Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

リア

2013年11月09日 | 音楽
 アリベルト・ライマン(1936‐)のオペラ「リア」。今年一番の注目公演だ。CDはもう何度聴いたことだろう。初めて聴いたときから、これは傑作だと思った。シェイクスピアの原作に真っ向から取り組んでいるからだ。2012年のハンブルク州立歌劇場での公演は観に行くことができた。カロリーネ・グルーバーの演出に圧倒された。そして今度の公演。さて、どうなるか。

 一番感心したのはオーケストラだ。ピットが狭いので、ピットには弦楽器だけ。木管楽器と打楽器は舞台の下手側、金管楽器は上手側に配置されていた。指揮者との距離はかなり離れている。それはモニターでカバーすると同時に、副指揮者が(舞台の袖で)ペンライトで補助していた。

 こういう配置だと客席ではどう聴こえるか――。まず弦楽器が細かい音まではっきりと聴こえる。その点が新鮮だった。一番感銘を受けた箇所は幕切れの部分だ。弦楽器がフラジオレットで最弱音を続ける。そのとき各奏者の弓の上げ下げが奏者ごとに異なり、その都度ポツンポツンとアクセントが付く。それがリアの心象風景のように感じられた。

 また打楽器がひじょうに遠くから聴こえてくるので、耳を聾さずに、かえってはっきりと聴こえた。同じことは金管楽器にもいえた。細かい音は聴こえにくくなっているかもしれないが、ここぞというときの衝撃力があった。

 このような配置上の効果もさることながら、下野竜也指揮の読響の演奏も神経の行き届いた、引き締まった演奏だった。ハンブルクで観たときは、もっと粗っぽかった(指揮はシモーネ・ヤング)。今回こんなに鮮明にその音楽が聴こえるとは驚きだった。

 タイトルロールは小森輝彦。狂気に陥った第2部での、惨めで弱々しいリアに説得力があった。まだ力を残している第1部のリアよりもリアリティがあった。他の歌手もそれぞれ見事な役作りだった。瞠目したのはカウンターテナーの藤木大地だ。白痴のトムを装って登場したときのその声にはゾクゾクした。

 道化はダンサーの三枝宏次。これは大成功だった。この役を――役者ではなく――ダンサーが演じるとは、だれの発案だったのだろう。炯眼だ。ドイツ語の台詞もがんばっていた。癖のあるドイツ語だが、道化の役柄なので許される。

 演出は栗山民也。いつもながらの丁寧な演出で、なんの文句もないが、ここまでくると、さらに一段上のインパクトがほしかった。
(2013.11.8.日生劇場)
コメント (2)
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