Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

未来を乗り換えた男

2019年01月26日 | 映画
 ドイツの作家アンナ・ゼーガース(1900‐1983)の代表作の一つ「トランジット」が映画化されたので、観に行った。映画の原題はゼーガースの小説と同じ「トランジット」だが、邦題は「未来を乗り換えた男」となっている。「未来」を「乗り換えた」という言葉のつながりが、日本語として落ち着かない気がするが、トランジットという原題からの苦肉の策なのかもしれない。

 ともかく、本作はゼーガースの小説の映画化なのだが、単なる映画化ではなくて、時を現代に移している。ゼーガースの小説は、ナチスに追われた作者が、ナチス占領下のパリを脱出して、マルセイユ経由でメキシコに逃れる実体験を書いたものだが(残念ながら、わたしは原作を読んでいないので、資料に基づく知識だが)、映画では上述のように時を現代に移し、さらにナチス時代のユダヤ人迫害を現代の難民問題に置き換えている。

 現代のパリとマルセイユを舞台にした映画で、フランスが再びドイツ軍に占領されるという設定がリアリティを持ちうるか、という点がまずわたしの興味の的だった。

 その点に関していえば、リアリティは希薄だったと言わざるを得ない。とくに本作で大きなウェイトを占めるマルセイユの場面では、のんびりした日常風景が(それはマルセイユでロケした実景だ)、ドイツ軍がリヨンを越えてマルセイユに近づいているという設定の緊迫感を薄めた。

 もう一つ、先年の映画「帰ってきたヒトラー」で大きく取り上げられた難民問題が、本作ではどう扱われているか、という点にも興味を持っていたが(「帰ってきたヒトラー」では、ナチス当時のユダヤ人問題と現代の難民問題との相似性にゾッとしたものだ)、その点についても掘り下げが足りないと感じた。

 それらの点で、本作はわたしには満足できなかった。着想はおもしろいのだが、表面的な扱いに終わったように思った。

 本当は(もしわたしがゼーガースの原作を読んでいたら)、原作がどのように翻案されたかという観点から、興味深い点を発見できたのかもしれないが、それは(残念ながら)不勉強なわたしの力に余ることだった。

 本作での収穫は、ファシズム化するドイツから逃れるドイツ人男性を演じたフランツ・ロゴフスキの繊細な演技と、数奇な運命でその男性とめぐり合うドイツ人女性を演じたパウラ・ベーアの襞の多い演技だ。その二人の瑞々しい演技が本作を支えた。
(2019.1.25.新宿武蔵野館)
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ガンジスに還る

2018年11月07日 | 映画
 あれはなんの映画だったか、今ではもう記憶にないが、なにかの映画を観にいったとき、遠藤周作原作の映画「深い河」(熊井啓監督)の予告編を観た。短い映像だったが、その中のガンジス河に沐浴する人々のシーンが、今も記憶に残っている。調べてみると、その映画は1995年の製作なので、今から20年以上も前のことだ。

 そのせいだろうか、新聞で映画「ガンジスに還る」の紹介を読んだとき、観てみたいと思った。ヒンドゥー教の聖地「バラナシ」。ガンジス河に面したその地で死ぬと解脱を得られるという。本作はそのバラナシを訪れる父と息子の物語。

 父ダヤは、自らの死期を悟り、家族に「バラナシへ行く」と告げる。戸惑う家族。仕方なく、息子ラジーヴが仕事を休んで、付き添うことになる。バラナシに着いた二人は、安らかな死を迎えようと同地を訪れる人々のための宿「解脱の家」に部屋を取る。父と息子のぎくしゃくした生活が始まる。

 宿の規則では、滞在は最長15日とされているが、すでに18年間も滞在している老女がいる。それがいかにもインドだな、と感じるのは、わたしの偏見が混じっているかもしれないが、ともかく一筋縄ではいかない混沌とした日常がそこにある。

 本作には父と息子の和解の物語という側面があることは、容易に想像がつくと思うが、その和解のプロセスが、ゆっくりと、行きつ戻りつしながら描かれる。わたし自身の亡父との想い出も蘇ってきた。それはわたしだけではなく、多くの男たちの永遠のテーマだろう。

 また本作は聖地バラナシを、宗教的に特別な意味をもつ地であるよりも、そこに集まる(観光客を含めた)多くの人々を相手にして聖地ビジネス(上記の「解脱の家」もその一例だ)で成り立っている地として、ユーモアを交えて描いている。その「俗っぽさ」が生きいきとしている。

 そういう描き方ができたのは、監督がインド人だからだろう。外国人だったらそうはいかなかったと思う。監督はシュバシシュ・ブティアニという1991年生まれの若い人だが、若さの気負いとか、思い込みとか、そういったことは一切なく、肩の力を抜いた、心の襞の多い作品になっている。

