今年の書き初め、いや、聴き初めは、N響定期だった。指揮はデーヴィッド・ジンマンで、プログラムは次のとおり。
(1)ショスタコーヴィチ:ヴァイオリン協奏曲第1番(ヴァイオリン:リサ・バティアシュヴィリ)
(2)シューベルト:交響曲第8番「ザ・グレート」
ジンマンは実績のあるベテラン指揮者だが、N響初登場とのこと。期待して出かけた。
1曲目のショスタコーヴィチは、この作曲家の生涯で2度目に訪れた危機、1948年のジダーノフ批判の前後にかかれた曲だ。当時の危機は、粛清もあり得る危機だった。それにもかかわらず、今こうしてきくと、動揺がどこにも感じられないことに驚く。
第1楽章ではバティアシュヴィリの独奏ヴァイオリンが、いつ果てるとも知れない旋律をくっきりと描き出す。第2楽章の釘で引っかくようなスケルツォを経て、第3楽章のパッサカリアとそれに続く長大なカデンツァでは精神性の充実を感じさせる。
まだ若い女性奏者だが、その才能は疑いない。グルジア出身らしいが、グルジアといえば、昨年の南オセチア紛争でロシアと戦火を交えた国だ。祖国にたいする心痛から、旧ソ連に屈折した心情をもつこの曲に共感を抱いたということもあるのか。
一方、オーケストラは精彩を欠いた。弱音のときの極度の抑制など、きくべきところはあったが、最後まで硬さがとれず、もどかしく思った。
この曲は2管編成だが、金管楽器はトランペットとトロンボーンを欠き、チューバが加わる特殊編成だ。華やかさを排した苦渋の心情を滲ませる曲想に、この楽器編成は深くかかわっている。こういったことに気がつくのは、生のありがたさだ。
2曲目のシューベルトは、かつては9番とされていたが、その後7番とされ、今は8番になっている。その辺の事情は当日のプログラムに詳述されていたので、ここでは控えるが、作曲年代については、曲の本質にかかわるので、少しふれておきたい。
以前は1828年、つまり作曲家の亡くなった年の作品とされていたが、近年の研究では1825年説が有力だ。この年の春から夏にかけて、シューベルトは友人と上部オーストリア地方の大旅行に出かけているが、その時期にかかれたというのだ。
私はこの新説にふれたとき、曲の見方が変った。これはシューベルトの短い生涯の中でも、もっとも楽しい思い出がつまった曲なのだ。第4楽章の中間部に出てくるベートーヴェンの歓喜の主題は、明るい山野を歩くシューベルトの鼻歌ではなかったか。
それにしては、この日の演奏は重かった。14-12-10-8-6の標準的な編成だったから音が重いのではなく、音楽の表情が重かった。ひょっとすると指揮者の体調が万全ではないのか‥と思った。ジンマンは今週Cプロを振るので、期待はそれまで持ち越しになった。
ただ、残念ながら、私は都合があって行けない。どなたか、おききになったら、教えてください。
(2009.01.11.NHKホール)
(1)ショスタコーヴィチ:ヴァイオリン協奏曲第1番(ヴァイオリン:リサ・バティアシュヴィリ)
(2)シューベルト:交響曲第8番「ザ・グレート」
ジンマンは実績のあるベテラン指揮者だが、N響初登場とのこと。期待して出かけた。
1曲目のショスタコーヴィチは、この作曲家の生涯で2度目に訪れた危機、1948年のジダーノフ批判の前後にかかれた曲だ。当時の危機は、粛清もあり得る危機だった。それにもかかわらず、今こうしてきくと、動揺がどこにも感じられないことに驚く。
第1楽章ではバティアシュヴィリの独奏ヴァイオリンが、いつ果てるとも知れない旋律をくっきりと描き出す。第2楽章の釘で引っかくようなスケルツォを経て、第3楽章のパッサカリアとそれに続く長大なカデンツァでは精神性の充実を感じさせる。
まだ若い女性奏者だが、その才能は疑いない。グルジア出身らしいが、グルジアといえば、昨年の南オセチア紛争でロシアと戦火を交えた国だ。祖国にたいする心痛から、旧ソ連に屈折した心情をもつこの曲に共感を抱いたということもあるのか。
一方、オーケストラは精彩を欠いた。弱音のときの極度の抑制など、きくべきところはあったが、最後まで硬さがとれず、もどかしく思った。
この曲は2管編成だが、金管楽器はトランペットとトロンボーンを欠き、チューバが加わる特殊編成だ。華やかさを排した苦渋の心情を滲ませる曲想に、この楽器編成は深くかかわっている。こういったことに気がつくのは、生のありがたさだ。
2曲目のシューベルトは、かつては9番とされていたが、その後7番とされ、今は8番になっている。その辺の事情は当日のプログラムに詳述されていたので、ここでは控えるが、作曲年代については、曲の本質にかかわるので、少しふれておきたい。
以前は1828年、つまり作曲家の亡くなった年の作品とされていたが、近年の研究では1825年説が有力だ。この年の春から夏にかけて、シューベルトは友人と上部オーストリア地方の大旅行に出かけているが、その時期にかかれたというのだ。
私はこの新説にふれたとき、曲の見方が変った。これはシューベルトの短い生涯の中でも、もっとも楽しい思い出がつまった曲なのだ。第4楽章の中間部に出てくるベートーヴェンの歓喜の主題は、明るい山野を歩くシューベルトの鼻歌ではなかったか。
それにしては、この日の演奏は重かった。14-12-10-8-6の標準的な編成だったから音が重いのではなく、音楽の表情が重かった。ひょっとすると指揮者の体調が万全ではないのか‥と思った。ジンマンは今週Cプロを振るので、期待はそれまで持ち越しになった。
ただ、残念ながら、私は都合があって行けない。どなたか、おききになったら、教えてください。
(2009.01.11.NHKホール)