Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

七つの封印を有する書

2009年07月13日 | 音楽
 新日本フィルが音楽監督のアルミンクの指揮でフランツ・シュミットのオラトリオ「七つの封印を有する書」を演奏した。

 「七つの封印を有する書」とは新約聖書の最後に出てくるヨハネの黙示録のこと。神による最後の審判の光景を語ったものだが、おどろおどろしいイメージに満ちていて、どこか異端的な臭いがする。
 その黙示録を抜粋して再構成し、音楽をつけたのがこの曲。
 初演は1938年、ウィーンにて。1938年といえば、すでにウィーンはナチスの支配下にあり、その猛威が吹き荒れていた時期だ。そういう時期に黙示録を題材にしたオラトリオを初演するというそのきわどさ。作曲者にはなにか不退転の決意のようなものがあったのではないかと感じる。

 私は、演奏をききながら、初演当時のウィーンの聴衆がどう感じていたかが気になって、そのことが頭から離れなかった。当時の聴衆は、今は苦しみにあえぐ自分たちを、近い将来、救世主が救ってくれると感じたのか、あるいは、それとは正反対に、ナチスの行為を神の審判と重ね合わせた曲だと感じたのか。

 アルミンクの指揮する新日本フィルの演奏は、第1の封印から第6の封印までの第1部では、各曲の性格を描き分ける克明なものだったが、慎重すぎる気もした。第7の封印から神への賛美にいたる第2部では、現世を罰する神の怒りが見通しよく演奏されていて、いかにもアルミンクらしい演奏だと感じた。直後のハレルヤ・コーラスは、繰り返しハレルヤの声が湧き上がる、他に類例のない音楽で、あえて似たものを探せば、同じ作曲者によるオペラ「ノートルダム」の間奏曲くらいしかない。アルミンクとしても渾身の踏み込みをきかせた。

 この曲でいちばん大事なヨハネ役(テノール)はヘルベルト・リッペルト。実績のある歌手だが、この日の演奏ではときどき不安定さを感じた。
 神の声(バス)はクルト・リドル。声の深さと、変な表現だが、肉感性をもって私たちに迫る情熱は、日本人にはおよびもつかないものがある。
 合唱は栗友会合唱団。合唱はこの曲の演奏ではヨハネ役に次いで重要な存在だが、その役割を見事に果たしていて感心した。

 この難曲は、指揮者とオーケストラによほどの信頼関係がないと、演奏できない。かつてはアルブレヒトと読売日響がそういう信頼関係を築いていたが、今はアルミンクと新日本フィルが筆頭格だ。このコンビでないと実現できない演奏会だと思った。
(2009.07.11.すみだトリフォニーホール)
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