 息子ラジーヴを演じているのはアディル・フセイン。父との葛藤、家族との軋轢、仕事の悩みなど、多くの心配事を抱えた男を繊細に演じていて共感できる。
(2018.11.6.岩波ホール)
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ゲッベルスと私

2018年07月13日 | 映画
 ナチス・ドイツの宣伝相ゲッベルス。ヒトラー体制を作り上げ、支えた一人。ヒトラーが自殺した翌日(1945年5月1日)に、ヒトラーの後を追うように自殺した。

 ゲッベルスの秘書は5人いたそうだ。その一人がブルンヒルデ・ポムゼル(1911‐2017)。そのポムゼルが103歳の時にインタビューに答えた。それが本作。自身の生い立ちからゲッベルスの秘書になるまでの経緯、ゲッベルスの印象、ナチス体制下で何を考え、また考えなかったか、その他ナチスの時代を生きた想い出が語られる。

 写真(↑)で見るポムゼルは、弱々しい老人に見えるかもしれないが、映画で見るポムゼルは、言葉が明瞭で淀みなく、とても103歳とは思えない。嘘やごまかしは、たぶん言っていないだろうと感じられる。

 プログラムに1枚だけ若いころの写真が載っている。黒っぽいスーツを着て、眼鏡をかけ、微笑を浮かべている。知的で、聡明で、有能そうに見える。仕事で一目置かれるタイプかもしれない。だからこそゲッベルスの秘書に抜擢されたのだろう。

 ついでに言うと、戦後はドイツ公共放送連盟で働き、編成局長の秘書を務めたそうだ。根っからの秘書タイプ、それも有能な秘書だったのだろう。そのような人物がナチス時代をどう生きたか。自ら「政治には無関心」と言い、「物事を深く考えない」性格だという彼女が、有能さゆえにナチス体制を支えた。当時そういう人々が無数にいただろう、その一人だったと、今では見える。

 最近わたしは「集団としての悪」ということを考えるようになった。一人ひとりは凡庸だが(断るまでもないが、「凡庸」という言葉はハンナ・アーレントの「悪の凡庸さ」の引用だ)、それらの人々が職務に忠実で、それなりの能力を発揮するとき、集団として悪を出現させてしまう事象だ。

 一人ひとりは「悪」に無自覚なので、悪が崩壊したときでも、自分に罪があるとは思わない。自分に罪があるなら、みんなもそうだ、と。アイヒマンがそうだったように、ポムゼルも然り。日本の場合も同様の人々は沢山いただろう。無自覚ゆえに、繰り返される可能性がある。今の日本はかなり危ない。

 本作はオーストリアの映画プロダクションの制作だが、自国では「負の歴史をあえて映画で振り返る必要はない」という批判的な評価が目立ったそうだ。もし同種の映画が日本で制作されたら、やはり「反日」と攻撃されるだろう。
(2018.7.10.岩波ホール)
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わたしは、幸福(フェリシテ)

2017年12月28日 | 映画
 樋口裕一氏のブログに惹かれて、映画「わたしは、幸福(フェリシテ)」を観にいった。映画に行くのは久しぶり。観たい映画はいくつかあったが、ほとんど見逃した。出不精になっている。

 この映画を観にいったのは、アフリカが舞台だから。コンゴ民主共和国(旧ザイール)の首都キンシャサが舞台の物語。場末のバーの歌手フェリシテの息子が、交通事故に遭う。電話を受けて病院に駆け付けたフェリシテに、医師はいう。「金を払わなければ、手術はできない」と。

 フェリシテはキンシャサ中を奔走する。親戚はもちろん、前に金を貸したのに返してくれない男や女、さらには別れた夫、そして見ず知らずの金持ちの家まで訪問する(訪問するというよりは、押しかけるといったほうがよい)。なりふり構わず金を求めるフェリシテにたいして、人々は優しくない。だが、フェリシテも必死だ。けっしてめげない。

 その過程でフェリシテの人間性が浮かび上がる。膝を屈して懇願したりはしない。恵みを乞うようなこともしない。誇り高いというよりも、むしろ世間と妥協することを知らず、自分を押し通す、といったほうがよい。今の日本では生きていくのが難しいタイプ。わたしはそんなフェリシテに惹かれていった。

 フェリシテが生きていけるのは、キンシャサだから。貧しく、猥雑で、不正がまかり通るキンシャサ。だれもが他人のことなど忖度せず、自分流に生きている。そんな社会が生々しく描かれる。この映画の主人公は、フェリシテであるのと同等に、むしろそれ以上に、キンシャサかもしれない。

 前述したとおり、フェリシテはバーの歌手という設定だが、その音楽を担当しているのは、カサイ・オールスターズというバンド。著名なバンドのようで、日本にも何度か来たことがあるそうだ。汗と酒の匂いを発散する強烈な音楽。

