ポーラ美術館で「自然と都市展」が開催されている。同館の収蔵品の中から「自然と都市」のテーマで選択・構成したもの。19世紀の後半から20世紀初めまでの絵画、具体的にはコロー、クールベから始まってモネ、セザンヌなどの印象派、スーラ、シニャックなどの点描派、ゴッホ、ゴーギャンなどのポスト印象派、モジリアーニ、ユトリロなどのエコール・ド・パリ、さらにはピカソ、シャガールまでの作品を展示している。
ポーラ美術館の収蔵品の質の高さが実感される。会場にいると、音楽に身をゆだねているような感じがする。ゆったりと流れる音楽。その流れの中に浮遊しているような心地よさを感じる。
大半の作品は以前に見たことがあるが、初めて見る作品もあった。たとえばヴラマンクの「湖」。その絵が目に入ってきたときには、ドイツ表現主義の画家、とりわけブリュッケの画家のだれかの作品だろうかと思った。木々の緑がそう感じさせた。キャプションを見たらヴラマンクとあった。そうか、ヴラマンクかと。
一方、何度も見た絵でも、「自然と都市」という文脈に置くと、新鮮に感じる作品があった。たとえばルソーの「エデンの園のエヴァ」。熱帯の密林のような風景が、理想郷としての‘自然’といわれると、ハッと意表を突かれる想いがした。
今回一番心を動かされた作品は、シャガールが故郷ヴィテブスクを描いた作品群だ――余談だが、絵というものは不思議なもので、毎回毎回、心が動く作品が変わるような気がする。ある作品に心が動いても、次に見たときにはなにも感じなかったり、また何度も見た作品でも、あるとき突然心が動いたりする――。
本展では、それらの作品群のために、一つのコーナーが設けられている。三方を囲まれたそのコーナーに入って、それらの作品群を眺めていると、シャガールの郷愁が身に染みてくる。
「ヴィテブスクの冬の夜」は初めて見る作品だ。雪に閉ざされたヴィテブスク。夜空から雪が舞っている。向かって右には大きな教会。左には粗末な家。その中間に一組の恋人が抱き合って空に浮いている。男はシャガール、花嫁姿の女は最初の妻ベラだろう。
これは1947年の作品だ。ベラはすでに病没している。ヴィテブスクも第二次世界大戦中にドイツ軍とソ連軍との戦闘で破壊された。そんな痛々しい想いがこの作品には込められているのだろう。
(2015.12.24.ポーラ美術館)
※本展のHP
ポーラ美術館の収蔵品の質の高さが実感される。会場にいると、音楽に身をゆだねているような感じがする。ゆったりと流れる音楽。その流れの中に浮遊しているような心地よさを感じる。
大半の作品は以前に見たことがあるが、初めて見る作品もあった。たとえばヴラマンクの「湖」。その絵が目に入ってきたときには、ドイツ表現主義の画家、とりわけブリュッケの画家のだれかの作品だろうかと思った。木々の緑がそう感じさせた。キャプションを見たらヴラマンクとあった。そうか、ヴラマンクかと。
一方、何度も見た絵でも、「自然と都市」という文脈に置くと、新鮮に感じる作品があった。たとえばルソーの「エデンの園のエヴァ」。熱帯の密林のような風景が、理想郷としての‘自然’といわれると、ハッと意表を突かれる想いがした。
今回一番心を動かされた作品は、シャガールが故郷ヴィテブスクを描いた作品群だ――余談だが、絵というものは不思議なもので、毎回毎回、心が動く作品が変わるような気がする。ある作品に心が動いても、次に見たときにはなにも感じなかったり、また何度も見た作品でも、あるとき突然心が動いたりする――。
本展では、それらの作品群のために、一つのコーナーが設けられている。三方を囲まれたそのコーナーに入って、それらの作品群を眺めていると、シャガールの郷愁が身に染みてくる。
「ヴィテブスクの冬の夜」は初めて見る作品だ。雪に閉ざされたヴィテブスク。夜空から雪が舞っている。向かって右には大きな教会。左には粗末な家。その中間に一組の恋人が抱き合って空に浮いている。男はシャガール、花嫁姿の女は最初の妻ベラだろう。
これは1947年の作品だ。ベラはすでに病没している。ヴィテブスクも第二次世界大戦中にドイツ軍とソ連軍との戦闘で破壊された。そんな痛々しい想いがこの作品には込められているのだろう。
(2015.12.24.ポーラ美術館)
※本展のHP