Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

音のいない世界で

2012年12月26日 | 演劇
 新国立劇場からのクリスマス・プレゼント、演劇「音のいない世界で」。公演は1月20日まで続くから――さらにその後、山形、仙台、北上に巡演する――、お年玉プレゼントでもある。

 作・演出は長塚圭史。ある日、大切なカバンを盗まれたセイ(松たか子)が、カバンを探しに出かける。帰ってきた旦那さん(首藤康之)は、セイがいないので、セイを追って出る。二人は巡り合うことができるのか。カバンとはなにか――という物語。

 カバンを盗んだ兄弟役は、近藤良平と長塚圭史(作・演出の長塚圭史その人)。これらの4人が一人で何役も演じる。たとえば松たか子は、清純なセイの他、酔っ払いの羊飼いと、凛々しい兵隊(バレエ「くるみ割り人形」の兵隊のようだ)を演じる。さすがに見事な演じ分けだ。

 他の3人も個性的だ。首藤康之はバレエ・ダンサー。ちょっとした回転などさすがに本職だ。最近は演劇にも進出しているそうだ。貧しく純情な旦那さんを好演した。近藤良平はダンスの振付師。羊の演技になんともいえない滑稽味があった。長塚圭史は劇作家・演出家。自らも舞台にたつことで、観客に親しみのある芝居にした。

 これらの4人が織りなす透明な世界がこの芝居だ。さまざまなエピソードが綴られていく。全体を把握することが目的ではない。個々のエピソードを楽しめばいい。それらに共通するシンボルがある。それをどう解釈するかは、観客に委ねられている。観客が自己のイマジネーションを、あるいはそのときの人生を、投影すればいい。

 これはいってもいいと思うが、セイと旦那さんは巡り合う。カバンも戻る。そこに流れる歌がある。意外な歌だ。歌詞はプログラムに載っている。けれどもメロディーは思い浮かばなかった。あっと思った。ジンとしみた。

 わたしの場合は、そこに最近の出来事を投影した。投影せざるを得なかった。元の職場の知人が自らの命を絶った。その知らせが前日に届いたばかりだった。命を絶つ前に、なにかのメロディーが浮かばなかったろうか。なにか大事なものを思い出さなかったろうか。もし思い出していたら、思い止まったのではないか、と。

 なんだかやりきれない年末だ。そんなわたしも、この芝居に慰められた。幸せな人は、この芝居を観て、もっと幸せになるだろう。そういう人が沢山いますように。大人も、そして――この芝居の場合はとくに――子どもも。
(2012.12.25.新国立劇場小劇場)
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