 一方、ストーリーの展開とは無関係に、キンバンギスト交響楽団というアマチュア・オーケストラが、倉庫のような場所で、アルヴォ・ペルトの「フラトレス」その他を演奏する場面が挿入される。けっしてうまくはないが、カオスのようなキンシャサに、ペルトの静謐な音楽を演奏する人々がいるという意外性。

 フェリシテが夜の森の中を歩む幻想的な場面が挿入される。そこに突然現れるオカピという優しい目をした動物は、シャガールの絵の中の馬のように見えた。
(2017.12.26.ヒューマントラストシネマ有楽町)
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静かなる情熱 エミリ・ディキンスン

2017年09月02日 | 映画
 映画「静かなる情熱 エミリ・ディキンスン」を観た。じつは、観ようか、観まいか、ずっと考えていたのだが、観ないで後悔するよりも、観てから考えようと思って出かけた。

 エミリ・ディキンスン(1830‐1886)はアメリカの詩人。生前に発表した詩はわずか10篇ほど。エミリが亡くなってから、妹のラヴィニアがエミリの1,800篇ほどの詩篇を発見した。ラヴィニアは出版を始めた。その後、紆余曲折を経て、最初の全集が出たのは1955年。エミリの詩作の全貌が明らかになった。

 今ではエミリは、ホイットマン(1819‐1892)と並んで、アメリカの代表的詩人とされている。上記の伝説的な生涯は、ロマンティックな感傷をそそるし、またその詩は、その生涯にふさわしい慎ましさと感性の鋭さとを備えている。

 わたしもエミリの生涯については、ある一定のイメージを持っているので、それが映画を観ることによって、どうなるか。映画の効果は強烈なので、わたしのイメージに外から枠をはめることにならないか、と‥。

 でも、観てよかった。詩人が詩人であるためには、どれだけの代償を払わなければならないかを、よく理解することができた。詩人であることは、奇麗事ではない。世間と妥協できない自分を見つめ、自分を裏切らないことが求められる。それによってどれだけ孤立しても、孤立に甘んじなくてはならない。周囲の人々の(妥協を勧める)助言からも自分を守らなければならない。それがどんなに辛くても。

 半面、この映画のどこまでが真実で、どこからが脚色か、その境目が気になった。というのは、わたしの知っている史実とこの映画とで、微妙に異なる点が複数あったから。それが気になってくると、そもそもこの映画の基調となっているエミリとその家族との間の会話(時には激しいぶつかり合いを含む)には、どの程度の脚色が織り込まれているかが気になった。

 エミリの評伝は、少なくとも日本語で読めるものは、まだ出ていないのではないか。やがて評伝が出たら、そのような点を確かめたいと思う。

 エミリは、わたしのような音楽好きには、武満徹の室内楽「そして、それが風であることを知った」でお馴染みだ(その題名はエミリの詩の一節から採られている)。武満の最晩年の平明な音楽。エミリの詩の韻律よりも、武満の最後の心象風景が反映された曲のように感じる。
(2017.8.31.岩波ホール)

(※)本作のHP
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ヒトラーへの285枚の手紙

2017年07月19日 | 映画
 ナチスに対する抵抗運動は、ドイツ国内にもあった。もっとも有名なものはミュンヘンの「白バラ」グループだろうが、映画「ヒトラーへの285枚の手紙」で描かれているのは、ベルリンの夫婦が二人だけで行った抵抗運動。

 夫婦の名前はオットー・ハンペル(1897‐1943)とエリーゼ・ハンペル(1903‐1943)。オットーは工場労働者。エリーゼは(当時の多くの女性がそうだったように)ナチスの婦人運動に参加していた。要するに当時の典型的な労働者夫婦だった。

 ある日二人のもとにエリーゼの兄弟の戦死の通知が届いた。そこから抵抗運動が始まった。二人は葉書にヒトラーへの抵抗を呼びかける文章を書き、ベルリン市内にそっと置くようになった。それは1940年9月から二人が逮捕される1942年秋まで続いた。

 今なら監視カメラで簡単に捕まってしまうだろうが、当時だって、監視カメラこそなかったものの、厳しい監視社会だった。よく2年間も捕まらなかったものだと思う。捕まったら最後、激しい拷問の末に処刑されることは、二人とも覚悟の上だったろう。それでも抵抗運動を続けたのはなぜか。映画が示唆するように、抵抗運動を通じて、自分がナチズムから解放されるように感じたからだろうか。

 二人は1943年4月にベルリン市内のプレッツェンゼー刑務所で処刑された。同所は今でも保存され、一般公開されている。わたしも行ったことがある。赤茶色のレンガ造りの建物の中に、同所で処刑されたレジスタンスの人々(ナチスが政権を取った1933年から敗戦の1945年までに2,891人が処刑された)の写真と略歴カードが何枚も貼ってあった。

