大学の同期生がこちらに出張してきたので、芦屋町にある「芦屋釜の里」を案内しました。
「芦屋釜」とは、今の芦屋町で造られ、かつては一世を風靡した茶の湯釜のこと。戦国大名大内氏の庇護を受けて発展した芦屋釜は、京都の貴族たちの間で名声を博し室町時代を中心に隆盛を極めました。しかし、大内氏滅亡後は次第に衰退の道を辿り、江戸時代初期には遂に途絶えて、歴史の舞台から姿を消してしまいました。それでも芦屋釜は、重要文化財として国が指定する9個の茶の湯釜のうち8個を占めるなど、今なお高い評価を受けています。
芦屋釜の里は、そんな芦屋釜の復興を目指す施設。四季折々の花が咲く約3000坪の日本庭園内には、芦屋鋳物師復興工房のほか、芦屋釜の里資料館、大茶室「蘆庵(ろあん)」や小茶室「吟風亭(ぎんぷうてい)」などがあります。
名工の技を現代に再興する芦屋鋳物師復興工房。
タイミングが良ければ製作中の場面を見学できます。
鋳型の製作中だった八木孝弘さんが手を休めて、芦屋釜や復興工房について説明してくださいました。
湯釜が茶道には欠くことのできない大事な道具であることから、芦屋釜の里では、お茶の文化を大切にするために誰でも利用できる大小二つの茶室を備え、一般に開放しています(有料)。
裏山を背に建つ吟風亭は、露地やにじり口を備えた四畳半の小茶室。茅葺のように見える屋根には、芦屋の地名に因んで葦(あし)が使われているそうです。
庭に密生する杉苔。杉苔は吸音効果に優れ、あたりにひっそりとした静寂をもたらすのだそうです。
回遊式庭園の奥まったところには、分厚い萱葺き屋根の東屋が建てられています。
池越しに見る大茶室、蘆庵。池は芦屋町が面する玄界灘を、中洲のような島は芦屋町の奇観「堂山・洞山」を表しているそうです。
茶室を取り囲む広くて開放感のある縁側。池にせり出したデッキから、美しい庭園を一望できます。
大寄せの茶会にも対応できる25畳の茶室。例年、この茶室を使ったミニコンサートが春と秋の2回行われるのですが、コロナ禍に見舞われた今年は、いずれも中止となりました。
芦屋釜資料館では、芦屋釜の歴史や製造方法などを映像や展示を通じて紹介しています。
現代の技術で製作された芦屋釜などの展示室。
芦屋釜の里が保有する重要文化財の釜を、現代の芦屋釜職人が復元した霰地真形釜(あられじしんなりがま)。工房で芦屋釜について説明してくださった八木孝弘さんの作品です。(「霰」とは、小さな方形が整然と配列された文様のこと)
こちらも重文を復元したもの。霰地に、楓や鹿が描かれた霰地楓鹿図真形釜(あられじかえでしかずしんなりがま)。
亀甲文真形釜(きっこうもんしんなりがま)。こちらも八木孝弘さんの作品です。
肩衝型の湯釜。霰地に竹の葉を配した霰地竹ノ葉肩衝釜(あられじたけのはかたつきがま)。
抹茶とお菓子をいただくことができる立礼席(入場料とは別に300円)
私たちも、美味しい抹茶と干菓子でひと息つきました。
芦屋釜の里から車で5分、柏原漁港の先にある堂山・洞山(先ほどの池で島として表現されていたもの)。以前は、二つの独立した小島だったようですが、今は陸続きになっており、干潮時は歩いて渡ることができます。
沖側の洞山には、横幅・高さとも10m以上、奥行きは30mはありそうな洞穴があります。神功皇后が戦に行く途中、芦屋に立ち寄り必勝を誓って矢を射ると、その矢が島を貫通した名残りと伝えられる洞穴です。実は、長い年月をかけて波の侵食によってできたものだそうです。
西の空が金色に染まり始めました。むさくるしいオジサン二人連れには似つかわしくない美しい夕焼けでした (^-^)ゞ
理由は定かではありませんが、江戸時代には廃れて歴史の舞台から消えてしまった芦屋釜。国の重要文化財に指定された茶釜9個のうち8個までが芦屋釜というエピソードは、往時の芦屋鋳物師の技術力、芸術性の高さを物語るものでしょう。
芦屋釜の里では、全国に残る芦屋釜の調査・研究を基に、16年もの歳月をかけて芦屋釜の復元と鋳物師の養成を行っています。芦屋町や職人さん達の努力によって、芦屋釜が復興しつつあるというのは素晴らしいことですね。
