Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

ザルツブルク(6):フィガロの結婚

2015年08月19日 | 音楽
 スヴェン=エリック・ベヒトルフの演出で「フィガロの結婚」。ザルツブルクのオペラは、スター歌手を集めて、料金も高額に設定する路線だが、この「フィガロの結婚」は、料金はともかく、歌手は若手を揃えた点で異色だ。

 アルマヴィーヴァ伯爵、伯爵夫人、スザンナ、フィガロの4人は、みんな若い。プロフィールによると、皆さんヨーロッパの主要劇場で歌っている人たちだが、事情に疎いわたしには、知っている名前はなかった。4人とも実力があり、活きがよく、演技も達者だ。

 今回制作の「フィガロの結婚」は、若者たちのドラマだ。身分の違いはあるにせよ、みんな同世代。羽目を外したり、ぶつかったりする。そんな若者たちのドラマだ。前史の「セヴィリアの理髪師」から数年しか経っていないのだから、それももっともだ。

 登場人物全体は3つの世代に分かれる。上記の4人は20代。マルチェリーナとドン・バルトロは親の世代。一方、ケルビーノとバルバリーナはまだ10代だ。

 ドラマの本筋は20代の4人の官能のぶつかり合いで展開するが、そこに他の世代も絡む。マルチェリーナはフィガロと結婚したがる。ケルビーノは伯爵夫人に愛を訴える。アルマヴィーヴァ伯爵はバルバリーナに手を出す。同世代の、あるいは世代を超えた官能のうずき、そしてぶつかり合いがこのオペラだ。

 ベヒトルフの演出では、そういうドラマが浮き出てきた。読み替えとかなんとか、特別なことはなにもしていない。ドラマを細かく、丁寧に、具体的に作り込む演出だ。その中から3つの世代の官能のドラマが見えてくる。わたしにはそんな登場人物たちが愛おしく感じられた。

 フィガロのアリア「もう飛ぶまいぞこの蝶々」では、フィガロが歌っている間に、伯爵もスザンナも、そしてケルビーノも部屋から出ていく。一人取り残されるフィガロ。照明も落ちる。ドキッとした。

 第3幕は台所だった。調理場があり、使用人たちの食卓がある。そういえば、チューリヒ歌劇場の来日公演でベヒトルフが演出した「ばらの騎士」でも台所が出てきた。トレードマークなのだろうか。

 指揮はダン・エッティンガー。ザルツブルクの「フィガロの結婚」を任せられたのだから御同慶の至りだ。第4幕のスザンナのアリアの最後のところやフィナーレの大詰めでテンポをぐっと落としたあたりは、以前と変わらない。また全体に音楽が重かった。
(2015.8.9.モーツァルトの家)
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