 ドイツの敗戦後、二人に関する記録文書が作家のハンス・ファラダ(1893‐1947)に渡され、ファラダはそれに基づいて小説を書いた。小説では二人の名前はオットーとアンナのクヴァンゲル夫妻とされ、戦死したのは二人の息子とされた。

 2009年にその英語訳が出ると、ベストセラーになった(2014年には日本語訳も出た。赤根洋子訳「ベルリンに一人死す」みすず書房)。映画は2016年の製作。英語の映画である点がひっかかるが、クヴァンゲル夫妻を演じる二人の俳優は、寡黙で存在感のある演技を見せている。

 二人を追い詰める警部が登場する(創作上の人物だろう)。捜査の途中でナチスの非人間性に目覚め、自らの職務との葛藤に苦しむ。今のわたしたちも、当時ならそうなったかもしれないと慄然とする。
(2017.7.12.新宿武蔵野館)

(※)本作のHP
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残像

2017年07月16日 | 映画
 ポーランド映画界の巨匠、アンジェイ・ワイダ監督が2016年10月に亡くなった。享年90歳。わたしもいくつかの作品を観たが、一番記憶に残っているのは「コルチャック先生」だ。ワイダ監督の代表作というと、「地下水道」や「灰とダイヤモンド」などが挙げられることが多いと思うが、わたしは「コルチャック先生」のラストシーンが忘れられない。

 あのラストシーンはこうだった――。ナチス・ドイツ占領下のワルシャワで、子供たちがユダヤ人ゲットーから強制収容所に連行される。コルチャック先生は自分だけ助かることを拒み、子供たちと共に歩む。貨物列車に押し込まれる子供たちとコルチャック先生。史実では全員強制収容所に着いた直後に殺害されたが、映画では貨物列車は草原の真ん中で止まる。扉が開いて、まるで遠足に来たように、子供たちは歓声を上げて草原に飛び出す。夏空が広がる。そのシーンを想い出すと、今でも胸が熱くなる。

 ワイダ監督を悼んで、亡くなる年に制作された遺作「残像」を観た。ポーランドの戦中・戦後史を描き続けたワイダ監督にふさわしく、実在の画家ストゥシェミンスキ(1893‐1952)が晩年、スターリン主義のポーランドにあって迫害を受け、貧窮のうちに亡くなるまでを描いている。

 ‘社会主義リアリズム’を強要する当局によって、前衛的な作風のストゥシェミンスキは容赦なく追い詰められる。わたしはその経過に日本の戦前・戦中の‘国体’思想の強要を連想した。

 社会がなにか一色に染め上げられる恐ろしさ。ある特定の思想が錦の御旗のようになって、だれかれ構わず押し付けられる。その錦の御旗は限りなく肥大化する。そんな時代は戦後ポーランドだけではなく、戦前・戦中の日本にもあった。

 ワイダ監督はこう言う。「私たちはすでに知っている。そのことを忘れてはならない――」と。2016年、夏の言葉。本作に託されたメッセージだ。

 本作では、ピアノやヴァイオリンの軋むような不協和音が入り混じる、シンプルだが、現代的な感性が漂う音楽が、断片的に使われている。わたしは途中から注目した。エンドクレジットを見ていたら、パヌフニク(1914‐1991)の音楽だと分かった。

 パヌフニクは1954年にポーランドから逃れ、イギリスに亡命した。ワイダ監督も映画化した「カティンの森」事件の犠牲者を悼む「カティンの墓碑銘」を作曲している。
(2017.7.10.岩波ホール)

(※)本作のHP
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サラエヴォの銃声

2017年04月06日 | 映画
 第一次世界大戦のきっかけとなったサラエヴォ事件。1914年6月28日にセルビア人の青年ガブリロ・プリンツィプが、サラエヴォを訪問中のオーストリア皇太子夫妻を狙撃して殺害した事件だ。映画「サラエヴォの銃声」はその100年後の2014年6月28日のサラエヴォを舞台にしている。

 現実にサラエヴォでは当日およびその前後に、サラエヴォ事件100周年の記念行事が行われた。たとえばオーストリアからはウィーン・フィルが訪れて演奏会を開いた。でも、それは和解の象徴になったかどうか。本作の登場人物の台詞からは、あまり楽観的な見方はできない。

 本作はサラエヴォの老舗ホテル‘ホテル・ヨーロッパ’での出来事を描いたもの。屋上では女性ジャーナリストが歴史学者などにインタビューしている。サラエヴォ事件とは何であったかを多角的に解明しようとする試みだ。ゲストの一人としてガブリロ・プリンツィプという(100年前の狙撃者と同じ名の)青年が現れる。

