この年末年始は、カレンダーの関係で9連休。この間、東京は連日穏やかな好天が続いて、私はのんびり過ごした。年末は、箱根外輪山を歩いて、温泉で一泊。遠出はそれだけだった。年始もほとんど家で過ごしたが、さすがにお腹の周りが気になって(!)、最後の日には三浦半島の低山を歩いてきた。
このように怠惰な毎日を楽しんだが、一日だけ美術館に行った。渋谷の東急文化村にあるザ・ミュージアムで、ドイツのデュッセルドルフにあるノルトライン=ヴェストファーレン美術館の改修工事にともなう収蔵品の引越し展「ピカソとクレーの生きた時代」が始まったからだ。例年、年末年始の美術館は意外にすいていて、ゆっくり鑑賞できることが多いが、私が訪れた3日夜の同館はガラガラというほどではなくて、この展覧会を楽しみにしている人が多かったように感じた。
展示の中心はクレーだが、標題どおりピカソもあるし、またシュールレアリズムの作品も多い。そのほかドイツの美術館らしく、ドイツ表現主義の画家の作品もある。一口でいえば、同館の抜粋のような構成だ。
クレーの作品の主要なものは、2006年の「パウル・クレー 創造の物語」展にも来ていたもので、あのときの圧倒的な印象が蘇ってきた。
その中の一枚、「赤いチョッキ」のキャプションに、「1938年という制作年(ナチスの弾圧にあってクレーは当時スイスに亡命していた)にもかかわらず、戦争の影を感じさせない明るく楽しい絵」という趣旨の説明が書かれていた。実は2006年のときも同様の説明になっていたが、そのときにも疑問を感じたので、この際、私見をご披露したい。(注)
なるほど、画面上部の無邪気に闊歩する男は、明るく楽しくみえる。でも、画面下部に隠された悲しみの顔をどう説明したらよいのか。私には、時代背景からいって、前者はナチス、後者はナチスに苦しめられている人のようにみえる。後者は、片目を伏せて悲しみに沈み、もう一方の目をみひらいて、驚きにみちた現実の出来事を見据えている。
前者の陽気な足取りは、折れた木の枝のような踏み台に乗っている。その踏み台は、両足を踏ん張り、手を地面につけた、悲しみの男の屈んだ背中のようにみえる。
いうまでもないだろうが、悲しみの男はクレー自身だ。
この作品は、赤いチョッキという標題だが、赤い服はどこにもない。色は黄色、あるいはカーキ色に近く、陽気な男の着ているものはナチスの制服を連想させる。それにもかかわらず赤いチョッキという標題をつけたのは、巧妙な偽装だったのだろうか。
私はこの作品をこのようにみるが、皆さんはどうだろう。
(2009.01.03.東急文化村ザ・ミュージアム)
(注) 画像は、著作権の問題を考慮して、貼付を控えさせていただきます。東急文化村のホームページに「ピカソとクレーの生きた時代」の特集ページがあり、その中の「学芸員によるコラム」に掲載されていますので、もしよければご覧ください↓。ご不便をおかけして申し訳ありません。
http://www.bunkamura.co.jp/museum/lineup/09_k20/column.html
このように怠惰な毎日を楽しんだが、一日だけ美術館に行った。渋谷の東急文化村にあるザ・ミュージアムで、ドイツのデュッセルドルフにあるノルトライン=ヴェストファーレン美術館の改修工事にともなう収蔵品の引越し展「ピカソとクレーの生きた時代」が始まったからだ。例年、年末年始の美術館は意外にすいていて、ゆっくり鑑賞できることが多いが、私が訪れた3日夜の同館はガラガラというほどではなくて、この展覧会を楽しみにしている人が多かったように感じた。
展示の中心はクレーだが、標題どおりピカソもあるし、またシュールレアリズムの作品も多い。そのほかドイツの美術館らしく、ドイツ表現主義の画家の作品もある。一口でいえば、同館の抜粋のような構成だ。
クレーの作品の主要なものは、2006年の「パウル・クレー 創造の物語」展にも来ていたもので、あのときの圧倒的な印象が蘇ってきた。
その中の一枚、「赤いチョッキ」のキャプションに、「1938年という制作年(ナチスの弾圧にあってクレーは当時スイスに亡命していた)にもかかわらず、戦争の影を感じさせない明るく楽しい絵」という趣旨の説明が書かれていた。実は2006年のときも同様の説明になっていたが、そのときにも疑問を感じたので、この際、私見をご披露したい。(注)
なるほど、画面上部の無邪気に闊歩する男は、明るく楽しくみえる。でも、画面下部に隠された悲しみの顔をどう説明したらよいのか。私には、時代背景からいって、前者はナチス、後者はナチスに苦しめられている人のようにみえる。後者は、片目を伏せて悲しみに沈み、もう一方の目をみひらいて、驚きにみちた現実の出来事を見据えている。
前者の陽気な足取りは、折れた木の枝のような踏み台に乗っている。その踏み台は、両足を踏ん張り、手を地面につけた、悲しみの男の屈んだ背中のようにみえる。
いうまでもないだろうが、悲しみの男はクレー自身だ。
この作品は、赤いチョッキという標題だが、赤い服はどこにもない。色は黄色、あるいはカーキ色に近く、陽気な男の着ているものはナチスの制服を連想させる。それにもかかわらず赤いチョッキという標題をつけたのは、巧妙な偽装だったのだろうか。
私はこの作品をこのようにみるが、皆さんはどうだろう。
(2009.01.03.東急文化村ザ・ミュージアム)
(注) 画像は、著作権の問題を考慮して、貼付を控えさせていただきます。東急文化村のホームページに「ピカソとクレーの生きた時代」の特集ページがあり、その中の「学芸員によるコラム」に掲載されていますので、もしよければご覧ください↓。ご不便をおかけして申し訳ありません。
http://www.bunkamura.co.jp/museum/lineup/09_k20/column.html