Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

現代能楽集 鵺(ぬえ)

2009年07月06日 | 演劇
 新国立劇場で「現代能楽集 鵺(ぬえ)」の公演がはじまった。能の「鵺」を現代の劇作家の坂手洋二さんが翻案したもの。演出は同劇場演劇部門の芸術監督の鵜山仁さん。

 手元にある日本語大辞典(講談社)によると、鵺とは「①トラツグミの別名。②源頼政(みなもとのよりまさ)が退治したといわれる伝説上の怪物。頭部はサル、胴はタヌキ、尾はヘビ、手足はトラに似ていたという。③態度や考え方などがよくわからない人・物のたとえ。」とされている。能に出てくる鵺はもちろん②。

 能では、頼政に退治された鵺が亡霊となって出てきて、我が身を嘆く。勝者の雄叫びはどれも単調だが、敗者の嘆きは陰影に富み、私たちの共感を呼ぶ。鵺の嘆きも人生の味わいに満ちている。
 なお、後日談になるが、「鵺」では勝者になった頼政も、老年になって宇治の合戦で平家に敗れて自害する。頼政の亡霊が出てきて我が身を嘆く能もあって、それが「頼政」だ。

 坂手洋二さんの本作は、題名こそ「鵺」だが、実質は合戦の前夜の頼政をえがいたもので、時と場所は「頼政」に近い。合戦の前夜、かつて頼政に退治された鵺の亡霊が出てきて、引導を渡すという筋。実は鵺は、妖怪でもなんでもなくて、平和に暮らしていたトラツグミのつがいにすぎない――頼政はその雌のほうを(自らの手柄のために)殺してしまったという解釈で、これはこれで面白かったが、その解釈で一貫するわけではなく、鵺は崇徳院の怨霊だという日本史的な解釈も出てきて、焦点がぼやけた印象だ。
 キャストは、坂東三津五郎さんがさすがの格調の高さ。田中裕子さん(雌のツグミの亡霊)は仰々しくて、なにかのパロディとしか思えなかった。たかお鷹さんの頼政は老境の味わいを出していたが、村上淳さんの若い家臣は、台詞がほとんどききとれなかった。

 本作は3部構成になっていて、以上が第1部。第2部は現代の日本に変わる。ある雨の夜の川べりで10年以上前に別れた男女が出会うという筋。筋の詳細は控えるが、勝者と敗者(鵺)の立場が入れ替わるという本作のドラマ構成は、第2部のほうが鮮明だった。田中裕子さんは自然な演技にもどり、村上淳さんも台詞がききとれるようになった。
 第3部はアジアのある国(ヴェトナムであることが示唆される)の空港が舞台。臓器売買やテロなど、現代のあらゆる悪がぶちまけられるが、作者の手の内にある材料を再利用した感がある。
 幕切れは、原作者の世阿弥が鵺となって、時空をこえて跋扈するというイメージかなと思ったが、断言できるほど明瞭ではなかった。

 全体的に頭脳的な作りという印象だった。
(2009.07.03.新国立劇場小劇場)
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