スクロヴァチェフスキ&読響がベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」を演奏した。私は期待の高まりを感じながら出かけた。
第1曲「キリエ」が始まる。比較的淡々とした出だしは、曲想のせいか。中間部で4人の独唱者が入ってくる。私はソプラノのインドラ・トーマスに注目した。厚いビロードのような声で、同じ黒人歌手のバーバラ・ヘンドリックスの声を思い出した。
第2曲「グローリア」では、突然の歓喜の爆発のように合唱(新国立劇場合唱団)が飛び込んでくる。もともとそういう曲だが、それにしてもこの勢いはすごい。私はそのすべてを受け止めようとして眼を閉じた。眼を閉じてきく演奏は、すさまじかった。
第3曲「クレド」。中間部でイエスの生誕と受難を静かに歌った後の復活の音楽は、宗教的な信仰心よりも、現世的な戦いの勝利のようだ。この音楽はいかにもベートーヴェン的だと、あらためて思った。
第4曲「サンクトゥス」。後半部分に入ってからのコンサートマスター(藤原浜雄さん)の長大なオブリガート。私は今までこのソロに、これほどの慰めを感じたことがない。終わった後、心の中で最大級の拍手を送った。
あらためていうまでもないが、この部分は、Benedictus qui venit in nomine Domini(主の御名によりて来たれるものは祝せられたまえ)という1行の歌詞に音楽をつけたものだが、わずか1行にこんなに息の長い音楽をつけた作曲家は、ベートーヴェンを措いて他にはいないわけで、やはり並外れた人だ。
第5曲「アニュス・デイ」。中間部での戦争の暗示。ミサ曲でありながら戦争を暗示するとは、これもまたいかにもベートーヴェンらしい。最後の1行、dona nobis pacem(われらに安らぎを与えたまえ)は、彼岸の安らぎに現世の平和が重なり、二重の祈りになる。
演奏は終始きわめて高いテンションに貫かれていた。スクロヴァチェフスキは1923年10月3日生まれで今は85歳だが、その年齢を考えるまでもなく、このテンションの高さは驚異的だ。引き締まった造形は、一瞬の弛緩の余地もない。私は往年の大指揮者オットー・クレンペラーが残した1963年のライヴ録音を思い出した。その録音くらいしか、今きいているこの演奏に匹敵するものはないと思った。
読響の演奏能力もすばらしい。これは、読響、新国立劇場合唱団、スクロヴァチェフスキの三者が揃ってはじめて可能になった演奏だ。そして4人の若手独唱者たちも、大いに貢献した。
いつもは、重く、長く、もてあまし気味になるこの曲が、なんだか短く感じられた。それは速めのテンポ設定のためだろうか。
なお、終演後、ブーを叫んでいる人が一人いたが、その真意は測りかねた。
(2009.03.16.サントリーホール)
第1曲「キリエ」が始まる。比較的淡々とした出だしは、曲想のせいか。中間部で4人の独唱者が入ってくる。私はソプラノのインドラ・トーマスに注目した。厚いビロードのような声で、同じ黒人歌手のバーバラ・ヘンドリックスの声を思い出した。
第2曲「グローリア」では、突然の歓喜の爆発のように合唱(新国立劇場合唱団)が飛び込んでくる。もともとそういう曲だが、それにしてもこの勢いはすごい。私はそのすべてを受け止めようとして眼を閉じた。眼を閉じてきく演奏は、すさまじかった。
第3曲「クレド」。中間部でイエスの生誕と受難を静かに歌った後の復活の音楽は、宗教的な信仰心よりも、現世的な戦いの勝利のようだ。この音楽はいかにもベートーヴェン的だと、あらためて思った。
第4曲「サンクトゥス」。後半部分に入ってからのコンサートマスター(藤原浜雄さん)の長大なオブリガート。私は今までこのソロに、これほどの慰めを感じたことがない。終わった後、心の中で最大級の拍手を送った。
あらためていうまでもないが、この部分は、Benedictus qui venit in nomine Domini(主の御名によりて来たれるものは祝せられたまえ)という1行の歌詞に音楽をつけたものだが、わずか1行にこんなに息の長い音楽をつけた作曲家は、ベートーヴェンを措いて他にはいないわけで、やはり並外れた人だ。
第5曲「アニュス・デイ」。中間部での戦争の暗示。ミサ曲でありながら戦争を暗示するとは、これもまたいかにもベートーヴェンらしい。最後の1行、dona nobis pacem(われらに安らぎを与えたまえ)は、彼岸の安らぎに現世の平和が重なり、二重の祈りになる。
演奏は終始きわめて高いテンションに貫かれていた。スクロヴァチェフスキは1923年10月3日生まれで今は85歳だが、その年齢を考えるまでもなく、このテンションの高さは驚異的だ。引き締まった造形は、一瞬の弛緩の余地もない。私は往年の大指揮者オットー・クレンペラーが残した1963年のライヴ録音を思い出した。その録音くらいしか、今きいているこの演奏に匹敵するものはないと思った。
読響の演奏能力もすばらしい。これは、読響、新国立劇場合唱団、スクロヴァチェフスキの三者が揃ってはじめて可能になった演奏だ。そして4人の若手独唱者たちも、大いに貢献した。
いつもは、重く、長く、もてあまし気味になるこの曲が、なんだか短く感じられた。それは速めのテンポ設定のためだろうか。
なお、終演後、ブーを叫んでいる人が一人いたが、その真意は測りかねた。
(2009.03.16.サントリーホール)