「芦屋釜」とは、今の芦屋町で造られ、かつては一世を風靡した茶の湯釜のこと。戦国大名大内氏の庇護を受けて発展した芦屋釜は、京都の貴族たちの間で名声を博し室町時代を中心に隆盛を極めました。しかし、大内氏滅亡後は次第に衰退の道を辿り、江戸時代初期には遂に途絶えて、歴史の舞台から姿を消してしまいました。それでも芦屋釜は、重要文化財として国が指定する9個の茶の湯釜のうち8個を占めるなど、今なお高い評価を受けています。
芦屋釜の里は、そんな芦屋釜の復興を目指す施設。四季折々の花が咲く約3000坪の日本庭園内には、芦屋鋳物師復興工房のほか、芦屋釜の里資料館、大茶室「蘆庵(ろあん)」や小茶室「吟風亭(ぎんぷうてい)」などがあります。
名工の技を現代に再興する芦屋鋳物師復興工房。
タイミングが良ければ製作中の場面を見学できます。
鋳型の製作中だった八木孝弘さんが手を休めて、芦屋釜や復興工房について説明してくださいました。
湯釜が茶道には欠くことのできない大事な道具であることから、芦屋釜の里では、お茶の文化を大切にするために誰でも利用できる大小二つの茶室を備え、一般に開放しています(有料)。
裏山を背に建つ吟風亭は、露地やにじり口を備えた四畳半の小茶室。茅葺のように見える屋根には、芦屋の地名に因んで葦(あし)が使われているそうです。
庭に密生する杉苔。杉苔は吸音効果に優れ、あたりにひっそりとした静寂をもたらすのだそうです。
回遊式庭園の奥まったところには、分厚い萱葺き屋根の東屋が建てられています。
池越しに見る大茶室、蘆庵。池は芦屋町が面する玄界灘を、中洲のような島は芦屋町の奇観「堂山・洞山」を表しているそうです。
茶室を取り囲む広くて開放感のある縁側。池にせり出したデッキから、美しい庭園を一望できます。
大寄せの茶会にも対応できる25畳の茶室。例年、この茶室を使ったミニコンサートが春と秋の2回行われるのですが、コロナ禍に見舞われた今年は、いずれも中止となりました。
芦屋釜資料館では、芦屋釜の歴史や製造方法などを映像や展示を通じて紹介しています。
現代の技術で製作された芦屋釜などの展示室。
芦屋釜の里が保有する重要文化財の釜を、現代の芦屋釜職人が復元した霰地真形釜(あられじしんなりがま)。工房で芦屋釜について説明してくださった八木孝弘さんの作品です。(「霰」とは、小さな方形が整然と配列された文様のこと)
こちらも重文を復元したもの。霰地に、楓や鹿が描かれた霰地楓鹿図真形釜(あられじかえでしかずしんなりがま)。
亀甲文真形釜(きっこうもんしんなりがま)。こちらも八木孝弘さんの作品です。
肩衝型の湯釜。霰地に竹の葉を配した霰地竹ノ葉肩衝釜(あられじたけのはかたつきがま)。
抹茶とお菓子をいただくことができる立礼席(入場料とは別に300円)
私たちも、美味しい抹茶と干菓子でひと息つきました。
芦屋釜の里から車で5分、柏原漁港の先にある堂山・洞山(先ほどの池で島として表現されていたもの)。以前は、二つの独立した小島だったようですが、今は陸続きになっており、干潮時は歩いて渡ることができます。
沖側の洞山には、横幅・高さとも10m以上、奥行きは30mはありそうな洞穴があります。神功皇后が戦に行く途中、芦屋に立ち寄り必勝を誓って矢を射ると、その矢が島を貫通した名残りと伝えられる洞穴です。実は、長い年月をかけて波の侵食によってできたものだそうです。
西の空が金色に染まり始めました。むさくるしいオジサン二人連れには似つかわしくない美しい夕焼けでした (^-^)ゞ
理由は定かではありませんが、江戸時代には廃れて歴史の舞台から消えてしまった芦屋釜。国の重要文化財に指定された茶釜9個のうち8個までが芦屋釜というエピソードは、往時の芦屋鋳物師の技術力、芸術性の高さを物語るものでしょう。
芦屋釜の里では、全国に残る芦屋釜の調査・研究を基に、16年もの歳月をかけて芦屋釜の復元と鋳物師の養成を行っています。芦屋町や職人さん達の努力によって、芦屋釜が復興しつつあるというのは素晴らしいことですね。