Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

エドワード二世

2013年10月25日 | 演劇
 クリストファー・マーロウ(1564‐1593)の「エドワード二世」。シェイクスピア=マーロウ説(シェイクスピアの作品は実はマーロウが書いたとする説)でその名を記憶しているが、実際に作品を観るのは初めてだ。

 エドワード二世は実在の人物(在位1307‐1327)。英国史上最低の烙印をおされているそうだ(プログラムに掲載された石井美樹子氏のエッセイによる)。そのエドワード二世と王妃イザベラ、イザベラの愛人で野心家のモーティマー、その他の貴族たち、司教たちが繰り広げる血なまぐさい権力闘争が本作だ。

 シェイクスピアの「ヘンリー六世」三部作(およびその続編の「リチャード三世」)と似ているともいえるが、肌合いはそうとうちがう。シェイクスピアの場合はヒューマニズムが最後のところで支えているが、マーロウの場合はヒューマニズムなど糞くらえ、というところがある。この世のすべてを嘲笑い、己の欲望のためにはどんな手段も辞さない、そんな人生観がある。

 モーティマーが最後に権力をつかむ場面では、モンテヴェルディのオペラ「ポッペアの戴冠」を思い出した。両者には似たところがある。もっとも、ポッペアの場合は頂点に上りつめたところで終わるが、本作の場合はモーティマーが権力をつかんだその瞬間に転落して終わる。では、勧善懲悪か。そうとは感じられなかった。そんなものは寄せ付けない、なにかあからさまな――身も蓋もない――現実感覚があった。

 パワー全開の舞台だ。おそろしくテンションの高い舞台だ。そのテンションの高さが最初から最後までずっと続く。省エネタイプとは真逆だ。演劇とはこうでなければいけないと思った。

 演出は森新太郎。30代の若手だ。この公演は宮田慶子芸術監督が30代の若手演出家の3人にそれぞれ好きな作品を演出させる「Try・Angle」シリーズの第2弾だ。これは好企画だと思う。それに応えた森新太郎も見事だ。

 エドワード二世は柄本佑(えもと・たすく)。この世離れした「史上最低」(前述)の王をここまで演じられるのかと感心した。王の寵臣ギャヴィストンを演じた下総源太朗(しもふさ・げんたろう)の怪演にもまた圧倒された。王妃イザベラの中村中(なかむら・あたる)は、大勢(16人)の男たちにまじって紅一点、引けを取らなかった。(注)

 控えめながらフリージャズのような音楽も気に入った。
(2013.10.24.新国立劇場小劇場)

(注)中村中さんは戸籍上は男性だとのこと。コメント(↓)をいただいて初めて知りました。無知で申し訳ありません。
コメント (2)
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