Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

カンブルラン/読響

2017年01月26日 | 音楽
 カンブルラン指揮読響の名曲コンサート(今回は第600回に当たる)。デュカス、ドビュッシー、ショーソンと並んだフランス近代のプログラム。わたしは定期のほうの会員だが、プログラムに惹かれて行った。

 1曲目はデュカスの「ラ・ペリ」。カンブルランが振るデュカスというと、パリ・オペラ座の来日公演(あれはいつだったか)でのオペラ「アリアーヌと青ひげ」が忘れられないが、あのときの色彩感は再現せず、今回は比較的あっさり系だった。

 率直に言うと、カンブルラン/読響ならこのくらいできて当たり前と感じた。金管のファンファーレの冒頭で不安定さを感じたが、大きな破綻もなく乗りきり、バレエ音楽に入ってからはその演奏を楽しんだことも事実だが、終わってみると、もう一段の練り上げがほしかった。

 2曲目のドビュッシーの「夜想曲」は平板だった。デュカスの「ラ・ペリ」で感じた小さな物足りなさが、「夜想曲」では拡大した。女声合唱は新国立劇場合唱団。最後の低音は音程がふらつかず、太い音が出ていたことが印象的だ。

 考えてみると、「夜想曲」はわたしの好きな曲なのに、実演では感心したことがないかもしれない。アバド/ベルリン・フィルの来日公演でこの曲をやったときには、気合を入れて聴きに行ったが、ぴったりこなかった。なぜだろう。ひょっとすると実演向きではない要素がこの曲にはあるのだろうか‥。

 以上2曲の演奏は、控え目に言えばソフトフォーカス、はっきり言えば焦点が絞りきれていない印象が残った。積極性が足りなかったと言ってもよい。わたしは戸惑った。

 ところが3曲目のショーソンの「交響曲」になると様相は一変した。第1楽章の序奏が暗く悲劇的な音色で鳴り、主部に入ると明るく繊細な音色に変わった。リズムには浮遊感が生まれ、音が精妙に絡み合いながら流動性豊かな演奏が展開した。第2楽章、第3楽章も同様の演奏となり、カンブルラン/読響の名演がまた一つ生まれた。

 カンブルラン/読響は、フランス近代の音楽はもちろんだが、ワーグナーやブルックナーも演奏してきたので、そこで蓄積した音色のパレットの多彩さが、ショーソンの「交響曲」で結実した感がある。もっとも、来シーズンはメシアンのオペラ「アッシジの聖フランチェスコ」が予定されているので、カンブルラン/読響はまだまだ先に行くだろう。頼もしいことだ。
(2017.1.25.サントリーホール)
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