Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

ザルツブルク(7):メキシコの征服

2015年08月20日 | 音楽
 ザルツブルク最終日はヴォルフガング・リーム(1952‐)のムジークテアター「メキシコの征服」を観た。1992年にハンブルク州立歌劇場で初演され(指揮は今回と同じメッツマッハー)、以後も各地で何度か上演されている。

 台本はリーム自身が作成した。アントナン・アルトー(1896‐1948)の「メキシコの征服」と「セラフィムの劇場」、その他いくつかの素材に基づく。ただ、台本とはいっても、観念的で、かつ断片的な言葉が並ぶものだ。ストーリーは1521年のスペインによるメキシコ(アステカ王国)征服を基調にしている。でも、行為とか事件を具体的に描いているわけではないので、自由な解釈が可能だ。

 演出はペーター・コンヴィチュニー。当初の発表はリュック・ボンディだった。途中で降りてしまった。代役がコンヴィチュニー。これには驚いた。興味が倍増した。

 フェルゼンライトシューレの横長の舞台の左右に、廃車が山積みになっている。その中央に白い部屋。モンテスマ(史実ではアステカ王で男性だが、リームはソプラノを充てたので、女性として舞台化することができる)が恋人コルテス(史実ではスペイン人でアステカ王国の征服者。リームはバリトンを充てている)の到来を待っている。

 最初は仲睦まじく語り合う2人。でも、その内にコルテスがモンテスマの体を求め、モンテスマが拒むあたりから様子が一変する。亀裂はどんどん深まり、悪夢のような様相を呈する。

 傑作だったのは、スペイン軍がアステカ王国を破壊する戦闘の場面が、パソコンゲームの場面になったことだ。コルテスもモンテスマも、お互いの存在などそっちのけで、パソコンゲームに熱中する。フェルゼンライトシューレの大空間にゲームの映像が投影される。2人の戦いが、矮小化、相対化、異化される。

 コルテスはボー・スコウフス、モンテスマはアンゲラ・デノケ。至難をきわめる歌唱パートを(ザルツブルク音楽祭の公式ブログの7月24日の項に2人のインタビューが載っている)、体にしっかり覚え込ませた歌唱だ。

 指揮はメッツマッハー。シンプルかつプリミティヴな力を持つ音楽だが、巨大な音響のコントロールが必要なこの作品には、メッツマッハー以上の指揮者はいないだろう。見事の一語に尽きる。以前にザルツブルク音楽祭でツィンマーマンの「軍人たち」を振ったときの記憶が蘇ってきた。
(2015.8.10.フェルゼンライトシューレ)
コメント (2)
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