今日、最後のお別れがありまして・・・。仲が良かった母方の叔母と。
私がこの世に産婆さんの手によって生を受けた折、立ち会ってくれた叔母を、52年経って
この世から「おくる」ことに。
この世から去らなければいけないことは丁度、1年前から分かってはいたのですが、いざ
この時を迎えるとなると辛いものです。
臨命終時も家族以外の親戚筋で、私だけ立ち合わせて頂きました。
母方の兄弟でのいざこざやもめ事の折も、何故か母の味方には付かずこの叔母の味方として
援護し母に意見をしたことも多々あります。
救急車で運ばれた折も駆けつけ、叔母の娘から臨終が間近であるので来て欲しいと呼ばれ
駆けつけ、ここ数日間は駆け回っておりました。
「おくる」ということに慣れていない家族に代わり、通夜告別式と妻と二人で裏方に徹し、二人で
出来うることに務めてきました。
いつもの流れ作業のように進められる「おくる」という事の段取りが何故か分かってしまう
自分に呆れ、悲しむ間もなく物事が進められることに、いつも違和感を抱きつつも仕方が
ないことと、自身を納得させなければいけない現実。
「おくる」ということの難しさを、いつも痛感しますね・・・。