 セルビア人であるガブリロ・プリンツィプと、おそらくクロアチア人の女性ジャーナリストとの間で激しい口論が起きる。1992年から95年にかけてのボスニア・ヘルツェゴビナ紛争は、人々の心の中ではまだ終わっていない。その憎しみの深さに暗然とする。

 だが、その口論がエスカレートして、腹の底から憎しみをぶつけ合ったとき、二人はお互いを理解し、人間的な暖かい感情が通い始める。和解のきっかけが生まれたのだろうか‥。その希望がどうなるかは、今後本作を観る方のために書くのを控える。

 本作は3つのストーリーが絡み合って展開する。1つは上記のストーリー。もう1つはホテルの労働争議。2ヶ月間も賃金不払いの同ホテルでは、従業員がストライキを計画し、それをサラエヴォ事件100周年の記念行事にぶつけようとする。それを阻止しようとする支配人。緊迫したホテルの中を、女性レセプショニストが走り回る。

 3つ目のストーリーは、記念行事として一人芝居を上演するためにフランスから訪れた俳優が、スイートルームでリハーサルに余念がないというもの。

 この3つ目のストーリーはサラエヴォ事件100周年の記念行事として、現実に上演された芝居だそうだ。それを劇中劇のように組み込んでいるのだが、本作ではこの部分の発展性が乏しいことが惜しいと思った。
(2017.3.31.新宿シネマカリテ)

(※)本作の予告編 YouTube
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沈黙―サイレンス―

2017年02月09日 | 映画
 遠藤周作の小説「沈黙」を読んだのはもう20年以上前だと思う。衝撃は大きかった。とくに宣教師ロドリゴが長崎に潜入してから捕えられるまでの前半部分が、イエスの受難と重ね合わせて描かれていることに驚き、作者の技巧と力量に圧倒された。

 でも、ほんとうに重要なのは後半部分だったかもしれないと、マーティン・スコセッシ監督の映画「沈黙―サイレンス―」を観て思った。前半は、前史であって、後半、それも正確に言うと、ロドリゴと、イエスを売ったユダに重ね合わされているキチジローとが、各々の人生を終える終結部分にこそ、遠藤周作の思想(あるいはスコセッシ監督の解釈)が込められていると思った。

 終結部分になにが描かれているか。それをここに具体的に書くことは控えるが、まずキチジロー、最後にロドリゴの人生が終わるとき、イエスとユダとの関係にあった2人の距離は限りなく縮まる。2人は(最後には)そんなに違っていたわけではない。そこに一種の救いがあった。

 遠藤周作の小説にもこれは書かれていたのだろうか。恥ずかしながら、まったく記憶がない。たぶん読み落していたのだろう。でも、もしかすると、スコセッシ監督の独自の解釈だったかもしれない。遠藤周作の小説が手元にないので分からないが。

 イエスは殉教したが、ロドリゴは棄教した。では、ロドリゴは弱虫で卑怯か。またユダは、イエスが捕縛された後、自殺したが、キチジローはロドリゴを売った後も、ロドリゴに救いを求めた。キチジローは唾棄すべき人間か。

 殉教できる人、自殺できる人は、強い人だ。他の人はともかく、少なくともわたしはそんなに強くない。もっと弱い人間だ。でも、そんなわたしでも、なにかを秘めて生きることはできる。声に出しては言えない。行動に移すこともできない。でも、胸になにかを秘めていることはできる。それが遠藤周作の思想、あるいはスコセッシ監督が原作から引き出した思想だと思った。

 映画は大筋では原作を忠実になぞっている。細部を的確に押さえ、陰影があり、深みにも欠けていないのは、スコセッシ監督の読み込みの深さだろう。

 なお、松村禎三のオペラ「沈黙」があるが、あれは原作を簡略化し、一つのストーリーを抽出したものだ。その作り方はオペラとしては一般的で、かつ正しいとは思うが、小説とは別物だ。
(2017.2.7.TOHOシネマズ新宿)
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皆さま、ごきげんよう

2017年01月20日 | 映画
 最近は映画から足が遠のいているが、ジョージア(旧グルジア)の映画監督オタール・イオセリアーニ(1934‐)の「皆さま、ごきげんよう」(2015)はどうしても見たかったので、頑張って行ってきた。

 本作の制作時点でイオセリアーニは81歳。元気な老人の飄々としたユーモアが感じられる映画だ。筋はとくにない。相互に関連のないエピソードが、まるで‘しりとり’のようにつながっていく。一見とりとめのない作品だが、各々のエピソードにユーモラスな味があるので飽きない。そのうち各々のエピソードがつながってくる。

 場所はパリ。本作で描かれる庶民の生活は、パリの自由と猥雑さに結びついている。パリ以外の街では、本作は成立しないと思う。本作は‘パリ賛歌’だと、思わず叫びたくなるくらい、‘パリ’が感じられる映画だ。

