Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

遥かなる愛

2015年05月29日 | 音楽
 サーリアホのオペラ「遥かなる愛」の演奏会形式上演。わたしにとっては今年前半の目玉の一つだ。

 予習には、ナクソス・ミュージック・ライブラリーに入っているので、音源だけならそれで十分だったが、どうしてもリブレットがほしくて、CDを購入した。CD到着後、初めて聴いたときには、涙が出るほど感動した。2度目に聴いたときには、リブレットを追うことに専念した。そして3度目は音響をつかむことに集中した。

 自分としては万全の準備をして臨んだ公演だったが、2つの点で躓いた。1つは、倍音を積み上げて構成する(スペクトル楽派の)音響が、あまりきれいに聴こえなかったことだ。なぜだろう。電気的な音響処理のせいだろうか――と思った。

 ライブエレクトロニクス的な音響の変化や自然音の挿入などはいいのだが、独唱者や合唱、さらにはオーケストラの生音の部分的な強調や微調整は、わたしには素直に受け入れられない。それらの生音を脳内でバランス調整して、聴くべき音を選択する自由を奪われているような気がする。

 もう1つは映像の存在だ。ジャン=バティスト・バリエールの映像は美しかったが、美しいが故に、映像に集中すべきか、それとも映像はわき見をする程度で、音楽に集中すべきか、どっちにするか――という状態で終わってしまった。

 そんな結果になったが、でも、会場に入ってくるサーリアホを見たときは、ミーハー的かもしれないが、心ときめくものがあった。サーリアホはわたしと同世代だ。なので、特別の想いがある。とくに「遥かなる愛」(2000年初演)あたりからは、その音楽が雄弁になった。アイドルを見るファンの心境が、わたしにはあるのだ。

 藤田茂氏のプログラムノーツによると、本作はサーリアホがメシアンのオペラ「アッシジの聖フランチェスコ」を観たことが創作の契機になっているそうだ。これは納得だ。本作をCDで聴いたとき、「アッシジ……」を連想したからだ。オペラというより、オラトリオに近い。そんなドラマトゥルギーの共通性を感じた。わたしの大好きなオペラ「アッシジ……」が、こうして別の作品につながっていることが嬉しかった。

 3人の独唱者の与那城敬、林正子、池田香織は、皆さん大健闘だった。ただ、わたしは林正子の、頑張って強く出る声が、ちょっと苦手だが――。東京混声合唱団の透明なハーモニーも印象に残った。
(2015.5.28.東京オペラシティ)
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