Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

渡邉暁雄没後20年

2010年06月11日 | 音楽
 日本フィルの創立指揮者渡邉暁雄が亡くなってから今年で20年になるという。その記念コンサートが6月13日(日)に開かれるが、当日のプログラムに掲載される予定の座談会が、同オーケストラのHPにアップされた。出席者は写真家の木之下晃さん、指揮者の高関健さん、音楽ジャーナリストの岩野裕一さんだ。

 そのなかで木之下晃さんがこういっていた。
 「でも、あれは(引用者注:渡邉暁雄、朝比奈隆、山田一雄)は独特な3人だったと思う。それは、岩城、若杉、小澤の3人と全然違う。やっぱり時代を作っていった人たち、暁先生、朝比奈先生、ヤマカズさんは、一所懸命、階段を作っていったんです。その階段を、次の世代の彼らは上がっていった(笑)。さらに最近の人は、それを階段ではなくてエスカレーターで登っているなという感じがしますよ。」

 エスカレーターで登っているとはどういう意味だろうという気がするが、ともかく戦後日本のオーケストラ界を牽引してきた第1世代、第2世代の区分は、たしかにそのとおりだ。これに続く次の世代は、外国も日本も同等の感覚でとらえて、世界中どこも自分の仕事場と考えている世代になるのではないか。私は、最近、大野和士さん、上岡敏之さん、阪哲朗さんが、外国のオーケストラを振るのと同じ感覚で日本のオーケストラを振るのをきいて、これが日本のオーケストラを変えるかもしれないと思った。

 高関健さんは、オーケストラのDNAというものに触れて、こういっている。
 「私はデビューのときからずっとやらせていただいていましたけれど(引用者注:日本フィルを振ってきたという意味)、やはりほかのオーケストラと違う点というのはあって、まずひとつは、アンサンブルを自分たちで組み立てなきゃいけないという意識が強いオーケストラだと思っているんです。」

 これがどの程度のレベルでいわれているのかはわからないが、少なくとも私はオーケストラに自省を促している発言のような気がした。私は1970年代からの日本フィルの定期会員だが、アンサンブルにたいする意識は昔のほうがあったと思う。今は、極端な例になるが、ソリスト気分で叩きまくっている打楽器奏者もいて、それを許しているオーケストラ自体に疑問をもってしまう。

 岩野裕一さんは、遺伝子を受け継ぐ重要性の文脈のなかで、「ひとりの指揮者が、1年間のほとんどの定期を振るという時代じゃなくなったことは、もちろん事実としてあるわけですけれど(後略)」といっているが、今でも新日本フィルのアルミンクのような例はあるし、かつては読売日響のアルブレヒトもそうだった。やりようによっては、似たことはできるわけだ。

 渡邉暁雄没後20年――この20年で日本フィルは他のオーケストラに水をあけられつつあるのが残念。
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