トゥガン・ソヒエフ指揮のN響定期。今をときめく30代の指揮者の一人ソヒエフ(1977年‐)を聴くのは初めてだ。ナクソス・ミュージック・ライブラリーを覗くと何枚かのCDが登録されていたが、あえて聴かないでおいた。新たな才能との出会いを楽しみたかったから。
1曲目はボロディンの交響詩「中央アジアの草原で」。名曲コンサートみたいな選曲だなと思ったが、演奏はそんなレベルではなかった。冒頭の弦の最弱音は緊張感にとみ、続いて出てくるクラリネットの旋律にはニュアンス豊かな起伏がほどこされていた。全体的に真剣勝負の――というと変な表現かもしれないが、要するにこの一曲でパッと聴衆の心をつかむに足る――演奏だった。
2曲目はラフマニノフのピアノ協奏曲第2番。これも気合の入った演奏。オーケストラのほうから先にいうと、身ぶりの大きい、大波が打ち寄せるような演奏だった。ピアノ独奏のボリス・ベレゾフスキーも歯切れのいい、バリバリ弾く演奏スタイルだったので、目が覚めるようなスケールの大きさが現前した。
アンコールが演奏された。ラフマニノフの「10の前奏曲作品23」から第5番ト短調。これがまたスケールの大きい演奏。NHKホールのあの巨大な空間にピアノの音がガンガン鳴り響いた。それを聴いて、ピアノ協奏曲第2番の演奏がどういうものであったか、よくわかった次第だ。
最後はプロコフィエフの交響曲第5番。第1楽章では緻密なアンサンブル、しなやかな旋律線、一気に駆け上る最強音といった諸点に耳をそばだて、第2楽章では――今まで気づいていなかった――細かな音型の出現に息を呑み、スリル満点の終結部に手に汗を握った。第3楽章以下もその路線上にあった。
以上3曲のいずれにもそれぞれ異なるこの指揮者の側面を見出した観がある。そして全体としては、この指揮者が音楽とじっくり向き合っている――音楽と自分とのあいだに隙間がない――という感じをもった。
これは同世代のアンドリス・ネルソンスや、――ソヒエフよりは少しだけ若い――山田和樹にも感じることだ。別の言い方をするなら、無理に個性を売り物にしない世代のように感じる。もっと自然体というか、おそらく幼いころから音楽に浸ってきたであろうその環境から自然に出てくる音楽性が感じられる。
この日は自由席をふくめて全席完売だった。さすがに皆さんよく心得ている。
(2013.11.16.NHKホール)
1曲目はボロディンの交響詩「中央アジアの草原で」。名曲コンサートみたいな選曲だなと思ったが、演奏はそんなレベルではなかった。冒頭の弦の最弱音は緊張感にとみ、続いて出てくるクラリネットの旋律にはニュアンス豊かな起伏がほどこされていた。全体的に真剣勝負の――というと変な表現かもしれないが、要するにこの一曲でパッと聴衆の心をつかむに足る――演奏だった。
2曲目はラフマニノフのピアノ協奏曲第2番。これも気合の入った演奏。オーケストラのほうから先にいうと、身ぶりの大きい、大波が打ち寄せるような演奏だった。ピアノ独奏のボリス・ベレゾフスキーも歯切れのいい、バリバリ弾く演奏スタイルだったので、目が覚めるようなスケールの大きさが現前した。
アンコールが演奏された。ラフマニノフの「10の前奏曲作品23」から第5番ト短調。これがまたスケールの大きい演奏。NHKホールのあの巨大な空間にピアノの音がガンガン鳴り響いた。それを聴いて、ピアノ協奏曲第2番の演奏がどういうものであったか、よくわかった次第だ。
最後はプロコフィエフの交響曲第5番。第1楽章では緻密なアンサンブル、しなやかな旋律線、一気に駆け上る最強音といった諸点に耳をそばだて、第2楽章では――今まで気づいていなかった――細かな音型の出現に息を呑み、スリル満点の終結部に手に汗を握った。第3楽章以下もその路線上にあった。
以上3曲のいずれにもそれぞれ異なるこの指揮者の側面を見出した観がある。そして全体としては、この指揮者が音楽とじっくり向き合っている――音楽と自分とのあいだに隙間がない――という感じをもった。
これは同世代のアンドリス・ネルソンスや、――ソヒエフよりは少しだけ若い――山田和樹にも感じることだ。別の言い方をするなら、無理に個性を売り物にしない世代のように感じる。もっと自然体というか、おそらく幼いころから音楽に浸ってきたであろうその環境から自然に出てくる音楽性が感じられる。
この日は自由席をふくめて全席完売だった。さすがに皆さんよく心得ている。
(2013.11.16.NHKホール)