 余談になるが、わたしが最後にパリを訪れたのは2014年11月。本作が制作された頃だ。何年ぶりかで訪れたパリは、ひどく汚れていた。本作にも登場するメトロのバスティーユ駅では、地上に出る階段が、ワインやビールやその他の液体で汚れ、砕けたビンのガラス片が散乱していた。人心の荒廃とか治安の悪化とかがうかがえた。テロが起きたのはその直後だ。

 でも、本作ではそういうパリは出てこない。もう少しのどかなパリだ。庶民が自分のやり方で生きることができたパリ。今のパリはどうか。旅行者でしかないわたしには判断できないが、少なくとも本作では、そんな荒んだパリは出てこない。

 本作のパリは、イオセリアーニ監督のイメージの中にあるパリ。イオセリアーニ監督がほろ酔い気分でその中に生きているパリだ。わたしたちもほろ酔い気分をともにすれば(本作を観ているあいだは)幸福になれる。

 題名の「皆さま、ごきげんよう」は、わたしにはベタな感じがする。本作の趣旨を押しつけられているような気がする。原題は「冬の歌CHANT D’HIVER」。古いジョージア(旧グルジア)の歌の題名だそうだ。イオセリアーニ監督によると、歌詞は「冬が来た。空は曇り、花はしおれる。それでも歌を歌ったっていいじゃないか」というものだそうだ。

 これなら本作にぴったりだ。パリの下町に住む庶民には、いいことはあまりない。むしろうまくいかないことばかりだ。でも、少しは楽しいこともあると、そう思って生きていたっていいじゃないか、と。
(2017.1.16.岩波ホール)
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シアター・プノンペン

2016年07月11日 | 映画
 映画にはもう何年も行っていなかった。観たい映画がなかったわけではないが、夜は出不精になってしまったし、週末はできれば家にいたいので、結局、映画からは足が遠のいていた。

 先日、時間調整の必要があったので、久しぶりに映画に行こうと思った。さて、何を観ようかと思案した。観たい映画が2本あったが、カンボジアで起きたポル・ポト派の大虐殺の後遺症を描いた「シアター・プノンペン」を選んだ。

 ポル・ポト派(党派の名はクメール・ルージュ)が首都プノンペンを制圧したのは1975年。それから3年8ヶ月あまり、ポル・ポト派は狂信的な政策をとり、その中で知識人、一般大衆、その他多くの人々を殺害した。犠牲者は300万人とも言われるが、120万人、140万人、170万人という説もある。本作のプログラムの解説では「カンボジア国民の4分の1の人々が命を失い」とされている。

 4分の1とはすごい割合だ。仮にその半分の8分の1であったとしても、そのすごさに変わりはない。そんな時代がわずか40年前にあったのだが、生き残っている人々は、その出来事を語ろうとしないそうだ。家族を失い、友人を失い、みんな何らかの心の傷を抱えているはずだが、それを語ろうとはしない。

 今の若者は40年前の出来事をあまり知らないそうだ。何かがあったらしいとは感じているが、きちんとは知らない。そんなモヤモヤした状況の中で、社会全体としてはむしろ過去のことは忘れようという風潮があるようだ。

 以上、前置きが長くなったが、「シアター・プノンペン」はそんな今の若者の、自国の歴史、家族の過去、ひいては‘自分探し’を描いた映画だ。過去にどんな出来事があったのか、糸を手繰るように少しずつ明らかになる。

 本作はカンボジアのタブーとなっているテーマを扱う映画だ。なので、公開前には人々に受け入れられるかどうか、不安があったそうだが、公開したら大ヒットした。やっと過去の出来事を語ることができる社会になりつつあるのかもしれない。

 監督はソト・クォーリーカー。1973年生まれの女性だ。本作は監督自身の‘自分探し’の映画でもあるようだ。主演はマー・リネット。遊び呆けていた娘が少しずつ成長する姿を瑞々しく演じている。荒廃した映画館シアター・プノンペンの元映写技師を演じるソク・ソトゥンが、過去の出来事への苦悩を表現して味がある。
(2016.7.8.岩波ホール)
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不正義の果て

2015年02月20日 | 映画
 先日「SHOAHショア」(1985年)を観たら「不正義の果て」(2013年)も観たくなった。どちらもクロード・ランズマン監督(1925‐)のドキュメンタリー映画だ。「SHOAHショア」の製作過程で作品に盛り込まれなかった素材があって、それを蘇らせた作品だ。

 内容はチェコのテレージエンシュタット(現テレジン)のユダヤ人ゲットーでユダヤ人評議会議長を務めたベンヤミン・ムルメルシュタイン(1905‐1989)へのインタビューだ。

