Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

マーラー交響曲第2番「復活」

2010年06月20日 | 音楽
 都響の6月定期はA、B両シリーズともプリンシパル・コンダクターのインバルの指揮でマーラーの交響曲第2番「復活」。これはインバルのマーラーとブルックナーの連続演奏の一環であるとともに、同響の定期700回記念の企画でもある。

 第1楽章冒頭の低弦による第1主題から、リズムが立って、歯切れのよい演奏。そうなのだ、インバルはアグレッシヴな演奏家なのだと、今更ながら思った。鋭いアクセントは昔からの特徴だが、今はそれに加えて、揺るぎない構築感がともなっている。全体の設計からはみ出すディテールがないのが、今のインバルの老獪さだ。たとえば経過句などはテンポを大きく揺らすが、それが殊更目立つことはない。

 ただ、どういうわけか、前回の交響曲第3番のような表現の柔軟さ、あるいは色彩の豊かさが感じられなかった。押しも押されもせぬ演奏だが、同時にそこには年齢による硬直性が忍び込んでいた――のでなければよいが。私がきいたのは3回公演の3回目だが、そのことによる影響もあったのだろうか。

 会場は緊迫感に包まれていた、と思っていたが、帰り際にほかの聴衆の「隣の人のプログラムをめくる音が気になって集中できなかった」という話し声がきこえた。難しいものだ。

 都響では、前回からだろうか、演奏会の前に「指揮者が指揮棒を下ろすまで拍手はお控えください」という趣旨のアナウンスが流れるようになった。何事もやってみるにしくはない。フライング拍手はなくなったが、その代わりに演奏終了後、微妙なためらいが生じるようになった。管理された拍手。それがよいのかどうかはわからない。

 独唱者ではメゾソプラノのイリス・フェルミリオンが感動的。この人の声は、声それ自体がマーラーの音楽だ。深く、暖かみがあり、魂の底から鳴り渡ってくるような声。第4楽章の「原光」の、ひたすら救われたいと願う歌が、飾り気なく、しかもそれゆえにある種の崇高さをもって歌われた。

 私は、フェルミリオンはドレスデンのオペラ「ペンテジレーア」で、ソプラノのノエミ・ナーデルマンはベルリン・コ―ミシェ・オーパーの大晦日のガラ公演の「メリィ・ウィドウ」で、それぞれきく機会があった。これはもちろん自慢話のつもりではなくて、両人とも主要歌劇場で主役をはれる歌手ということ。そういう歌手を日常的に呼べるようになったわけだ。

 合唱は二期会合唱団。可もなく不可もなくと言ったら失礼になるだろうか。
(2010.6.19.サントリーホール)
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