Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

年末の演奏会あれこれ

2012年12月21日 | 音楽
 カンブルラン/読響の「第九」を聴いた。驚いた。今までこういう演奏を経験したことがあるだろうか。ピタッと合ったピッチ、音程そしてリズム。それらが生みだす――尖った鉛筆のような――極細の音。テンポは速い。正確に測ったわけではないが、大体65分くらいではなかったろうか。一般的には70分前後だから、かなり速い。もちろん思い入れたっぷりのテンポ・ルバートなど一切ない。ウィキペディアを見ると、「研究家が考証を行った古楽器による演奏では大概63分程度であり(以下略)」という記述があるので、このテンポは根拠あってのことだろう。

 これは「ゆく年くる年」の第九ではなかった。今年一年を振り返って、感慨に浸り、演奏会が終わったら「さあ、忘年会だ」と飲みに行くような演奏ではなかった。そういう情緒的な演奏ではなく、――いってみれば――もっと冷厳な演奏だった。

 こういう演奏が可能になったのは、カンブルランの恐るべき耳のよさと、読響の演奏力のゆえだが、もう一つは、優秀な独唱陣(木下美穂子、林美智子、小原啓楼、与那城敬)と新国立劇場合唱団の力量あってのことだ。実力をもったプロが参集して、カンブルランという類まれな統率者のもとで成し遂げた演奏だ。

 だからこの演奏は、プロの方が面白く感じるだろう。これはすごいと感じるのは、むしろプロの方だったろう。
(2012.12.19.サントリーホール)

 その前後にはヤクブ・フルシャ/都響の定期があった。定期Bはコダーイの「ガランタ舞曲」とバルトークの「中国の不思議な役人」組曲が聴きものだった。ともにフルシャの才能が全開。アグレッシヴにオーケストラを駆り立てた。もっともわたしは――正直にいうと――、大声でまくしたてる人の話を聞いているときのような疲れを感じた。
(2012.12.15.サントリーホール)

 定期Aはマルティヌーの交響曲第6番「交響的幻想曲」が聴きもののはずだったが、若干期待外れだった。入念な音づくりが施されているのだが、慎重になりすぎて、感興に乏しかった。演奏とは難しいものだ。フルシャとしては思い入れのある曲だろうが、本番でその成果が出なかった。

 むしろベルリオーズの「幻想交響曲」の方が面白かった。だが、これはわたしの方の事情だが、都響でこの種の曲を聴くと、どうしてもフルネの音を想い出してしまって、もう一つ身が入らなかった。
(2012.12.20.東京文化会館)
コメント (4)
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