 テレージエンシュタットのゲットーは、音楽好きにはよく知られている。パヴェル・ハース(1899‐1944)、ヴィクトル・ウルマン(1898‐1944)、ハンス・クラーサ(1899‐1944)などの作曲家が収容されていた。3人とも亡くなったのは1944年。同時期にアウシュヴィッツに送られたからだ。

 ハースはヤナーチェクの弟子だった。ヤナーチェクの影響が色濃い。今ではヤナーチェクを継いだ作曲家はいないように思われるが、ハースが生きていたら後継者になったかもしれない。ウルマンはゲットーで「アトランティスの皇帝」という室内オペラを書いた。上演寸前までいったが、ヒトラーを風刺していることが分かって、上演禁止になった。先年、ベルリンで上演されたとき、観ることができた。よくこんなオペラが書けたものだと仰天した。

 テレージエンシュタットとはどんなところだったのか。ムルメルシュタインの話を聞くと、嘘と暴力と恐怖が支配する収容所だった。過酷な極限状態にあった。そんな中でよく作曲ができたものだ。

 ナチスの傀儡でありながら、ゲットーを仕切る立場にあったムルメルシュタインには、なにができたか。自らをサンチョ・パンサになぞらえるムルメルシュタインは、ドン・キホーテ(=ナチス)の狂気のもとで、自分にできることを冷静に計算した。その行動の是非を問うことは、自分ならどうすると、自らを問うことだ。重い問題がのしかかる。

 ランズマン監督は1週間かけてインタビューした。その末にムルメルシュタインを理解した。その正直さと誠実さを理解した。上掲(↑)のスチール写真は、そんな二人が街を歩く姿だ。温かい人間的な感情が通っている。

 一方、ムルメルシュタインはアイヒマンを「悪魔だ」と言っている。アイヒマンを「悪の凡庸さ」と捉えたハンナ・アーレントには手厳しい。
(2015.2.19.イメージ・フォーラム)

↓「不正義の果て」など3作品の特設ページ
http://mermaidfilms.co.jp/70/
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SHOAHショア

2015年02月16日 | 映画
 ドキュメンタリー映画「SHOAHショア」が公開中だ。アウシュヴィッツなどナチスの強制収容所の記憶、あるいはワルシャワのゲットー(ユダヤ人強制居住区)の記憶などを語る多数の証言の記録だ。

 全編で567分(9時間27分)の映画。半端な長さではない。第1部274分、第2部293分の2部構成になっている。今回の上映では、第1部をさらに2分割し、第2部も同様にして、全部で4部構成になっている。

 部分的に観ることも可能だが、一気上映の日もある。何度も足を運ぶことは難しいので、覚悟を決めて、一気上映に臨んだ。午前10時45分から始まって、終わったのは午後9時15分。途中に3回休憩があったが、入れ替えのための休憩であって、実際はトイレに行くのが精いっぱい。コンビニに行くこともできなかった。

 苦行といえば苦行だ。お腹も空いた。前の方の席で観ていたので、最後には首が痛くなった。でも、なんといっても、内容が内容だ。強制収容所やゲットーでの凄惨をきわめた経験を聞くと、お腹が空いた、疲れたなどと不平をいう気にはなれなかった。

 なぜ、こんなに長い映画になったのか。それが分かった。たとえばある強制収容所からの生還者に会って話を聞く。その生存者は当時13歳の少年だった。強制収容所で下働きをさせられた。歌がうまかった。その歌声は近隣のポーランド人たちに知られていた。それが分かると、当時のポーランド人たちに話を聞く。さらにその生存者を連れて行って、当時のポーランド人たちと再会させる。

 その生存者の反応はどうか。胸にはなにが去来するか。またポーランド人たちの反応はどうか。昔と今とではなにが違っているか。それとも同じか。静かなドラマが進行する。忘れられない。

 このように芋づる式に当時の人々から話を聞く。各人の話には、ディテールはともかく、意外に矛盾がない。記憶は一致している。だが、ユダヤ人、ポーランド人、あるいはナチス(当時ナチスだった人々からも話を聞いている)、それぞれの感じ方には絶望的な溝がある。それは今でもだ。

 1985年の作品だ。当時は世界各国で各種の映画賞を受賞した。日本では1987年にヴィデオ上映会が開かれた。1995年には東京日仏学院(当時)で試写会開催。1997年にはアテネ・フランセ文化センターで一般公開。そしてついに今回の劇場上映となった。
(2015.2.15.イメージ・フォーラム)

↓「SHOAHショア」など3作品の特設ページ
http://mermaidfilms.co.jp/70/
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大いなる沈黙へ

2014年08月09日 | 映画
 映画「大いなる沈黙へ」。フランス・アルプス山中のグランド・シャルトルーズ修道院の内部を記録したドキュメンタリーだ。同修道院は中世以来の歴史を持つ男子修道院。戒律が厳しいことで知られているそうだ。

