Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

ベートーヴェン交響曲全曲シリーズ第1回

2010年06月01日 | 音楽
 東京シティ・フィル創立35周年記念の「ベートーヴェン交響曲全曲シリーズ」がスタートした。常任指揮者の飯守泰次郎さんの企画。多くのメディアで取り上げられているように、往年の名指揮者イーゴリ・マルケヴィチの版による演奏がミソだ。

 マルケヴィチときいて、私は驚いてしまった。忘却の彼方から蘇ってきたような名前。しかもロシアやフランスの近代音楽のイメージが強かったその人が、ベートーヴェンの研究に心血を注いでいたとは思ってもいなかった。

 私はマルケヴィチを一度きいたことがある。まだ争議中の日本フィルに招かれて、ビゼーの「アルルの女」その他を振った。その演奏――というよりも、そのときのマルケヴィチの存在感――は圧倒的だった。同じような経験を、もう一度したことがある。チェリビダッケが初来日して、読売日響を振ったときのこと(曲目はメンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」序曲などだった)。チェリビダッケも、そしてマルケヴィチも、普通の指揮者が音楽に見いだしているものとは、全然ちがうものを見ているようだった。

 そのマルケヴィチ版の特徴は、「スタッカートの音の長さ、ダイナミクス、テンポ、フレージング、ボウイング、リピートなどの問題を、作曲の経緯および時代背景や楽器の改良の歴史も含め、ここまで徹底的に調べ上げた版は他にありません」とのこと(プログラム誌に掲載された飯守泰次郎さんの「マルケヴィチ版の使用について」より。東京シティ・フィルのHPのなかの7月15日の公演情報にも再掲されている)。

 さて、当日のプログラムは次のとおりだった。
(1)ベートーヴェン:歌劇「フィデリオ」序曲
(2)ベートーヴェン:交響曲第4番
(3)ベートーヴェン:交響曲第7番

 「フィデリオ」序曲は、意欲満々ながら、余裕のなさが感じられた。
 第4番は、鋭いアクセントとティンパニィの強打が、マルケヴィチのLP録音を彷彿とさせた。弦に潤いが生まれ、明るい音で、気迫のこもった演奏。
 マルケヴィチ版を使うと、演奏はマルケヴィチ流になるのかと思ったら、第7番では一転してゆったりと構えて始まった。それはそれなりに楽しんでいたら、第4楽章になるとトランペットとティンパニィの強奏が戻り、第4番と同じ感覚で演奏を終えた。

 往年の巨匠たちの重厚長大な演奏ではなく、近代的な感覚の演奏。その後時代はピリオド奏法にカーブを切ったが、これはこれで一つの可能性を秘めた方向だったと思う。
(2010.5.31.東京オペラシティ)
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