Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

矢崎彦太郎/東京シティ・フィル

2011年11月12日 | 音楽
 東京シティ・フィルの11月定期は首席客演指揮者の矢崎彦太郎による「フランス音楽の彩と翳」シリーズの18回目。毎回フランス近代の作品を聴かせてくれるので楽しみにしている。今回も興味深いプログラムだ。

 開演前にロビー・コンサートがあった。ヴァイオリン2、ヴィオラ、チェロ、コントラバス、トランペットの5人編成でバッハのカンタータからのアリア。晴れやかなトランペットの音色が響き渡り、音楽的な愉悦を味わった。

 1曲目はレイナルド・アーンReynaldo Hahnの「ベアトリス・デストゥの舞踏会」。アーンというその名は記憶のどこかにあったが、音楽のイメージはまったくなかった。本作は、木管、金管、打楽器、ハープ2とピアノという編成。弦楽器は入っていない。このような楽器編成から想像される透明感のある曲だ。アルカイックな曲想はラヴェルの「クープランの墓」を思い出させた。

 2曲目はドビュッシーの「ピアノと管弦楽のための幻想曲」。これも珍しい曲だ。昨年7月にカンブルラン指揮の読響が演奏した(ピアノ独奏は児玉桃)。多分この曲を聴いたのはそのときが初めて。今回は2度目。2度目なのでどういう曲かよくわかった。ドビュッシーのイタリア留学中の作品だが、いたるところに、といってよいほど後年の交響詩「海」を彷彿とさせる音型がある。

 ピアノ独奏は菅野潤。わたしは存じ上げない方だったが、パリを拠点に世界中で、さらには日本各地でも活動を続けている演奏家だ。音が美しい。華やかなピアニズムで売るタイプではなく、じっくり音楽をかみしめるタイプだ。アンコールで弾かれたドビュッシーも素直で美しかった。

 休憩をはさんで後半の冒頭にトークがあった。矢崎さんと中央大学教授でプルーストの研究家、斉木眞一氏の対談。今回のプログラムはプルーストがキーワードになっているので、それにちなんだ対談だった。斉木氏いわく、「失われた時を求めて」は最初から読まなくてもよい、むしろパッと開いて、そこに書いてあることを読むだけでよい、と。これに励まされて、長年の宿題に手をつけてみようか、という気になった。

 後半のプログラムはフランクの「交響曲」。緩急の差をつけ、熱い想いがあふれる演奏だった。
 なお東京シティ・フィルは来シーズン、体制が変わる。来シーズンには矢崎さんの出番はないが、いつかまたこのシリーズが復活することを。
(2011.11.11.東京オペラシティ)
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