今年のサマーフェスの目玉、ツィンマーマンの「ある若き詩人のためのレクイエム」。ついにこの日が来たという想いで出かけた。
開演時刻になると、指揮者の大野和士とプロデューサーの長木誠司が登場。プレトークだ。お二人ともトークのうまさは天下一品。この曲が初めての人にも、熟知している人にも、それぞれ得るものがある話だったと思う。
休憩後、いよいよ演奏が始まる。冒頭の重低音の電子音は「ラインの黄金」の幕開きのようだ。ただし、直後にテープから哲学者ヴットゲンシュタインの著作の朗読や、ワルシャワ条約機構軍の‘プラハの春’弾圧を前にドゥプチェク第一書記がおこなったチェコ国民向けのラジオ演説が流れる。過酷な20世紀の記録だ。
これらの音声を含むテープ音は、位置がクリアーで、微妙な遠近が感じられた。エレクトロニクスは有馬純寿。音響全般に繊細さが感じられた。さすがだ。
合唱(新国立劇場合唱団)の最初の叫び「レクイエム」。音量は適量だ。2013年11月のフランクフルトでの演奏を聴いたときには、合唱は倍くらいの人数で、耳を聾さんばかりの音量だった。それはそれで意味があったと思うが、音楽としては今回のほうが納得できる。
語り(長谷川初範と塩田泰久)がドイツ基本法と「毛沢東語録」を読み始める。テープから流れる音声は数を増す。もう判別できない。「トリスタンとイゾルデ」の愛の死(レコード録音)も流れる。そして合唱の2度目の叫び「レクイエム」。
突然ビートルズの「ヘイ・ジュード」が闖入する。20世紀の‘今’の闖入か。オーケストラが入り、ソプラノ独唱(森川栄子)とバス独唱(大沼徹)が入る。ソプラノは高音の超絶技巧だ。テープからベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」(レコード録音)が流れる。
音の洪水、いや、濁流だ。金管が「神々の黄昏」の‘愛の救済の動機’を吹く。奇妙にデフォルメされ、悲鳴のようだ。マーラーの交響曲第6番「悲劇的」のハンマーがそれを叩き潰す。政治デモの音声がすべてを覆う。一瞬の静寂の後、「我らに平和を与え給え」の叫びで終わる。
大野和士の指揮は見事の一語だ。巨大な音響をコントロールし、あえて誤解を恐れずにいえば、すっきりとまとめた。この作品はやはり‘音楽’なのだと思った。フランクフルトで聴いたときには、過去と向き合うイヴェントに圧倒される想いだった。
(2015.8.23.サントリーホール)
開演時刻になると、指揮者の大野和士とプロデューサーの長木誠司が登場。プレトークだ。お二人ともトークのうまさは天下一品。この曲が初めての人にも、熟知している人にも、それぞれ得るものがある話だったと思う。
休憩後、いよいよ演奏が始まる。冒頭の重低音の電子音は「ラインの黄金」の幕開きのようだ。ただし、直後にテープから哲学者ヴットゲンシュタインの著作の朗読や、ワルシャワ条約機構軍の‘プラハの春’弾圧を前にドゥプチェク第一書記がおこなったチェコ国民向けのラジオ演説が流れる。過酷な20世紀の記録だ。
これらの音声を含むテープ音は、位置がクリアーで、微妙な遠近が感じられた。エレクトロニクスは有馬純寿。音響全般に繊細さが感じられた。さすがだ。
合唱(新国立劇場合唱団)の最初の叫び「レクイエム」。音量は適量だ。2013年11月のフランクフルトでの演奏を聴いたときには、合唱は倍くらいの人数で、耳を聾さんばかりの音量だった。それはそれで意味があったと思うが、音楽としては今回のほうが納得できる。
語り(長谷川初範と塩田泰久)がドイツ基本法と「毛沢東語録」を読み始める。テープから流れる音声は数を増す。もう判別できない。「トリスタンとイゾルデ」の愛の死(レコード録音)も流れる。そして合唱の2度目の叫び「レクイエム」。
突然ビートルズの「ヘイ・ジュード」が闖入する。20世紀の‘今’の闖入か。オーケストラが入り、ソプラノ独唱(森川栄子)とバス独唱(大沼徹)が入る。ソプラノは高音の超絶技巧だ。テープからベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」(レコード録音)が流れる。
音の洪水、いや、濁流だ。金管が「神々の黄昏」の‘愛の救済の動機’を吹く。奇妙にデフォルメされ、悲鳴のようだ。マーラーの交響曲第6番「悲劇的」のハンマーがそれを叩き潰す。政治デモの音声がすべてを覆う。一瞬の静寂の後、「我らに平和を与え給え」の叫びで終わる。
大野和士の指揮は見事の一語だ。巨大な音響をコントロールし、あえて誤解を恐れずにいえば、すっきりとまとめた。この作品はやはり‘音楽’なのだと思った。フランクフルトで聴いたときには、過去と向き合うイヴェントに圧倒される想いだった。
(2015.8.23.サントリーホール)