下野竜也が指揮する日本フィルの定期。1曲目は、意表を突いて、スッペの「詩人と農夫」序曲。下野竜也へのインタビューによると、2曲目のユン・イサンの「チェロ協奏曲」とともに「チェロが活躍」するから。だが、ユン・イサンの「悶え苦しむ奮闘している曲」に対して、スッペのほうは「穏やかなのんびりした田園風景を語っているような幸せな音楽」と対照的。
演奏は下野竜也らしいシンフォニックなもの。アンサンブルもよかった。現代曲が2曲も並んだプログラムなので、オーケストラの負担は大きかったろうが、前プロのこの曲もきちんと準備されていたことが好ましい。チェロ独奏は同フィルのソロ・チェロ、辻本玲。
2曲目はユン・イサン(1917‐95)の「チェロ協奏曲」(75‐76)。ステージ・セッティングの間に下野竜也が登場して、一言説明した。それによると、ユン・イサンは、パリ、そしてベルリンへ留学する前に、大阪と東京で音楽を学んだ。その頃は素朴な美しい曲を書いていた。しかし、ベルリンに渡った以降は、苦しみの多い困難な人生を歩み、作曲にもそれが反映した。これから演奏する「チェロ協奏曲」の前に、ユン・イサンが大阪で夢見ていた曲のようなものとして「詩人と農夫」序曲を演奏した、と。なるほど。
独奏チェロは作曲者自身で、オーケストラは自身を取り巻く世界とされ、両者の激しい葛藤が表現されるが、それを知らなくても、この曲には異様な緊張感があり、想像を絶する苦しみがこめられていると感得できる。それが見事に表現された演奏。
独奏チェロはルイジ・ピオヴァノ。音楽に没入し、切れ味鋭い演奏を展開した。アンコールに「アブルッツォ地方(イタリア)の子守唄」が演奏された。チェロを弾きながら歌われる唄に癒された。
休憩をはさんで3曲目はジェイムズ・マクミラン(1959‐)の出世作「イゾベル・ゴーディの告白」(1990)。冒頭の、オーケストラの内側から光を発するような、不思議な音楽が美しい。魔女狩りをテーマとした曲で、次第に凶暴化する民衆の描写は恐ろしいほど。その演奏に息をのんだ。
巨大なクレッシェンドで曲は終わるが、演奏はそのままブルックナーの弦楽五重奏曲から「アダージョ」(スクロヴァチェフスキ編曲の弦楽合奏版)に流れ込み、わたしは緊張から解放された。
プログラム全体のコンセプトも演奏も見事な定期だった。
(2018.3.2.サントリーホール)
演奏は下野竜也らしいシンフォニックなもの。アンサンブルもよかった。現代曲が2曲も並んだプログラムなので、オーケストラの負担は大きかったろうが、前プロのこの曲もきちんと準備されていたことが好ましい。チェロ独奏は同フィルのソロ・チェロ、辻本玲。
2曲目はユン・イサン(1917‐95)の「チェロ協奏曲」(75‐76)。ステージ・セッティングの間に下野竜也が登場して、一言説明した。それによると、ユン・イサンは、パリ、そしてベルリンへ留学する前に、大阪と東京で音楽を学んだ。その頃は素朴な美しい曲を書いていた。しかし、ベルリンに渡った以降は、苦しみの多い困難な人生を歩み、作曲にもそれが反映した。これから演奏する「チェロ協奏曲」の前に、ユン・イサンが大阪で夢見ていた曲のようなものとして「詩人と農夫」序曲を演奏した、と。なるほど。
独奏チェロは作曲者自身で、オーケストラは自身を取り巻く世界とされ、両者の激しい葛藤が表現されるが、それを知らなくても、この曲には異様な緊張感があり、想像を絶する苦しみがこめられていると感得できる。それが見事に表現された演奏。
独奏チェロはルイジ・ピオヴァノ。音楽に没入し、切れ味鋭い演奏を展開した。アンコールに「アブルッツォ地方(イタリア)の子守唄」が演奏された。チェロを弾きながら歌われる唄に癒された。
休憩をはさんで3曲目はジェイムズ・マクミラン(1959‐)の出世作「イゾベル・ゴーディの告白」(1990)。冒頭の、オーケストラの内側から光を発するような、不思議な音楽が美しい。魔女狩りをテーマとした曲で、次第に凶暴化する民衆の描写は恐ろしいほど。その演奏に息をのんだ。
巨大なクレッシェンドで曲は終わるが、演奏はそのままブルックナーの弦楽五重奏曲から「アダージョ」(スクロヴァチェフスキ編曲の弦楽合奏版)に流れ込み、わたしは緊張から解放された。
プログラム全体のコンセプトも演奏も見事な定期だった。
(2018.3.2.サントリーホール)