 修道士たちの日常が淡々と描かれる。カメラはひたすらその行動を追う。修道士たちは沈黙の生活を送る。会話が許されるのは日曜日の散歩の時間だけ。そのときだけは、修道士たちは和やかに会話する。あとは沈黙を守る。自分との対話、あるいは神との対話だろうか。その姿をカメラは追う。一切の説明なしに。

 この映画にはナレーションがない。インタビューもない(後述する盲目の修道士の場面を除いて)。ついでにいえば、音楽もない。音楽は、ミサのときに修道士たちが歌うグレゴリオ聖歌だけだ。そのグレゴリオ聖歌は大変美しい。そうか、グレゴリオ聖歌はこうして今の時代まで伝わってきたのかと思う。

 単調といえば単調だ。修道士たちがなにをやっているのか、わからない場面もある。そんなときはイライラする。でも、そのうち、自分が、説明されることに馴れっこになっていることに気付く。今の世の中、すべてが説明される。そういう世の中になっている。この映画はそれとは真逆の方向だ。

 修道士たちの日常を追っていると、(わからない場面もあるとはいえ)一定のリズムがつかめてくる。そんなとき、ふっと「でも、修道士たちの内面はわからない」ということに気が付く。わかるのは外面的な行動だけだ。

 最後に盲目の修道士が語る場面がある。それまでの沈黙を破る場面だ。この映画の例外的な場面。観る者のために窓を一つ開けてくれたのだ。でも、窓は修道士の数だけある。あとの窓は閉じられている。閉じられた状態のままで受け止めること、それができるかどうか――。

 監督はフィリップ・グレーニング。1959年生まれのドイツ人だ。同修道院に撮影許可を求めたのは1984年。そのときは「今はまだ早すぎる。10年か13年後であれば」といわれた。16年後(2000年)に「まだ興味を持ってくれているのなら」と電話が来た(ディレクターズノートより)。

 なぜ「今はまだ早すぎる」といったのか。思うに、内面的な成熟を待っていたのではないか。16年後になってもまだ興味を持っているなら、それは本物だと。そんな内面的な成熟を、観る者もまた求められているようだ。
(2014.8.4.岩波ホール)

↓予告編
https://www.youtube.com/watch?v=vU9FTzbl6Z0
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みつばちの大地

2014年06月19日 | 映画
 映画「みつばちの大地」。その予告編(※)を見たとき、これは絶対に見たいと思った。黄金色に輝く映像。こんなにきれいな映像は見たことがないと思った。

 実際、美しい映像だった。ミツバチの生態がアップで捉えられている。巣の中のミツバチ、空中を飛行するミツバチ。これらをどうやって撮ったのだろう。驚異的な映像だ。

 もっとも、この映画は、たんなる自然科学の映画ではない。ミツバチを飼育する世界中の養蜂家を訪ねて、今ミツバチに何が起こっているかを取材する。そして、その原因や、そこから見えてくる現代の問題を明らかにしようとする。

 マークス・イムホーフ監督(1941年スイス生まれ)は、この映画の製作のために5年をかけ、地球4周に匹敵する距離を移動したそうだ。

 在来種にたいする(人間が持ち込んだ)異種の侵入、農薬の使用による脅威、1000キロを超えるトラック移動のストレス、その他の過酷な環境に置かれたミツバチの現実、そして大量死などが描かれる。それらを見ていると、暗然とする。地球の生態系にとって最大の脅威は‘人間’だという気になる。

 でも、それだけなら、よくある論調でもあるだろう。この映画で面白いのは、そのような論調で出発したにもかかわらず、途中から少しずつトーンが変わっていくことだ。

 ベルリン自由大学のメンツェル教授が登場する。ミツバチは約5万匹でコロニーを形成する。「5万の小さな脳は、1つの超個体を構成する。それは、騒がしい茶色の塊ではない。」そして、こういう「ミツバチのコロニーという複雑な組織体は、感情を持つ1つのシステムとしてみなすことができるでしょうか?答えはイエス。コロニーには感情があります。」(プログラムに掲載された採録シナリオより)

 なんとも驚くべき生態だ。その繊細さに感心する。そして、さらに先に進む。「人類の食料の3分の1は、ミツバチに依存する。」アインシュタインは、こういったそうだ「ミツバチが絶滅すれば、4年後に人類は滅びる。」でも、そうだろうか、アインシュタインは間違っているのではないだろうか?「きっと最後は、私達が死に絶え、ミツバチが生き残るのではないでしょうか。」(プログラムに掲載された監督インタビューより)

 映画はこのインタビューの言葉を示唆して終わる。たんなる告発の映画ではなく、ミツバチにたいする讃歌にいたる点が気持ち良い。
(2014.6.17.岩波ホール)

(※)予告編
http://www.youtube.com/watch?v=yNKqfPVvdzs
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