尾高忠明/東京フィルの「ベルシャザールの饗宴」をメインにした演奏会。主催は文化庁芸術祭執行委員会となっているが、制作は新国立劇場。実質的には新国立劇場の公演といってもいいのだろう。
新国立劇場でオーケストラの演奏会が開かれたことは、今まであったろうか。たぶんあったのだろう。わたしは聴いたことがないので、今回が初めて。なので、新国立劇場の演奏会場としての適性が一番の興味の的だった。
大劇場に入ると、舞台いっぱいにオーケストラ席が配置され、背後には合唱団の席が設けられている。舞台手前の両サイドには花が飾られている。照明も美しい。なかなか壮観だ。祝祭的な気分が盛り上がる。
オーケストラが席に着く。しばしの間があって、皇太子ご夫妻がご臨席。会場から拍手が起きる。雅子さまもお元気そうで何よりだ。
1曲目はディーリアスのオペラ「村のロメオとジュリエット」から間奏曲「楽園への道」。昔このオペラを一度観てみたいと思って、ドイツのある街に行ったことがある。公演自体はいい経験になったが、そのときの演奏にくらべて、この演奏のなんと繊細なことか。この曲に求められる繊細さの限りを尽くした観があった。
2曲目はエルガーの連作歌曲集「海の絵」。この曲は初めてだったが、いい曲だ。交響曲などで馴染みの、ちょっとフォーマルなエルガーではなく、くつろいで、ロマン主義者の素顔を見せたエルガーだ。端的にいって、交響曲よりも聴きやすかった。メゾソプラノの加納悦子の独唱。本年2月の「グレの歌」の「山鳩」を想い出した。
3曲目はウォルトンの「ベルシャザールの饗宴」。何度か聴いたことのあるこの曲だが、その決定版というか、ついにその決定的な演奏を聴いたという感慨をもった。実にモチベーションの高い演奏、細部まで決まった演奏、さらにいえば祝祭性に富む演奏。この曲の金字塔となる演奏だと思った。
合唱は新国立劇場合唱団。最近は皆さん絶賛なので、もうなにも付け加えることはないが、冒頭のアカペラの部分で一片の濁りを感じたのは、わたしの勘違いか。バリトン独唱は荻原潤。大編成のオーケストラと合唱に引けをとらないパワーがあった。
この劇場が演奏会場として優れていることがわかったことも収穫だった(わたしの席は3階ライト)。ヨーロッパの古いオペラ劇場のデッドな音響とは一味ちがうことが功を奏しているのだろう。
(2013.10.1.新国立劇場)
新国立劇場でオーケストラの演奏会が開かれたことは、今まであったろうか。たぶんあったのだろう。わたしは聴いたことがないので、今回が初めて。なので、新国立劇場の演奏会場としての適性が一番の興味の的だった。
大劇場に入ると、舞台いっぱいにオーケストラ席が配置され、背後には合唱団の席が設けられている。舞台手前の両サイドには花が飾られている。照明も美しい。なかなか壮観だ。祝祭的な気分が盛り上がる。
オーケストラが席に着く。しばしの間があって、皇太子ご夫妻がご臨席。会場から拍手が起きる。雅子さまもお元気そうで何よりだ。
1曲目はディーリアスのオペラ「村のロメオとジュリエット」から間奏曲「楽園への道」。昔このオペラを一度観てみたいと思って、ドイツのある街に行ったことがある。公演自体はいい経験になったが、そのときの演奏にくらべて、この演奏のなんと繊細なことか。この曲に求められる繊細さの限りを尽くした観があった。
2曲目はエルガーの連作歌曲集「海の絵」。この曲は初めてだったが、いい曲だ。交響曲などで馴染みの、ちょっとフォーマルなエルガーではなく、くつろいで、ロマン主義者の素顔を見せたエルガーだ。端的にいって、交響曲よりも聴きやすかった。メゾソプラノの加納悦子の独唱。本年2月の「グレの歌」の「山鳩」を想い出した。
3曲目はウォルトンの「ベルシャザールの饗宴」。何度か聴いたことのあるこの曲だが、その決定版というか、ついにその決定的な演奏を聴いたという感慨をもった。実にモチベーションの高い演奏、細部まで決まった演奏、さらにいえば祝祭性に富む演奏。この曲の金字塔となる演奏だと思った。
合唱は新国立劇場合唱団。最近は皆さん絶賛なので、もうなにも付け加えることはないが、冒頭のアカペラの部分で一片の濁りを感じたのは、わたしの勘違いか。バリトン独唱は荻原潤。大編成のオーケストラと合唱に引けをとらないパワーがあった。
この劇場が演奏会場として優れていることがわかったことも収穫だった(わたしの席は3階ライト)。ヨーロッパの古いオペラ劇場のデッドな音響とは一味ちがうことが功を奏しているのだろう。
(2013.10.1.新国立劇場)