ラトビア生まれの若い指揮者アンドリス・ポーガ(1980年生まれ)が振ったN響Cプログラムは、思ったよりも味のあるプログラムだった。聴いているうちに、やっとそれが分かった。
1曲目はモーツァルトの交響曲第1番。モーツァルトが8歳のときの作品だ。記念すべき第1番。昨年7月には東京シティ・フィルが演奏した。ポーガの指揮するN響はフワッと柔らかい音で大らかな演奏。弦は10-8-6-5-3の編成。オーボエとホルンが各2本。
2曲目のモーツァルトのホルン協奏曲第1番は、じつは1791年、モーツァルトが亡くなる年の作品だった! 衝撃の事実だ。1980年代に入って自筆スコアが発見され、用紙や筆跡の研究の結果、1791年と推定されたそうだ。
死の年のモーツァルトといえば、ピアノ協奏曲第27番、クラリネット協奏曲、「魔笛」そして未完のレクイエムと、‘白鳥の歌’のような作品が並んでいる。わたしは学生の頃から特別な想いを抱いていた。ところが、近年になって、ピアノ協奏曲第27番は3年ほど前にすでに書き始められていたことが判明。わたしの‘神話’にヒビが入った。そして今度はホルン協奏曲第1番が死の年の作品に仲間入りした。
白鳥の歌のイメージからは遠いが、でも、やっぱりいい曲だ。そう思ったのは、ホルン独奏のバボラークのお陰でもあるかもしれない。
オーケストラの方は、弦が10-8-6-5-3の編成。1曲目の交響曲第1番と同じだ。でも、音楽はまったく違う。音色に色彩感がある。陰影の移ろいが感じられる。興味津々、聴き入った。モーツァルトの成長というと、大天才にたいして失礼だが、ともかく見違えるような変貌ぶりだ。念のために付言すると、管はオーボエとファゴットが各2本。交響曲第1番と似たような編成だ。
3曲目はリヒャルト・シュトラウスのホルン協奏曲第1番。シュトラウスがまだ10代の作品だ。モーツァルトに比べると、ホルンの音色が華やかだ。時代が変わった。
4曲目はラフマニノフの交響的舞曲。ラフマニノフ最後の作品だ。第1楽章の末尾に交響曲第1番が引用されている。その箇所を聴きながら、「そうか、このプログラムは、作曲者の起点と終点を交互に織り込んだプログラムなのか」と気が付いた。面白い。演奏がプログラムほど面白かったらもっとよかったが――。よくいえば大らか。でも、緩褌(ゆるふん)だった
(2015.6.13.NHKホール)
1曲目はモーツァルトの交響曲第1番。モーツァルトが8歳のときの作品だ。記念すべき第1番。昨年7月には東京シティ・フィルが演奏した。ポーガの指揮するN響はフワッと柔らかい音で大らかな演奏。弦は10-8-6-5-3の編成。オーボエとホルンが各2本。
2曲目のモーツァルトのホルン協奏曲第1番は、じつは1791年、モーツァルトが亡くなる年の作品だった! 衝撃の事実だ。1980年代に入って自筆スコアが発見され、用紙や筆跡の研究の結果、1791年と推定されたそうだ。
死の年のモーツァルトといえば、ピアノ協奏曲第27番、クラリネット協奏曲、「魔笛」そして未完のレクイエムと、‘白鳥の歌’のような作品が並んでいる。わたしは学生の頃から特別な想いを抱いていた。ところが、近年になって、ピアノ協奏曲第27番は3年ほど前にすでに書き始められていたことが判明。わたしの‘神話’にヒビが入った。そして今度はホルン協奏曲第1番が死の年の作品に仲間入りした。
白鳥の歌のイメージからは遠いが、でも、やっぱりいい曲だ。そう思ったのは、ホルン独奏のバボラークのお陰でもあるかもしれない。
オーケストラの方は、弦が10-8-6-5-3の編成。1曲目の交響曲第1番と同じだ。でも、音楽はまったく違う。音色に色彩感がある。陰影の移ろいが感じられる。興味津々、聴き入った。モーツァルトの成長というと、大天才にたいして失礼だが、ともかく見違えるような変貌ぶりだ。念のために付言すると、管はオーボエとファゴットが各2本。交響曲第1番と似たような編成だ。
3曲目はリヒャルト・シュトラウスのホルン協奏曲第1番。シュトラウスがまだ10代の作品だ。モーツァルトに比べると、ホルンの音色が華やかだ。時代が変わった。
4曲目はラフマニノフの交響的舞曲。ラフマニノフ最後の作品だ。第1楽章の末尾に交響曲第1番が引用されている。その箇所を聴きながら、「そうか、このプログラムは、作曲者の起点と終点を交互に織り込んだプログラムなのか」と気が付いた。面白い。演奏がプログラムほど面白かったらもっとよかったが――。よくいえば大らか。でも、緩褌(ゆるふん)だった
(2015.6.13.NHKホール)