新国立劇場のジョナサン・ミラー演出「ばらの騎士」は、今回で3度目だ。3度目ともなると、新鮮味は薄れる。とはいっても、第1幕の幕切れの窓外の雨、そしてそれを見つめる元帥夫人の姿は、やはり名場面だ。とくに今回はシュヴァーネヴィルムスが元帥夫人を演じているので、‘絵になる’美しさだ。
もう一つ、第3幕の幕切れで、オクタヴィアンとゾフィーが手に手を取って駆け去る場面。これも大好きだ。若い二人の喜びがあふれる場面だ。その後に出てくる黒人のお小姓は、ゾフィーが落としたハンカチを拾うのではなく、テーブルに残ったお菓子をつまみ食いする。これも微笑ましい。
今更ながら、このオペラは、各幕の幕切れが用意周到に計算されていることに感心した。第1幕は、前述したように元帥夫人の一人舞台。時の移ろいを省察した後、メランコリーにしずむ元帥夫人の心情が滲み出る。
第2幕はオックス男爵の一人舞台だ。腕に怪我をしてひどい目にあったオックス男爵だが、マリアンデル(じつはオクタヴィアンの女装)との逢引きに胸をときめかして上機嫌になる。その姿が憎めない。
そして前述の第3幕。オクタヴィアンとゾフィー、若い二人の喜びで幕を閉じる。
このオペラの主人公はだれなのだろう――と、時々思うことがある。元帥夫人だろうか、オックス男爵だろうか、それともオクタヴィアンとゾフィーか。演出によって印象が異なるし、同じ演出でも配役によって印象は変わる。どれが正解ということはないことが、このオペラの奥深さだ。
今回この配役では、わたしはオクタヴィアンとゾフィーだと思った。元帥夫人もオックス男爵もすばらしかったが、それら2役を演じる名歌手シュヴァーネヴィルムス(元帥夫人)とユルゲン・リン(オックス男爵)は、味のあるバイプレーヤーにまわり、まだ無名の若手ステファニー・アタナソフ(オクタヴィアン)とアンケ・ブリーゲル(ゾフィー)を盛り立てていたように思う。
シュテファン・ショルテスの指揮は、とくに第1幕が面白かった。絶え間なく生起する細かい動きと突然のギアチェンジが、克明に辿られていた。一方、陶酔にひたる面は見られなかった。プロフィールによると、ショルテスはウィーン育ちだが、ハンガリー生まれだ。そういわれてみると、なるほど、往年のハンガリー生まれの巨匠指揮者たちに通じる演奏スタイルが感じられた。
(2015.5.27.新国立劇場)
もう一つ、第3幕の幕切れで、オクタヴィアンとゾフィーが手に手を取って駆け去る場面。これも大好きだ。若い二人の喜びがあふれる場面だ。その後に出てくる黒人のお小姓は、ゾフィーが落としたハンカチを拾うのではなく、テーブルに残ったお菓子をつまみ食いする。これも微笑ましい。
今更ながら、このオペラは、各幕の幕切れが用意周到に計算されていることに感心した。第1幕は、前述したように元帥夫人の一人舞台。時の移ろいを省察した後、メランコリーにしずむ元帥夫人の心情が滲み出る。
第2幕はオックス男爵の一人舞台だ。腕に怪我をしてひどい目にあったオックス男爵だが、マリアンデル(じつはオクタヴィアンの女装)との逢引きに胸をときめかして上機嫌になる。その姿が憎めない。
そして前述の第3幕。オクタヴィアンとゾフィー、若い二人の喜びで幕を閉じる。
このオペラの主人公はだれなのだろう――と、時々思うことがある。元帥夫人だろうか、オックス男爵だろうか、それともオクタヴィアンとゾフィーか。演出によって印象が異なるし、同じ演出でも配役によって印象は変わる。どれが正解ということはないことが、このオペラの奥深さだ。
今回この配役では、わたしはオクタヴィアンとゾフィーだと思った。元帥夫人もオックス男爵もすばらしかったが、それら2役を演じる名歌手シュヴァーネヴィルムス(元帥夫人)とユルゲン・リン(オックス男爵)は、味のあるバイプレーヤーにまわり、まだ無名の若手ステファニー・アタナソフ(オクタヴィアン)とアンケ・ブリーゲル(ゾフィー)を盛り立てていたように思う。
シュテファン・ショルテスの指揮は、とくに第1幕が面白かった。絶え間なく生起する細かい動きと突然のギアチェンジが、克明に辿られていた。一方、陶酔にひたる面は見られなかった。プロフィールによると、ショルテスはウィーン育ちだが、ハンガリー生まれだ。そういわれてみると、なるほど、往年のハンガリー生まれの巨匠指揮者たちに通じる演奏スタイルが感じられた。
(2015.5.27.新国立劇場)