ルイガノ旅日記

あちこち出かけた場所で目にとまったもの、
心惹かれたものを紹介しています。
よかったらおつきあい下さい。

謹賀新年 2019

2019年01月01日 | 北九州
明けましておめでとうございます。平成31年がさわやかに幕をあけました。今年は災害もなく、穏やかな一年となりますよう願っています。


先月23日、毎年恒例の餅つきが行われた小倉城。例年なら、つきあげた大鏡餅を城内に飾るのですが、今年はエレベータ新設や展示リニューアル工事が行われているため、小倉城庭園に置かれているそうです。


威風堂々の天守閣。小倉城が一番小倉城らしくて、一番好きなアングルです。


久しぶりに小倉城庭園にも入ってみました。


「小笠原会館」とも呼ばれるこの建物と庭園は、肥後に移った細川忠興の後に小倉藩主となった小笠原家の別邸跡を復元したもので、客を迎える迎賓館のような位置づけだったそうです。


冬の間、彩りの少ない庭園にあって、唯一まんりょうが鮮やかな実をつけていました。


入口から奥を見たところ。受付から待機の間、そして当主が待つ謁見の間と進むにつれ、天井や欄間の造りが豪華になっていくのだそうです。この日は、結婚式の前撮りが行われていました。


こちらが謁見の間。当主が座る部分が一段高く作られています。


小笠原家の家紋が使わていれると思われがちですが、復元した際、北九州市のシンボルであるひまわりをデザインした釘隠しが採用されたのだとスタッフの方が教えてくれました。


小倉城庭園から望む小倉城。この池は、江戸時代には海とつながっており、満潮時には沈下して見えない橋(3本架かっている橋のひとつ)が、潮が引くと姿を現すよう設計されていたそうです。


大きくて色あざやかな鯉が悠々と泳いでいました。


続いて、細川忠興が創建し、スサノオノミコトを祀る八坂神社へ。正門の大鳥居のすぐ先に木製の鳥居が続いています。その間にある大きな岩は、「にらみ石」と呼ばれます。


境内に面した東の楼門ほど大きくありませんが、こちらが正面の楼門です。


大きな拝殿。鈴を鳴らす鈴緒(すずのお)が9本も・・・・・・。


神社の屋根は、斜めから見たほうが風格があるような気がします。


こちらが東楼門。正月三が日を除いて、この門を通って車が境内に出入りできるそうです。


「利休七哲 三斎の井」とあります。「利休七哲」とは、前田利家、蒲生氏郷、細川忠興、古田織部ら、千利休の高弟七人を指しますが、時代によって構成が変わり、一貫して含まれるのは、蒲生氏郷と細川忠興の二人だそうです。また、「三斎」とは、初代小倉藩主 細川忠興の茶名で、おそらく、忠興が使った井戸がここに掘られていたものと思われます。


参道にあるそろばん状の百度石。お百度参りをする人が回数を間違えないように作られたものです。百度参りとは、社寺の入口から拝殿・本堂まで行って参拝し、また入口まで戻るのを百度繰り返すこと。「お百度を踏む」とも言われますね。隣には、小倉の俳人 丸橋静子の句碑「月仰ぐ 一途に生きし 来し方よ」。西小倉駅から小倉駅、旦過市場などに囲まれるエリアには、このほかにも様々な文学者ゆかりの碑がたくさんあり、「小倉 文学の散歩道」なんて呼ばれています。


浅草アメシンの今年の干支「亥」の飴細工。東京から帰省した姪のお土産です。


さっそく玄関に飾ってみました。ウリ坊、可愛すぎて食べられません(笑)


早いもので、『ルイガノ旅日記』を始めて12年になります。干支を一巡して、再び「亥」に戻ってきました。ポタリング(気軽に自転車で移動すること。速度や距離、運動強度は求めない乗り方)であちこち走りながら、目についたものや心惹かれたものを写真に撮り、記録に残したいというのが、ブログ開設の動機でした。ブログタイトルの「ルイガノ(LOUIS GARNEAU)」とは、この当時購入した自転車(ルイガノDW-3)のメーカー名で、ルイガノとともに出かけるプチ旅の記録という意味で『ルイガノ旅日記』と名づけました。今では自転車には乗らなくなり、ルイガノも手離してしまいましたが、未だにあの自転車には懐かしさや愛着があって、タイトルを変える気になれません (^-^)ゞ
という訳で、当初の趣旨から少し外れてきたものの、引き続き心惹かれたもの、美味しかったものを撮っていきたいと思いますので、今年もよろしくお願いします (^-^)ゞ

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コメント (2)
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