Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

大野和士/都響

2017年09月12日 | 音楽
 合唱にスウェーデン放送合唱団を迎えたハイドンのオラトリオ「天地創造」は、別格という言葉が相応しい演奏だった。透明なハーモニー、粒立ちのよい音、羽毛のクッションのような柔らかい手応え。同合唱団は2015年10月にも都響と共演したが、今回の方が感銘深かった。

 都響の演奏もそれに相応しかった。全3部からなるこの作品の第1部と第2部で頻出する自然描写の、克明かつ繊細な演奏はもちろんだが、(細かい点で申し訳ないが)第3部冒頭の、そこだけ起用される第3フルートを含む3本のフルートが、それぞれ明瞭に聴こえ、第3フルートの存在が不可欠であることが、今回ほど納得できたことはない。

 大野和士の指揮もよく練れた、細大漏らさぬものだった。柔軟さと強靭さとが同居し、しかも自由な呼吸感を持った第一級のもの。わたしが今まで聴いた大野和士の指揮の中でも、今回はとくに感銘を受けたものの一つだ。

 ソリストは多少ムラがあった。ソプラノの林正子は、慣れるまでは、そのオペラティックな歌い方が気になった。バリトンのディートリヒ・ヘンシェルは、さすがに深みのある歌い方だが、少々癖があった。結局テノールの吉田浩之が一番素直に聴けた。

 終曲の合唱の途中で挿入されるソリストたちの重唱では、そこだけ起用されるアルトはカットされた。カットされるのが普通だが、9月8日に高関健/東京シティ・フィルが同曲を演奏したときはアルトを入れていた。地味ながらも、アルトが入ったほうがまとまりがよくなると、そのとき感じた。

 ショックだったのは、第2部の途中、創造の第5日が終わったところで休憩を入れたことだ。ドラマの展開でいうと、人間(アダムとイヴ)登場の前後で分けたことになるが、音楽的には中途半端だった。高関健/東京シティ・フィルは第1部が終わったところで休憩を入れた。音楽様式の面からいうと、第2部が終わったところが適当だと思うが、それでは時間のバランスが悪くなる。どうしたものか。

 アダムとイヴの歌詞は問題なしとしない。アダムがイヴを導き、イヴはそれに従うことが二人の喜びだという男性優位の歌詞‥。

 この歌詞はフリーメーソンの思想から来ているのだろう。そう思うと、アダムは「魔笛」のタミーノ、イヴはパミーナに見えてきた。第3部は「魔笛」の後日談か。終曲の合唱の前半はザラストロの神殿の合唱に似ている。
(2017.9.11.サントリーホール)
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