Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

チェチェンへ

2009年01月10日 | 映画
 東京に初雪のふった日の夜、冷たい雨の中を映画に行った。職場を出るときは、本当はそのまま家に帰りたかったが、自らを励まして足をはこんだ。
 映画は「チェチェンへ アレクサンドラの旅」。ある新聞の記事に主演がガリーナ・ヴィシネフスカヤだと書いてあったので、俄然みたくなった。ヴィシネフスカヤは往年の大歌手だ。かつてCDできいたロシアの作曲家の歌曲やブリテンの「戦争レクイエム」が記憶に残っている。気の強そうな美人だったが、その人が80歳のときに撮った映画とのこと。80歳のヴィシネフスカヤはどうなっているのだろう・・・。

 あらためて紹介するまでもないかもしれないが、この映画はチェチェンに展開するロシア軍の駐屯地に、ヴィシネフスカヤの扮する祖母アレクサンドラが孫の兵士を訪れる話だ。汗と埃と奇妙な倦怠が充満するキャンプの中に身を置いて、戦争の現実を知る。やがてキャンプの外の市場でチェチェン人の女性と親しくなり、ふたりは、男たちはときには戦うが、女はみな姉妹だと語り合う。
 この映画では、こういったディテールがていねいに描かれる。戦争の影が色濃く落ちるが、どこかに詩情が感じられる。それは、殺風景なキャンプ、市場の雑踏、半ば破壊されたチェチェンの集合住宅などの画面が、セピア色で撮られているため、古い写真のような懐かしさを感じることが一因だろう。
 さらに、より本質的には、こまやかな人と人との交流があるからだ。その中心にいるのは、アレクサンドラだ。ちょっと気難しいが、繊細な感性を失わない人物。私は久しぶりに人間の尊厳という言葉を思い出した。
 アレクサンドラを演じる80歳のヴィシネフスカヤは、昔の面影を残してきれいだった。
 この映画は、大きな感動よりも、ひっそりと静かな感動をよぶ。

 それにしても、今この映画をみると、どうしても年末以来のイスラエルによるガザ地区侵攻を連想する。ガザ地区だって、イスラエルとパレスチナの女同士、あるいはひょっとすると男同士であっても、個人のレベルなら交流は可能だろう。けれども政府間の対立になると、和解は困難にみえる。
 でも、絶望することはないのだろう。私は元旦のウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートを思い出す。指揮者のバレンボイムが、「2009年が世界に平和、中東に人類の正義が訪れる年になることを望む」と語ったときのjusticeという言葉が、強く印象に残った。たんなるpeaceよりも強い意志がこめられていると感じたからだ。
 私はこの言葉を次のように理解した、イスラエルにもハマスにも正義はある、むしろ今は正義と正義のぶつかり合いだ、けれども、それぞれの正義をこえた正義を見出さなければならない、と。コンサートは世界中に同時中継されている。バレンボイムはそれを十分に意識して、英語で語りかけたのだと思う。
(2009.01.09.ユーロスペース)
コメント
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