オルセー美術館が所蔵するナビ派の作品展。ナビ派に焦点を絞った点が新鮮だ。
ナビ派とは1889年に当時20歳前後の若い画家たち(画家の卵たち)がパリで結成したグループ。‘ナビ’とはヘブライ語で預言者のこと。新たな絵画の預言者をもって自ら任じた若者たち。その命名には若者らしいノリがあったかもしれない。もちろん宗教とは関係がない。
新たな絵画とはどういうものか。それを言葉で表しても抽象的になるだけで、むしろ本展がその答えだろう。平面的かつ装飾的な絵画が並んでいる。遠近法に象徴される西洋絵画の伝統を否定するものだが、だからといって戦闘的な感じはなく、ブルジョワジーの日常を反映した穏やかなものだ。ナビ派が一種の革命だとしたら、それがそのような場所から発生したことが面白い。
ナビ派の画家を何人か挙げると、ピエール・ボナール(1867‐1947)、エドゥアール・ヴュイヤール(1868‐1940)、モーリス・ドニ(1870‐1943)、そして毛色の変わった存在としてフェリックス・ヴァロットン(1865‐1925)などがいる(もちろん他にも重要な画家がいる)。
ボナールとヴュイヤールは、ともにアンティミスト(親密派)と呼ばれるように、題材や技法に親近性が強い。一方、ドニは距離感がある。ヴァロットンは他のだれとも似ていない。同じナビ派といっても、それぞれの個性が明確になるにつれ、各人自らの道を歩むようになり、グループとしての活動は1890年代の末頃には終わった。
わたしがドニの「ミューズたち」を初めて見たのは2010年の「ポスト印象派展」だった。そのときドニの力量を思い知った。今回再び見て、やはり傑作だと思った。秋の庭園。樹木が黄色く色づいている。地面に落ちた紅葉が絨毯の模様のようだ。手前には3人のミューズが腰掛け、後方には2人1組のミューズが3組、木々の間を歩いている。すべてが調和している。奥に光る存在は何?
本展は2010年の「ポスト印象派展」で来た作品が多い。わたしは普段は図録を買わないが、あのときは興奮のあまり図録を買ったので、その図録でチェックしてみたら25点あった。全81点中の25点だから、かなりの割合だ。
あのときはアンリ・ルソーの大作2点に圧倒されたので、上記の「ミューズたち」を除いて、ナビ派の印象は薄かった。今回その挽回ができた。
(2017.4.25.三菱一号館美術館)
(※)本展の主な作品(本展のHP)
ナビ派とは1889年に当時20歳前後の若い画家たち(画家の卵たち)がパリで結成したグループ。‘ナビ’とはヘブライ語で預言者のこと。新たな絵画の預言者をもって自ら任じた若者たち。その命名には若者らしいノリがあったかもしれない。もちろん宗教とは関係がない。
新たな絵画とはどういうものか。それを言葉で表しても抽象的になるだけで、むしろ本展がその答えだろう。平面的かつ装飾的な絵画が並んでいる。遠近法に象徴される西洋絵画の伝統を否定するものだが、だからといって戦闘的な感じはなく、ブルジョワジーの日常を反映した穏やかなものだ。ナビ派が一種の革命だとしたら、それがそのような場所から発生したことが面白い。
ナビ派の画家を何人か挙げると、ピエール・ボナール(1867‐1947)、エドゥアール・ヴュイヤール(1868‐1940)、モーリス・ドニ(1870‐1943)、そして毛色の変わった存在としてフェリックス・ヴァロットン(1865‐1925)などがいる(もちろん他にも重要な画家がいる)。
ボナールとヴュイヤールは、ともにアンティミスト(親密派)と呼ばれるように、題材や技法に親近性が強い。一方、ドニは距離感がある。ヴァロットンは他のだれとも似ていない。同じナビ派といっても、それぞれの個性が明確になるにつれ、各人自らの道を歩むようになり、グループとしての活動は1890年代の末頃には終わった。
わたしがドニの「ミューズたち」を初めて見たのは2010年の「ポスト印象派展」だった。そのときドニの力量を思い知った。今回再び見て、やはり傑作だと思った。秋の庭園。樹木が黄色く色づいている。地面に落ちた紅葉が絨毯の模様のようだ。手前には3人のミューズが腰掛け、後方には2人1組のミューズが3組、木々の間を歩いている。すべてが調和している。奥に光る存在は何?
本展は2010年の「ポスト印象派展」で来た作品が多い。わたしは普段は図録を買わないが、あのときは興奮のあまり図録を買ったので、その図録でチェックしてみたら25点あった。全81点中の25点だから、かなりの割合だ。
あのときはアンリ・ルソーの大作2点に圧倒されたので、上記の「ミューズたち」を除いて、ナビ派の印象は薄かった。今回その挽回ができた。
(2017.4.25.三菱一号館美術館)
(※)本展の主な作品(本展のHP)