スクロヴァチェフスキは読売日響の9月定期で次のプログラムを振った。
(1)モーツァルト:交響曲第41番「ジュピター」
(2)ショスタコーヴィチ:交響曲第11番「1905年」
私はスクロヴァチェフスキのモーツァルトをきくのは、これが初めてかもしれない。あまりうまくない比喩で申し訳ないが、最新型のスポーツカーではなく、またノスタルジックなクラシックカーでもない、使い慣れた(しかしよく整備された)自動車に乗っているような印象があった。特段の目新しさはないが、安心感がある。
ほんとうは、オーケストラの音にもう一段の輝きがほしかった。弦の音色は艶消しのように感じられ、木管と金管はほとんどソットヴォーチェで終始していた。
スクロヴァチェフスキのショスタコーヴィチは、前に交響曲第10番をきいたことがあるが、今回もそのときと同じ印象をもった。一言でいうと、スコアをストレートに鳴らす演奏。スクロヴァチェフスキは、ブルックナーでは凝りに凝った演奏をきかせるが、ショスタコーヴィチではそうとう趣がちがう。
交響曲第11番は、血の日曜日事件(民衆の行進にたいして軍が発砲した事件。この事件がロシアの第1次革命につながった)を題材にした叙事的な曲なので、いくらでも凝った演奏が可能だと思われるし、映画のように描写的な演奏も考えられるが、スクロヴァチェフスキの演奏はそうではない。
たとえば第2楽章の後半で軍が発砲する場面など、スクロヴァチェフスキの演奏では拍節感がしっかり保持され、音楽の枠内に踏みとどまっている。
私は、こういう演奏だと、曲の最後の「警鐘」はどうきこえるだろうか――警鐘はほんとうに(やがて打倒されるべき)帝政ロシアにたいする警鐘にきこえるだろうか――と思い始めた。というのも、私には警鐘が、一般的にいわれているような、帝政ロシアにたいするものにはきこえず、もっと内に向けられたものにきこえるからだ。
警鐘は、力強い労働歌がいったん静まった後、不穏なバスクラリネットの動きが口火となって、切迫した音楽が結末に向かってなだれ込む中で、打ち鳴らされる。それがなにを意味するかは、今回もわからなかった。
曲が終わり、指揮棒が止まったとき、会場は静寂に包まれた。そして指揮棒が下りると同時に、大きな拍手がわき起こった。何度かのカーテンコールの後、オーケストラが引き上げても拍手は鳴り止まず、スクロヴァチェフスキが一人登場して、私をふくめた聴衆のスタンディング・オベーションを受けた。
(2009.09.30.サントリーホール)
(1)モーツァルト:交響曲第41番「ジュピター」
(2)ショスタコーヴィチ:交響曲第11番「1905年」
私はスクロヴァチェフスキのモーツァルトをきくのは、これが初めてかもしれない。あまりうまくない比喩で申し訳ないが、最新型のスポーツカーではなく、またノスタルジックなクラシックカーでもない、使い慣れた(しかしよく整備された)自動車に乗っているような印象があった。特段の目新しさはないが、安心感がある。
ほんとうは、オーケストラの音にもう一段の輝きがほしかった。弦の音色は艶消しのように感じられ、木管と金管はほとんどソットヴォーチェで終始していた。
スクロヴァチェフスキのショスタコーヴィチは、前に交響曲第10番をきいたことがあるが、今回もそのときと同じ印象をもった。一言でいうと、スコアをストレートに鳴らす演奏。スクロヴァチェフスキは、ブルックナーでは凝りに凝った演奏をきかせるが、ショスタコーヴィチではそうとう趣がちがう。
交響曲第11番は、血の日曜日事件(民衆の行進にたいして軍が発砲した事件。この事件がロシアの第1次革命につながった)を題材にした叙事的な曲なので、いくらでも凝った演奏が可能だと思われるし、映画のように描写的な演奏も考えられるが、スクロヴァチェフスキの演奏はそうではない。
たとえば第2楽章の後半で軍が発砲する場面など、スクロヴァチェフスキの演奏では拍節感がしっかり保持され、音楽の枠内に踏みとどまっている。
私は、こういう演奏だと、曲の最後の「警鐘」はどうきこえるだろうか――警鐘はほんとうに(やがて打倒されるべき)帝政ロシアにたいする警鐘にきこえるだろうか――と思い始めた。というのも、私には警鐘が、一般的にいわれているような、帝政ロシアにたいするものにはきこえず、もっと内に向けられたものにきこえるからだ。
警鐘は、力強い労働歌がいったん静まった後、不穏なバスクラリネットの動きが口火となって、切迫した音楽が結末に向かってなだれ込む中で、打ち鳴らされる。それがなにを意味するかは、今回もわからなかった。
曲が終わり、指揮棒が止まったとき、会場は静寂に包まれた。そして指揮棒が下りると同時に、大きな拍手がわき起こった。何度かのカーテンコールの後、オーケストラが引き上げても拍手は鳴り止まず、スクロヴァチェフスキが一人登場して、私をふくめた聴衆のスタンディング・オベーションを受けた。
(2009.09.30.サントリーホール)