Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

パーヴォ・ヤルヴィ/N響

2017年09月18日 | 音楽
 パーヴォ・ヤルヴィが2015年9月にN響の首席指揮者に就任してから、今月で3シーズン目を迎えると、プログラムのプロフィール欄に書いてあった。まだそれくらいしかたっていないのかと思った。多彩な曲目を取り上げ、それぞれ見事な成果をあげているので、もっとたっているような気がした。

 今回Aプロで取り上げた曲は、ショスタコーヴィチの交響曲第7番「レニングラード」1曲。なるほど、終わってみれば、これ1曲で十分だと思った。それほど充実した、気合十分の演奏だった。

 劇的で英雄的な‘大きな’音楽の両端楽章よりも、比較的地味で‘小ぶりな’音楽の中間楽章(第2、第3楽章)のほうが面白かった。普段は2人の巨人のように聳える両端楽章に挟まれて、目立たない存在だが‥。今回それら中間楽章が意味深く演奏されたことに、パーヴォ/N響コンビの成熟を感じた。

 第2楽章では、誤解を恐れずにいえば、映画音楽のような哀愁を感じた。映画音楽という言葉が問題なら、ひっこめてもいいが、ショスタコーヴィチがふっと覗かせたセンチメンタルな心情、あるいはショスタコーヴィチの孤独な散歩姿‥そういうものを感じた。

 第2楽章の末尾の弱音は、息をのむほどだった。この日、弦は18型だったのだが(18‐16‐14‐12‐10)、その大編成の弦が、ほんとうに聴こえるか聴こえないかというくらいまでの弱音になり、囁くような音で演奏した。その緊張感のすごさ!

 第3楽章の冒頭での主題は、その大編成の弦が物を言ったのはいうまでもないが、もう一つ、この日ゲスト・コンサートマスターに入ったヘルシュコヴァ(ミュンヘン・フィルのコンサートマスター)の効果も見逃せない。巨体を揺り動かして情熱的に演奏する姿が、ヴィオラ首席の川本嘉子やチェロ首席の藤森亮一に伝播し、そして弦全体に広がった。今後のN響に必要な人材は、このようなタイプのコンサートマスターかもしれない。

 第3楽章のこの主題は、レチタティーヴォ風の大きな身振りの音型。ショスタコーヴィチには珍しい。わたしはフランツ・シュミット(オラトリオ「7つの封印の書」や交響曲第4番が時々演奏される)のオペラ「ノートルダム」の間奏曲の冒頭音型に似ていると思うのだが、どうだろうか。

 そのオペラはヴィクトル・ユゴーの小説「ノートルダム・ド・パリ」を原作にしているらしい。
(2017.9.17.NHKホール)
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