今朝、新聞をひらいたら、指揮者の若杉弘さんの訃報が飛び込んできた。重い病をわずらい、昨年から演奏活動を休止していたが、とうとう来るべき日が来てしまった。
若杉さんは尖った企画力と、抜群の実行力をもっていた。そのお陰で私たちはどれほど多くの傑作や話題作に接することができたことか。若杉さんから受けた恩恵は、いくら感謝しても、感謝しきれないと思う。
記憶に新しいのは、2008年5月に新国立劇場で上演されたツィンマーマンのオペラ「軍人たち」だ。20世紀後半につくられた現代オペラ。楽音も騒音も、クラシックもジャズも、この世のあらゆる音を盛り込んだ音楽から、不正をこうむる弱者の叫びが上がってくる。その衝撃は生涯消えることはないだろう。
それに比べると地味かもしれないが、びわ湖ホールの芸術監督時代のヴェルディの初期作品の連続上演も驚きだった。ヴェルディの初期作品というと「ナブッコ」くらいしか知らなかった私は、「第1回十字軍のロンバルディア人」、「アッティラ」、「スティッフェリオ」などの作品にふれて、ヴェルディの成長の軌跡をたどるとともに、思いがけないオペラティックな面白さがあるのを知った。
若杉さんの思考回路は、日本の音楽事情を見渡して、演奏されるべき曲なのにまだ演奏されていないものを見つけ、そこを丹念に埋めていこうとする傾向があった。「軍人たち」やヴェルディの初期作品もそうだし、山田耕作のオペラ「黒船」もそうだった。
オペラだけではなく、オーケストラ作品も同じで、たとえば2007年6月に読売日響を振ったメシアンの大作「われらの主イエス・キリストの変容」もそうだった。
若杉さんは、ある面では、啓蒙主義的な世代の最後に位置する人、あるいは、啓蒙的な時代を完成させた人だと思う。
昔の思い出になるが、私が音楽をききはじめた中学生から高校生のころ、日本フィルの小澤征爾、N響の岩城宏之、読売日響の若杉弘は、若手指揮者のスターたちだった。その後、いうまでもないが、小澤さんは世界のメジャーオーケストラに進出し、岩城さんは日本の現代音楽を推進し、若杉さんは内外のオペラ劇場にかかわった。三者三様の道だった。
3人の中でも私がもっとも多くきいたのは、若杉さんだった。若杉さんの志向する道は、絶えず私の歩みと交錯して、音楽的な関心を広げてくれた。
若杉さん、ありがとうございました。お世話になりました。
若杉さんは尖った企画力と、抜群の実行力をもっていた。そのお陰で私たちはどれほど多くの傑作や話題作に接することができたことか。若杉さんから受けた恩恵は、いくら感謝しても、感謝しきれないと思う。
記憶に新しいのは、2008年5月に新国立劇場で上演されたツィンマーマンのオペラ「軍人たち」だ。20世紀後半につくられた現代オペラ。楽音も騒音も、クラシックもジャズも、この世のあらゆる音を盛り込んだ音楽から、不正をこうむる弱者の叫びが上がってくる。その衝撃は生涯消えることはないだろう。
それに比べると地味かもしれないが、びわ湖ホールの芸術監督時代のヴェルディの初期作品の連続上演も驚きだった。ヴェルディの初期作品というと「ナブッコ」くらいしか知らなかった私は、「第1回十字軍のロンバルディア人」、「アッティラ」、「スティッフェリオ」などの作品にふれて、ヴェルディの成長の軌跡をたどるとともに、思いがけないオペラティックな面白さがあるのを知った。
若杉さんの思考回路は、日本の音楽事情を見渡して、演奏されるべき曲なのにまだ演奏されていないものを見つけ、そこを丹念に埋めていこうとする傾向があった。「軍人たち」やヴェルディの初期作品もそうだし、山田耕作のオペラ「黒船」もそうだった。
オペラだけではなく、オーケストラ作品も同じで、たとえば2007年6月に読売日響を振ったメシアンの大作「われらの主イエス・キリストの変容」もそうだった。
若杉さんは、ある面では、啓蒙主義的な世代の最後に位置する人、あるいは、啓蒙的な時代を完成させた人だと思う。
昔の思い出になるが、私が音楽をききはじめた中学生から高校生のころ、日本フィルの小澤征爾、N響の岩城宏之、読売日響の若杉弘は、若手指揮者のスターたちだった。その後、いうまでもないが、小澤さんは世界のメジャーオーケストラに進出し、岩城さんは日本の現代音楽を推進し、若杉さんは内外のオペラ劇場にかかわった。三者三様の道だった。
3人の中でも私がもっとも多くきいたのは、若杉さんだった。若杉さんの志向する道は、絶えず私の歩みと交錯して、音楽的な関心を広げてくれた。
若杉さん、ありがとうございました。お世話になりました。