Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

プレヴィン&N響(Aプロ)

2009年10月19日 | 音楽
 N響の首席客演指揮者にアンドレ・プレヴィンが就任して、10月定期はその披露演奏会になった。プログラム(Aプロ)は以下のとおり。
(1)W.リーム:厳粛な歌
(2)R.シュトラウス:歌劇「カプリッチョ」~最後の場(ソプラノ:フェリシティ・ロット)
(3)R.シュトラウス:家庭交響曲

 ヴォルフガング・リームは現代ドイツの作曲家。第2次世界大戦後の前衛運動が下火になって、方向感を見失ったように見えた時代に、新ロマン主義の呼び名で頭角をあらわした。その頃は私が音楽を手当たり次第にききはじめた頃で、音楽雑誌でその名前はよく目にしていたが、作品をきいたことはなかった。
 その後、連作「大河交響曲に向けて」の一部をきいて、その実力の一端にふれた思いがしたことを覚えている。
 「厳粛な歌」は高音楽器(ヴァイオリン、フルート、オーボエ、トランペット)を欠く特殊なオーケストラ編成。陰鬱な音楽が連綿と続く。解説によれば、ブラームスの最晩年の歌曲集「四つの厳粛な歌」に触発された曲とのことだが、ブラームスの場合は、底が抜けたようなペシミズムではじまるものの、曲が進むにつれて明るい部分が拡大する。それに比べると、リームの場合はほとんど発展性がないままだった。

 歌劇「カプリッチョ」の最後の場は、ホルン独奏ではじまる「月光の音楽」から。この場面は一日の騒動が静まって、だれもいなくなった露台に月の光がさす感動的な場面だが、演奏会でここからいきなりはじめられると、ホルン独奏が無味乾燥にきこえて戸惑った。
 やがて伯爵令嬢が登場する。私はフェリシティ・ロットをきくのはこれが初めてではないが、この日は上滑りした歌唱にきこえて、期待は十分には応えられなかった。
 一方、オーケストラは明るく艶のある音で、自由に息づいていた。

 家庭交響曲は、「カプリッチョ」できこえたオーケストラ演奏が、さらに確信をもって展開された。プレヴィンは、前かがみになって譜面をみながら、必要最小限のキューを出すだけだが、それでなぜあのように色彩豊かな演奏になるのか、驚くばかりだ。

 私は、何年か前に(多分ドイツだったと思うが)どこかの旅先でみたテレビ番組を思い出した。それはヴァイオリン奏者アンネ=ゾフィー・ムターのリハーサル風景と本番の演奏を追ったドキュメンタリー番組で、夫(当時)プレヴィンがムターと並んでインタヴューをうけていた。小柄なプレヴィンは、成功した実業家のように自信満々のムターの隣で、ほとんど口を挟まず、好々爺のように見えた。
 当時の香気ただようムターを妻にした男の色気が、この日の演奏でも感じられた。
(2009.10.18.NHKホール)
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