Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

東海道四谷怪談

2015年06月17日 | 演劇
 新国立劇場の「東海道四谷怪談」。歌舞伎としての公演ではなく、演劇としての公演だ。演出は森新太郎。過去2回の公演(2011年のベケットの「ゴドーを待ちながら」と2013年のマーロウの「エドワード二世」)が、ともにパワーあふれる公演だったので、今回も期待が高まった。

 結論からいうと、歌舞伎の骨格を残しながら、現代的な感覚で再構築した公演だ。言い替えるなら、歌舞伎の娯楽性を活かしながら、シャープな感覚を投入した公演。

 民谷伊右衛門とお岩とのドラマがクリアーに浮き上がった。とくに伊右衛門のキャラクターが現代的だ。何事につけ――明るく――その場その場を取り繕うキャラクター。欲望の赴くままだ。今の社会のどこにでもいそうなキャラクター。はた迷惑だが、意外に一部の人には人気があったりする。

 一方、今回のお岩は、耐え忍ぶキャラクター。幽霊になってからは、復讐を遂げるが、そのときも、「うらめしや~」というドロドロした湿っぽいキャラクターではなく、繊細さを残していた。

 キャストは、お岩が秋山菜津子、伊右衛門が内野聖陽(うちの・せいよう)。ともに好演だ。この2人でなければ、上記のキャラクターは、これほど鮮明にならなかったか、あるいは少し変質したのではないか。

 今回、お岩以外のすべての女性役は、男性が演じていた。「エドワード二世」もすべて男性だった。唯一の女性役である王妃イザベラを演じていた中村中(なかむら・あたる)も男性だ――もっとも、わたしは上演中はずっと女性だと思っていたが――。男たちのぶつかり合いから生まれるパワーが、両者に共通している。

 一番ショックだったのは音楽だ。パーカッションのビートが効いた無機的な音楽(とくに前半はそうだった)はいいのだが、前半と後半の転回点に当たるお岩の化粧の場面で、突如ある有名なピアノ曲が流れた。ものすごい違和感があった(その曲名は、これからご覧になる方のために、伏せることにするが、ご覧になる予定のない方のためには、下記のコメント欄に書いておくので、お手数をかけて申し訳ないが、興味のある方はご参照ください)。

 ところが、最終場面で、その曲が再現したとき、わたしは納得した。無数の追っ手を、切って、切って、切りまくる伊右衛門の際限のないシーン。そのとき流れるこの曲が、美しい舞台美術ともども、伊右衛門の人生の虚しさを感じさせた。
(2015.6.16.新国立劇場中劇場)
コメント (1)
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