Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

“戦中日本のリアリズム”―アジア主義・日本主義・機械主義―

2017年09月11日 | 音楽
 サントリー芸術財団サマーフェスティヴァルの今年のプロデューサー片山杜秀が戦前~戦中~戦後の日本人作曲家の歩みを辿る演奏会シリーズの‘戦中’編。

 1曲目は尾高尚忠(1911‐51)の「交響的幻想曲《草原》」(1943)。蒙古(モンゴル)の大草原を舞台とする幻想曲。本作における蒙古とは、‘満州国’を建国した日本が唱える‘五族協和’(和(日)、韓、満、蒙、漢(支)の5民族)の文脈での蒙古。一種の占領政策だが、その政策への批判的(ないしは客観的)な眼差しを望むのは無理だとしても、本作には緊張感があり、また清冽な叙情があった。

 そう感じたのは、下野竜也指揮東京フィルの演奏が、目が覚めるほど見事だったからでもある。シャープな輪郭と強靭な構成力を持ち、透徹した作品把握を感じさせる演奏。作品への献身をこれほど感じさせる演奏はめったにない。先回りして言うと、以下の3曲も同様の演奏。感動的だった。

 2曲目は戦後の大指揮者、山田一雄(1912‐91)の「おほむたから(大みたから)」(1944)。マーラーの交響曲第5番第1楽章を下敷きにした曲。同楽章は葬送行進曲。戦地で亡くなった多くの同胞を悼む曲とも、大日本帝国の滅亡を予感した曲とも取れる。本作を1945年の元旦に(葬送行進曲という側面を説明せずに)全国放送したというから驚く。

 当時マーラーはまだ一般的ではなかったので、官憲側にはそれが葬送行進曲であることは分からなかったかもしれないが、音楽関係者の中には分かった人もいるだろう。通報されれば特高警察に引っ張られたかもしれない。

 3曲目は伊福部昭(1914‐2006)の「ピアノと管弦楽のための協奏風交響曲」(1941)。詳細は省くが、戦後書かれた「シンフォニア・タプカーラ」と「リトミカ・オスティナータ」の原曲に当たる曲だそうだ。それらの2曲よりも若い意欲が充満している。

 ピアノ独奏は小山実稚恵。下野竜也/東京フィルに負けず劣らず献身的な演奏だった。アンコールに同じ作曲者の「ピアノ組曲」から「七夕」が演奏された。わたしの胸にはこみ上げるものがあった。

 4曲目は諸井三郎(1903‐77)の「交響曲第3番」(1944)。本作は作曲当時は演奏されず、1950年になって初演された。作曲者は、演奏の目処もなく、戦時色に塗り固められた日本で本作を書いていた‥。
(2017.9.10.サントリーホール)
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