ゴーギャンというと、どうしてもゴッホを思い出してしまい、ゴッホに同情的になる分、ゴーギャンには距離を置いてしまう私だが、ではゴーギャンをどれほど理解しているかというと、なんとも心もとない。そういう反省をこめて、先週から始まっている「ゴーギャン展」をみてきた。
目玉はボストン美術館からきた「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」で、139.1cm×374.6cmという横長の大作。画面中央に垂直に立って禁断の果実をとろうとしている半裸の女性が、まず目をひく。黄色い肌に青い影がさしていて、その陰影が、平面的な色面という先入見の修正を迫る。
※ なお画像は「ゴーギャン展」のホームページでご覧になれます。トップページから「本展のみどころ」→「≪我々はどこから来たのか≫作品解説」へ進んでください。http://gauguin2009.jp/items4.php
その女性の右側には、腰をおろして背中をみせる女性がおり、さらにその右横には赤ん坊(イエスの生誕)を見守る二人の女性がいる。これらの女性はみな、中央の女性と同様に、黄色い肌に青い影がさしている。
中央の女性が上に伸ばしている両腕の先端から、右下に向かって、腰をおろした女性、赤ん坊を見守る女性という具合に斜線が下がり、その先には赤ん坊がいて、この直角三角形が画面の重心になる。
一方、左側に目を向けると、中央の女性の左横には、禁断の果実を食べている少女がおり、その左横には成熟した肉体の女性、さらにその左横には死を迎えようとしている老婆がいる。この三人の女性を見守るようにして、生命をつかさどるという月の女神のヒナ像が立っている。
画面に登場する人間は、性別不詳の赤ん坊を除いて、女性のみ。右端には黒い犬が描かれているが、これは会場の解説によるとゴーギャン自身らしい。女性関係においてはエゴイズムの塊のようだったゴーギャンの、生涯の果ての心境かと思うと、ゴーギャンにたいする興味が芽生えてくる。
ともかく、明るい色彩と意外な陰影、そしてなによりも全体の透明感が、この作品のアルファであり、オメガだと思った。
他にも優れた作品がいろいろ集められているが、その中でも大原美術館の「かぐわしき大地」と損保ジャパン東郷青児美術館の「アリスカンの並木道、アルル」は、海外美術館所蔵の作品と比べても、ぬきんでて優れていると感じた。
(2009.07.09.東京国立近代美術館)
目玉はボストン美術館からきた「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」で、139.1cm×374.6cmという横長の大作。画面中央に垂直に立って禁断の果実をとろうとしている半裸の女性が、まず目をひく。黄色い肌に青い影がさしていて、その陰影が、平面的な色面という先入見の修正を迫る。
※ なお画像は「ゴーギャン展」のホームページでご覧になれます。トップページから「本展のみどころ」→「≪我々はどこから来たのか≫作品解説」へ進んでください。http://gauguin2009.jp/items4.php
その女性の右側には、腰をおろして背中をみせる女性がおり、さらにその右横には赤ん坊(イエスの生誕)を見守る二人の女性がいる。これらの女性はみな、中央の女性と同様に、黄色い肌に青い影がさしている。
中央の女性が上に伸ばしている両腕の先端から、右下に向かって、腰をおろした女性、赤ん坊を見守る女性という具合に斜線が下がり、その先には赤ん坊がいて、この直角三角形が画面の重心になる。
一方、左側に目を向けると、中央の女性の左横には、禁断の果実を食べている少女がおり、その左横には成熟した肉体の女性、さらにその左横には死を迎えようとしている老婆がいる。この三人の女性を見守るようにして、生命をつかさどるという月の女神のヒナ像が立っている。
画面に登場する人間は、性別不詳の赤ん坊を除いて、女性のみ。右端には黒い犬が描かれているが、これは会場の解説によるとゴーギャン自身らしい。女性関係においてはエゴイズムの塊のようだったゴーギャンの、生涯の果ての心境かと思うと、ゴーギャンにたいする興味が芽生えてくる。
ともかく、明るい色彩と意外な陰影、そしてなによりも全体の透明感が、この作品のアルファであり、オメガだと思った。
他にも優れた作品がいろいろ集められているが、その中でも大原美術館の「かぐわしき大地」と損保ジャパン東郷青児美術館の「アリスカンの並木道、アルル」は、海外美術館所蔵の作品と比べても、ぬきんでて優れていると感じた。
(2009.07.09.東京国立近代美術館)