Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

静かなる情熱 エミリ・ディキンスン

2017年09月02日 | 映画
 映画「静かなる情熱 エミリ・ディキンスン」を観た。じつは、観ようか、観まいか、ずっと考えていたのだが、観ないで後悔するよりも、観てから考えようと思って出かけた。

 エミリ・ディキンスン(1830‐1886)はアメリカの詩人。生前に発表した詩はわずか10篇ほど。エミリが亡くなってから、妹のラヴィニアがエミリの1,800篇ほどの詩篇を発見した。ラヴィニアは出版を始めた。その後、紆余曲折を経て、最初の全集が出たのは1955年。エミリの詩作の全貌が明らかになった。

 今ではエミリは、ホイットマン(1819‐1892)と並んで、アメリカの代表的詩人とされている。上記の伝説的な生涯は、ロマンティックな感傷をそそるし、またその詩は、その生涯にふさわしい慎ましさと感性の鋭さとを備えている。

 わたしもエミリの生涯については、ある一定のイメージを持っているので、それが映画を観ることによって、どうなるか。映画の効果は強烈なので、わたしのイメージに外から枠をはめることにならないか、と‥。

 でも、観てよかった。詩人が詩人であるためには、どれだけの代償を払わなければならないかを、よく理解することができた。詩人であることは、奇麗事ではない。世間と妥協できない自分を見つめ、自分を裏切らないことが求められる。それによってどれだけ孤立しても、孤立に甘んじなくてはならない。周囲の人々の(妥協を勧める)助言からも自分を守らなければならない。それがどんなに辛くても。

 半面、この映画のどこまでが真実で、どこからが脚色か、その境目が気になった。というのは、わたしの知っている史実とこの映画とで、微妙に異なる点が複数あったから。それが気になってくると、そもそもこの映画の基調となっているエミリとその家族との間の会話(時には激しいぶつかり合いを含む)には、どの程度の脚色が織り込まれているかが気になった。

 エミリの評伝は、少なくとも日本語で読めるものは、まだ出ていないのではないか。やがて評伝が出たら、そのような点を確かめたいと思う。

 エミリは、わたしのような音楽好きには、武満徹の室内楽「そして、それが風であることを知った」でお馴染みだ(その題名はエミリの詩の一節から採られている)。武満の最晩年の平明な音楽。エミリの詩の韻律よりも、武満の最後の心象風景が反映された曲のように感じる。
(2017.8.31.岩波ホール)

(※)本作のHP
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