Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

“戦前日本のモダニズム”―忘れられた作曲家、大澤壽人―

2017年09月04日 | 音楽
 改修工事が終わって、7ヶ月ぶりに訪れたサントリーホール。内装はできるかぎり改修前の雰囲気を残したというだけあって、内部の雰囲気が変わっていないことがいい。2階のトイレは男女のエリアがはっきり分かれ、しかもそれぞれ拡張された。また2階に上がるエレベータが新設された。

 ともかく7ヶ月ぶりのサントリーホールは懐かしく、古巣に戻ったという感慨があったことは、我ながら可笑しかった。

 毎年恒例のサントリー芸術財団のサマーフェスティヴァル。今年のプロデューサーは片山杜秀。言われてみれば、なるほどと思うが、片山杜秀が組んだプログラムは、太平洋戦争をはさんだ戦前、戦中、戦後の日本人作曲家の歩みを辿るもの。片山杜秀の頭の中では、作曲家の歩みと近代日本の歩みとの密接な絡み合いが俯瞰されているのではないだろうか。いずれ大部の著作に結びつく期待を抱かせる。

 全4回シリーズの初回は“戦前日本のモダニズム”―忘れられた作曲家、大澤壽人―。大澤壽人(おおざわ・ひさと、1906‐53)は神戸生まれ。関西学院を卒業した後、30年に渡米(ボストン)。さらに34年に渡仏(パリ)。36年帰国。

 当時の日本人作曲家の中では最先端を走っていた一人だと思うが、帰国後は、日中戦争に突入した日本にあって、必ずしも順調にはいかなかった。今回演奏されたピアノ協奏曲第3番「神風協奏曲」は、38年の発表当時、「愛国的」ではないと批判された(なお、神風とは特攻隊の「神風」ではなく、朝日新聞社が所有していた飛行機の名称)。

 没後、急速に忘れられ、2000年に片山杜秀と神戸新聞の藤本賢市記者が神戸の旧宅の蔵開けをするまで、長い眠りについた。

 今回演奏された曲は、コントラバス協奏曲(1934年)、上記のピアノ協奏曲第3番「神風協奏曲」(1938年)そして交響曲第1番(1934年)。コントラバス協奏曲と交響曲第1番とは世界初演。作曲されてからなんと83年ぶりに音になった。軽い音と淡い色彩の前者に対して、大編成のオーケストラによる濃厚な色彩の後者と対照的。また「神風協奏曲」は聴きどころ満載の傑作だ。

 演奏は山田和樹指揮日本フィル。3曲それぞれの個性を描き分けた好演。大澤壽人「再発見」の役割を十分果たした。コントラバス独奏の佐野央子は慎重な演奏だったか。ピアノ独奏の福間洸太朗はスリリングな名演。
(2017.9.3.サントリーホール)
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