の低いものが多く利益率も低い為、原価としての人件費を上げる余力は少ない。
バブル崩壊後の長期不況の後、日本企業がなんとか立ち直ってきたのは、画期的な製品やサービスを開発したからではなく、非正規化による賃金の下落や過度な円高からの脱却により価格競争力が増したからにほかならない。
1980年代と異なり、日本の製品と他のアジア諸国の製品との格差は縮小しており、日本の優位さは価格の割に性能が少し良いという程度に留まっている。
製品やサービスの絶対的な優位が無いため、どんなに人手不足になっても大幅な賃上げをする余力はない。これを受け安倍政権は女性活躍社会を標榜し、女性を家庭から追い出し低賃金労働者として労働市場に送り出す政策を推進している。また、年金の開始年齢を繰下げその間低賃金労働者として再雇用するのもその政策の一環である。
団塊世代の大量退職と少子化による労働人口の減少が人手不足を招いているが、日本企業に賃上げ余地は無く、立場の弱く組織化されていない派遣社員やパート等の非正規労働者は、企業との交渉能力がなく、人手不足という追い風があっても、賃上げを勝ち取ることはできない。
日本企業が、製品やサービスの優越性ではなく、非正規社員という、いつでも解雇できる低賃金労働者による価格競争力に頼っている限り、どんなに人手不足になっても賃金を上げる余裕はない。
しかし、日本の現状を鑑みれば賃金が上がらないのはむしろ当然と言える。
経済学では価格が需要と供給で決定されるとされているが、この前提には価格が自由に変更でき、価格が上昇すれば需要が減り供給が増え、価格が低下すれば需要が増加し供給が減少する、というように価格、需要、供給が自由に変動することを暗黙の了解としている。
しかし、現実の日本経済では労働者の絶対数は不足しているが賃金が上がったからといって労働力が増やせる状況にはない。一方日本企業の商品やサービスは付加価値の低いものが多く利益率も低い為、原価としての人件費を上げる余力は少ない。
バブル崩壊後の長期不況の後、日本企業がなんとか立ち直ってきたのは、画期的な製品やサービスを開発したからではなく、非正規化による賃金の下落や過度な円高からの脱却により価格競争力が増したからにほかならない。
1980年代と異なり、日本の製品と他のアジア諸国の製品との格差は縮小しており、日本の優位さは価格の割に性能が少し良いという程度に留まっている。
製品やサービスの絶対的な優位が無いため、どんなに人手不足になっても大幅な賃上げをする余力はない。これを受け安倍政権は女性活躍社会を標榜し、女性を家庭から追い出し低賃金労働者として労働市場に送り出す政策を推進している。また、年金の開始年齢を繰下げその間低賃金労働者として再雇用するのもその政策の一環である。
団塊世代の大量退職と少子化による労働人口の減少が人手不足を招いているが、日本企業に賃上げ余地は無く、立場の弱く組織化されていない派遣社員やパート等の非正規労働者は、企業との交渉能力がなく、人手不足という追い風があっても、賃上げを勝ち取ることはできない。
日本企業が、製品やサービスの優越性ではなく、非正規社員という、いつでも解雇できる低賃金労働者による価格競争力に頼っている限り、どんなに人手不足になっても賃金を上げる余裕はない。