ハインツ・ホリガー(1939‐)の「スカルダネッリ・ツィクルス」全曲演奏会。演奏時間約2時間半で途中休憩なしというのは、ワーグナーの「ラインの黄金」並みの長さだが、実際に聴いてみると、案に相違して、あっという間に過ぎた。
総計22曲が連続して演奏される。各曲は短いもので2~3分、長いもので10分くらい。それらの曲が3部に分けられている。3部構成は演奏者への配慮かもしれない。それはそうだろうと思った。演奏者に極度の緊張を強いる曲が続くので、各部の切れ目でホッと一息つくことが必要だし、それは聴衆も同じだ。
楽器編成は、フルート・ソロあり、無伴奏混声合唱あり(器楽アンサンブルが極めて控えめに音を添える場合がある)、器楽アンサンブルあり、電子音あり、そしてそれらの組み合わせあり、という具合。音も4分音、8分音が駆使される。多彩な音色と微妙な音程を追っているうちに、いつの間にか時間が過ぎた、というのが実感だ。
どの曲にも(例外なく)透明な空気感がある。けっして濁ったり、激情を爆発させたりしない。聴衆をエモーショナルに揺さぶらず、意識を覚醒させ、耳を澄ますように導く。ひじょうに精巧な細工物という感じがする。年季が入った職人の途方もない手仕事のような感触だ。
指揮はホリガー自身。フルートはフェリックス・ラングレ。本作に含まれるフルート曲はオーレル・ニコレを想定して書かれたようだが、ラングレはニコレの弟子だ。合唱はラトヴィア放送合唱団。ホリガーの過酷な要求に応えた驚異の合唱だ。器楽アンサンブルはアンサンブル・ノマド。細心の音で演奏した。
いうまでもないが‘スカルダネッリ’とはドイツの詩人ヘルダーリン(1770‐1843)の後半生でのペンネームだ。ヘルダーリンは人生の半ばで精神に失調を来たし、後半生を(ヘルダーリンを敬愛する)ある人物の保護の下で暮らした。ヘルダーリンはそのとき、折に触れて書いた詩に、スカルダネッリと署名した。
わたしはヘルダーリンの作品は小説「ヒュペーリオン」しか読んだことがないが、同作には強い感銘を受けた。同作にみなぎる精神の高揚感には、ヘルダーリンと同年生まれのベートーヴェンと共通するものがあると思う。
‘スカルダネッリ’の詩は、「ヒュペーリオン」とは対照的に、平明で、明るい詩だ。そこにホリガーが目を付けたことが興味深い。
(2017.5.25.東京オペラシティ)
総計22曲が連続して演奏される。各曲は短いもので2~3分、長いもので10分くらい。それらの曲が3部に分けられている。3部構成は演奏者への配慮かもしれない。それはそうだろうと思った。演奏者に極度の緊張を強いる曲が続くので、各部の切れ目でホッと一息つくことが必要だし、それは聴衆も同じだ。
楽器編成は、フルート・ソロあり、無伴奏混声合唱あり(器楽アンサンブルが極めて控えめに音を添える場合がある)、器楽アンサンブルあり、電子音あり、そしてそれらの組み合わせあり、という具合。音も4分音、8分音が駆使される。多彩な音色と微妙な音程を追っているうちに、いつの間にか時間が過ぎた、というのが実感だ。
どの曲にも(例外なく)透明な空気感がある。けっして濁ったり、激情を爆発させたりしない。聴衆をエモーショナルに揺さぶらず、意識を覚醒させ、耳を澄ますように導く。ひじょうに精巧な細工物という感じがする。年季が入った職人の途方もない手仕事のような感触だ。
指揮はホリガー自身。フルートはフェリックス・ラングレ。本作に含まれるフルート曲はオーレル・ニコレを想定して書かれたようだが、ラングレはニコレの弟子だ。合唱はラトヴィア放送合唱団。ホリガーの過酷な要求に応えた驚異の合唱だ。器楽アンサンブルはアンサンブル・ノマド。細心の音で演奏した。
いうまでもないが‘スカルダネッリ’とはドイツの詩人ヘルダーリン(1770‐1843)の後半生でのペンネームだ。ヘルダーリンは人生の半ばで精神に失調を来たし、後半生を(ヘルダーリンを敬愛する)ある人物の保護の下で暮らした。ヘルダーリンはそのとき、折に触れて書いた詩に、スカルダネッリと署名した。
わたしはヘルダーリンの作品は小説「ヒュペーリオン」しか読んだことがないが、同作には強い感銘を受けた。同作にみなぎる精神の高揚感には、ヘルダーリンと同年生まれのベートーヴェンと共通するものがあると思う。
‘スカルダネッリ’の詩は、「ヒュペーリオン」とは対照的に、平明で、明るい詩だ。そこにホリガーが目を付けたことが興味深い。
(2017.5.25.東京オペラシティ)