カイヤ・サーリアホ(1952‐)のオペラ「遥かなる愛」は、2015年5月に東京でも演奏会形式で上演されたが(エルネスト・マルティネス=イスキエルド指揮の東響、歌手は日本人歌手たち)、わたしは満足できなかった。今回は2016年12月のニューヨーク・メトロポリタン歌劇場での上演の録画。
映画館での上映なので、音質はかならずしもよくない。しかもヴォリュームを上げているので、耳への負担が大きい。でも、幕開きのオーケストラの序奏からしてクリアーでエッジの立った演奏であることが分かる。
オペラが進むにつれて、薄日の中を舞う粉雪のような音が浮遊し、また倍音が垂直に積み上がる音響が現れる。その透明な美しさと劇的なインパクト。完全にサーリアホ・ワールドだ。指揮のスザンナ・マルッキの鋭敏な感性と、メトロポリタン歌劇場のオーケストラの優秀さ(普段は現代オペラをあまりやっていないのに)に感心する。
クレマンスはスザンナ・フィリップス。美しい容姿。しかも心理の揺れが細やかに表現されている。メトロポリタン歌劇場の大空間で観ていたら、そこまでの細やかさは見えなかったかもしれない。表情がクローズアップされる映画館の強みだ。
ジョフレ・リュデルはエリック・オーウェンズ。張りのある深い声だ。じつはこのブログを書く前に数人の方のブログを拝見したが、黒人で大柄で、年齢も若くはないオーウェンズは、この役にはふさわしくないというご意見があった。でも、わたしは気にならなかった。もし若くてハンサムな歌手だったら、このオペラは美男美女の話になって、わたしからは遠くなったかも‥。
巡礼の旅人はタマラ・マムフォード。中性的なこの役に適任だ。このオペラの興味深い点は、領主であり吟遊詩人でもあるリュデルが、まだ見ぬ恋人のクレマンスへの愛を歌う詩を、リュデルではなく、巡礼の旅人が歌う点だ。たぶんメゾソプラノで歌わせたかったのだろう。マムフォードの歌唱が胸を打った。
まだ会ったことがなく、しかも地中海で遠く隔てられているクレマンスとリュデルだが、だからこそ二人の愛は研ぎ澄まされていく。緊迫していくその愛の高まりに圧倒された。
ロベール・ルパージュの演出、マイケル・カリーの美術は、舞台いっぱいに‘光の海’を現出し、このオペラが「トリスタンとイゾルデ」に連なる‘海のオペラ’であることを示した。
(2017.1.27.新宿ピカデリー)
映画館での上映なので、音質はかならずしもよくない。しかもヴォリュームを上げているので、耳への負担が大きい。でも、幕開きのオーケストラの序奏からしてクリアーでエッジの立った演奏であることが分かる。
オペラが進むにつれて、薄日の中を舞う粉雪のような音が浮遊し、また倍音が垂直に積み上がる音響が現れる。その透明な美しさと劇的なインパクト。完全にサーリアホ・ワールドだ。指揮のスザンナ・マルッキの鋭敏な感性と、メトロポリタン歌劇場のオーケストラの優秀さ(普段は現代オペラをあまりやっていないのに)に感心する。
クレマンスはスザンナ・フィリップス。美しい容姿。しかも心理の揺れが細やかに表現されている。メトロポリタン歌劇場の大空間で観ていたら、そこまでの細やかさは見えなかったかもしれない。表情がクローズアップされる映画館の強みだ。
ジョフレ・リュデルはエリック・オーウェンズ。張りのある深い声だ。じつはこのブログを書く前に数人の方のブログを拝見したが、黒人で大柄で、年齢も若くはないオーウェンズは、この役にはふさわしくないというご意見があった。でも、わたしは気にならなかった。もし若くてハンサムな歌手だったら、このオペラは美男美女の話になって、わたしからは遠くなったかも‥。
巡礼の旅人はタマラ・マムフォード。中性的なこの役に適任だ。このオペラの興味深い点は、領主であり吟遊詩人でもあるリュデルが、まだ見ぬ恋人のクレマンスへの愛を歌う詩を、リュデルではなく、巡礼の旅人が歌う点だ。たぶんメゾソプラノで歌わせたかったのだろう。マムフォードの歌唱が胸を打った。
まだ会ったことがなく、しかも地中海で遠く隔てられているクレマンスとリュデルだが、だからこそ二人の愛は研ぎ澄まされていく。緊迫していくその愛の高まりに圧倒された。
ロベール・ルパージュの演出、マイケル・カリーの美術は、舞台いっぱいに‘光の海’を現出し、このオペラが「トリスタンとイゾルデ」に連なる‘海のオペラ’であることを示した。
(2017.1.27.新宿ピカデリー)