Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

下野竜也/日本フィル

2015年05月16日 | 音楽
 下野竜也が指揮する日本フィルの定期。日本フィルが委嘱した作品(日本フィル・シリーズ)の再演プログラムだ。下野竜也が前回登場した2012年7月定期も、同様の趣旨のプログラムだった。あのときは山本直純(1932‐2002)の「和楽器と管弦楽のためのカプリチオ」(1963)の破天荒なズッコケぶりに腰を抜かされた。あまりに面白かったので、翌日も聴きに行った。

 今回1曲目は黛敏郎(1929‐1997)の「フォノロジー・サンフォニック」(1957)。熱い時代の反映だ。ただ、いかにも生硬。片山杜秀氏のプログラム・ノーツで気がついたが、傑作「涅槃交響曲」の前年の作品だ。わずか1年での飛躍が信じられない。演奏はこの曲のそんな本質をよく伝えていた。

 2曲は林光(1931‐2012)の「Winds」(1974)。想い出深い曲だ。わたしはこの年、日本フィルの定期会員になった。まだ大学生だったが、アルバイトで稼いだお金で定期会員になった。その最初のシーズンで初演された。争議中のオーケストラが新作の委嘱を再開したことに感動した。

 ただ曲そのものには戸惑った。なにをどう捉えたらいいのかと。でも、昨日の演奏でよく分かった。無数の風が、穏やかな微風から暗い一陣の疾風まで、ステージから吹いてくるような面白さがあった。演奏も多彩な風を的確に表現していた。

 3曲目は三善晃(1933‐2013)の「霧の果実」(1997)。テクスチュアの緻密さが前2曲とは格段の差だ。林光はあえて粗いテクスチュアを意図したのかもしれない。黛敏郎は若さにまかせて書いたのだろう。一方、三善晃のこの作品は、成熟した書法で書かれている。三善晃の想いがこめられた作品。でも、昨日の演奏ではそれが剥き出しにならない点が、この作品に相応しかった。

 4曲目は矢代秋雄(1929‐1976)の「交響曲」(1958)。堂々たる交響曲だ。今回のような特別の趣向のコンサートではなく、普通のコンサートでも、プログラムの最後を飾るに足る作品だ。

 全4楽章のうち第3楽章には、メシアンがオンドマルトノのために書いたような、非対称の拍節感をもった、延々と伸びる旋律が出てくる。また第4楽章の激しいリズムは、「春の祭典」の終曲「生贄の踊り」からの影響が感じられる。でも、それらを含めても、矢代秋雄の個性の枠内にとどまっている。大した才能だ。
(2015.5.15.サントリーホール)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする