Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

舟越保武展

2015年08月03日 | 美術
 「舟越保武彫刻展」が開催中だ。舟越保武に畏敬の念を抱いているわたしは、身の引き締まる想いで見にいった。

 舟越保武(ふなこし・やすたけ)(1912‐2002)。代表作としては「長崎26殉教者記念像」(長崎市西坂公園に設置、1962年)、「原の城(はらのじょう)」(1971年)そして「ダミアン神父」(1975年)がある。

 本展ではそれらの代表作が一堂に会している(ただし、「長崎26殉教者記念像」は一部)。

 「原の城」(↓)は1637年10月~翌年2月に起きた島原の乱を題材とした作品だ。反乱を起こしたキリシタン農民は、無残にも弾圧された。そんな農民の一人が月夜に亡霊となって現れる。それが本作だ。粗末な兜と鎧を身に着け、弱々しく前かがみに立っている。虚ろで放心したような目。世の無常が一陣の風のように吹きすぎる。

 一方、「ダミアン神父」(↓)は実在の人物だ(1840‐1889)。ベルギー出身の修道士。ハワイに派遣されてホノルルで司祭となり、モロカイ島に渡ってハンセン病患者の看病と布教に身を捧げた。自らもハンセン病に罹患したとき、「これで『我々癩者は』と言うことができる」と喜んだそうだ。

 「ダミアン神父」の顔は異常にただれている。ハンセン病の症状だ。目は大きく見開かれている。自身に現れた症状に驚いているのか。だが、怯えてはいない。落ち着いた穏やかさがある。「原の城」の農民の空洞となった目とは対照的だ。

 本展では「原の城」と「ダミアン神父」は同じ部屋に向かい合って展示されている。壮観といえば壮観だが、両者に漂う雰囲気はかなり異なる。できれば別々の部屋で見たかった。

 初期の作品「隕石」(1940年)(↓)は初見だった。若い男性の頭部。目をつぶっている。瞑想しているようだ。マッス(塊り)としての量感のずっしりした手応えがある。この作品はなにを物語っているのだろう――と、そんなことを考えながら週末を過ごした。

 舟越保武と画家・松本竣介(1912‐1948)は同年生まれ、盛岡中学の同期生だ。東京に出てからも親しく付き合った。松本竣介は早熟の画家だ。戦争の緊張がピークに達したこの時期、暗い世相を映した鋭い絵を描いた(↓)。一方、舟越保武はじっと黙想して、自身の行く末に思いをはせた。「隕石」はそういう姿のように思えた。
(2015.7.31.練馬区立美術館)

舟越保武「原の城」
舟越保武「ダミアン神父」
舟越保武「隕石」
松本竣介「都会」(1940年)
コメント
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