スクロヴァチェフスキが振るはずだった定期だが、スクロヴァチェフスキが亡くなったので、その代演にロジェストヴェンスキーが立った。曲目は予定のブルックナーの交響曲第5番を引き継いだが、まさかのシャルク版。
わたしも昔はクナッパーツブッシュのLPレコードでシャルク版を聴いていた。むしろシャルク版かどうかなど気にしないで(知りもしないで)この曲を聴いていた、といったほうがいい。でも、やがて‘稿’や‘版’の問題を知るにつれ、シャルク版は過去の遺物だと思うようになった。それがまさかの復活だ。
金子建志氏のプログラムノートによると、クナッパーツブッシュのLPレコードには「スケルツォ楽章後半にシャルク版にない大幅なカットがある」そうだ。たぶんロジェストヴェンスキーは、そこはシャルク版どおりにやったのだろうが。
シャルク版を細かく描写しても仕方がないが、ともかく聴き慣れない音や進行が出てくるので、それをどう考えたらいいのだろうと思った。オーケストレーションを変えたというに止まらないので、たとえばリムスキー=コルサコフのムソルグスキーへの‘改訂’に近いのか。
ロジェストヴェンスキーの演奏は、テンポが遅く、時には止まりそうになるので、所要時間は(プログラムに記載の‘約63分’を大幅に超えて)80分くらいかかった。これだけ極端なテンポ設定になると、それはテンポに止まらず、演奏全体の性格に影響する。フレーズを冷徹に見つめた個性的な演奏になった。
ブルックナーが出発点にあったはずだが、シャルクの改訂(または改ざん)という形で批評が加わり、さらにロジェストヴェンスキーの批評が加わって、もはやどこまでがシャルクで、どこまでがロジェストヴェンスキーか分からないものができ上がった。
いうまでもなく、それはロジェストヴェンスキーの計算通りのことにちがいない。ロジェストヴェンスキーにしかできない仕掛けだ。
シャルクのことが気になったので、今朝、NMLを覗いたら、ベートーヴェンの序曲「レオノーレ」第3番と交響曲第8番(演奏はウィーン・フィル)、シューベルトの交響曲第8番「未完成」(ベルリン・シュターツカペレ)が入っていたので聴いてみた。1928年の録音だが、少しも古びていない演奏に驚いた。アーティキュレーションが明確で、テンポが快適だ。たいへんな名演だと思った。
(2017.5.19.東京芸術劇場)
わたしも昔はクナッパーツブッシュのLPレコードでシャルク版を聴いていた。むしろシャルク版かどうかなど気にしないで(知りもしないで)この曲を聴いていた、といったほうがいい。でも、やがて‘稿’や‘版’の問題を知るにつれ、シャルク版は過去の遺物だと思うようになった。それがまさかの復活だ。
金子建志氏のプログラムノートによると、クナッパーツブッシュのLPレコードには「スケルツォ楽章後半にシャルク版にない大幅なカットがある」そうだ。たぶんロジェストヴェンスキーは、そこはシャルク版どおりにやったのだろうが。
シャルク版を細かく描写しても仕方がないが、ともかく聴き慣れない音や進行が出てくるので、それをどう考えたらいいのだろうと思った。オーケストレーションを変えたというに止まらないので、たとえばリムスキー=コルサコフのムソルグスキーへの‘改訂’に近いのか。
ロジェストヴェンスキーの演奏は、テンポが遅く、時には止まりそうになるので、所要時間は(プログラムに記載の‘約63分’を大幅に超えて)80分くらいかかった。これだけ極端なテンポ設定になると、それはテンポに止まらず、演奏全体の性格に影響する。フレーズを冷徹に見つめた個性的な演奏になった。
ブルックナーが出発点にあったはずだが、シャルクの改訂(または改ざん)という形で批評が加わり、さらにロジェストヴェンスキーの批評が加わって、もはやどこまでがシャルクで、どこまでがロジェストヴェンスキーか分からないものができ上がった。
いうまでもなく、それはロジェストヴェンスキーの計算通りのことにちがいない。ロジェストヴェンスキーにしかできない仕掛けだ。
シャルクのことが気になったので、今朝、NMLを覗いたら、ベートーヴェンの序曲「レオノーレ」第3番と交響曲第8番(演奏はウィーン・フィル)、シューベルトの交響曲第8番「未完成」(ベルリン・シュターツカペレ)が入っていたので聴いてみた。1928年の録音だが、少しも古びていない演奏に驚いた。アーティキュレーションが明確で、テンポが快適だ。たいへんな名演だと思った。
(2017.5.19.東京芸術劇場)